white minds 第一部 ―邂逅到達―

第十章「不信交渉」10

「カルマラさんだわ!」
 前方に見える人影の中に見知った者を見つけた。だが張り上げた梅花の声を遮るよう、耳障りな高音が周囲に響き渡る。技と技が干渉し合った際に特有のものだ。魔獣弾とカルマラたちが既に交戦している証拠だった。
 辺りの建物は魔神弾の触手が先日あらかた破壊してしまったせいで、悲しいことに見晴らしがいい。瓦礫が転がっているため走りにくいのは困るが、戦況は把握しやすい状態だった。
「一応、小瓶に気をつけてっ」
 すると背後からリンがそう呼びかけてくる。魔獣弾があのミスカーテという魔族から怪しい瓶を譲り受けている話は、既に聞いている。毒が入った瓶の場合は、どのような効果があるのかわからない。無論、それ以外にも精神を奪う瓶があることもわかっている。どちらにせよ瓶には要注意だ。
「わかってますって!」
 答えたのは青葉だ。突然の魔獣弾の来襲に、飛び出すことができる者は限られていた。ちょうどシャワーの時間で不在だった人もいるし、そもそもまともに技が使えない人もいる。ストロングではホシワ、スピリットではシンとリン、シークレットは青葉にアサキ、梅花、ピークスはよつきのみが向かうこととなった。フライングはたまたま全員不在だった。
 急ぎながらも上から借りた武器は持ってきているが、剣の扱いに長けていない者が手にした場合どの程度有効かは不明だ。ないよりはましといった程度だろうか。
「こちらに気づきましたね」
 白い男が一人倒れた拍子に、魔獣弾は神技隊らの方を見た。彼の纏う気に怪しい色が溢れたところを見ると、何だか嫌な予感がしてくる。まさか神技隊をおびき出すのが目的だったわけではないと思いたいが。
「来るぞ」
 シンの警告に、梅花は相槌を打った。すぐに精神を集中させて、まずは結界を生み出す。突として地面がかすかに揺れた。ついで迫ってきたのは青い風だった。魔獣弾が得意とする技の一つだ。ミスカーテも似たような芸当を披露していたという話を聞くと、もしかしたらミスカーテの真似なのかもしれない。
 透明な膜へとぶつかった風は、青い残渣を煌めかせながら空気へと溶け込む。この後に黒い技が続くのがいつもの魔獣弾の手だ。予想通り、巻き上がる砂煙の向こうから次々と黒い矢が迫ってきた。だが案ずることはない。前へと飛び出した青葉とシンの剣がそれらを次々と叩き落としていった。何の合図もなかったはずだが、二人の息はぴったりだ。これが長年の付き合いによるものなのか。梅花は感心しながらも、目でリンに合図を送る。
「わかってる!」
 即座に頷いたリンは短剣を掲げてみせた。元々はラウジングが持っていた武器だが、戦闘後の騒動で返し損ねていたらしい。ならば利用させてもらおうと開き直るところがリンの強さだった。いいように使われている身であることを考えれば、それくらいの方が精神衛生上はよいのかもしれない。これだけ命を張って魔族の相手をするのだから、大目に見て欲しいところだ。
 また地が震え、辺りに緊張が走った。ろくに動けていない白い男たちの向こうで、カルマラが片膝をつく。土系の技か? 直接のダメージはなくとも、疲労しているところには痛い一撃だ。狙いを変えた魔獣弾がカルマラ目掛けて右手を振るうのが見える。
 だがそうはさせまいと青葉が跳躍した。倒れている白い男を飛び越え、長剣を振り下ろす。その動きに気づき、魔獣弾は後退した。いや、それだけではなく再び黒い矢を生み出した。次々と放たれる矢を空中でいなすのは困難なはずだが、青葉はそれを器用に避ける。さすがの身体能力だ。
 魔獣弾はさらに飛び退り、青葉から距離をとった。その隙をつくように今度はシンが強く地を蹴る。振り上げた大振りな刀身が赤い光を帯びた。
 そこで魔獣弾が懐から何かを取り出すのが見えた。膝を使って着地した彼の手の中にあるのが何なのか、確認する暇はない。それでも皆が危機感を抱いたのは感じ取れた。
 青葉は深追いせず後退し、入れ替わるようにシンが飛び出す。その後に続いたのはリンだった。彼女を中心に気が膨れ上がるのが感じ取れる。梅花は結界の心積もりをしながら、素早く周囲へと視線を走らせた。この状況に戸惑っている白い男たちも、きっと毒の小瓶の存在は知らないに違いない。
「喰らいなさい!」
 立ち上がった魔獣弾が何かを投げつけてくる。やはり小瓶だ。それが青い光を纏っているのは梅花の目でも見て取れた。直前に熱でも加えてあったのか、すぐに硝子の弾ける音がする。と同時に、青い煙が一気に広がった。まともに吸い込みたくはない、鮮やかな青だ。
「あなたの手はわかってるのよ!」
 その青を絡め取ろうとリンの指先が動いた。彼女の手のひらが生み出した風は、まるで意志を持っているかのように広がり出す。速度を落とした彼女へと寄ったシンが剣を構えるのを確認しつつ、梅花はそのままカルマラの傍へと走り寄った。ざっと見たところ大きな怪我はなさそうだが、気は不安定だ。魔獣弾の技が一度か二度は直撃したのかもしれない。
「カルマラさんっ」
 呼びかけながらその手を引こうとして――そこで梅花ははたと顔を上げた。突然全身を包み込む違和感に、咄嗟の勘でそのままカルマラを地面へと押し倒す。「ひぃぎゃっ」とカルマラの潰れた悲鳴が漏れたが、説明している暇はなかった。
 ついで訪れたのは轟音だ。狭い場所を強風が無理やり吹き抜けた時にも似た音。それが突然、鼓膜を叩く。
「梅花!」
 その中にかすかに青葉の呼び声が混じった。梅花はできる限り頭を低くしながら、自分の身に一体何が起こったのかを把握しようとする。周囲の気へと意識を向けつつ目だけで頭上を見上げようとして――そこで彼女は絶句した。ちょうど彼女の真上を、黒い筋が怒濤の勢いで通り過ぎていた。この光景には見覚えがある。これは、魔神弾だ。
「梅花!」
「失せろ!」
 このままでは顔を上げることもできない。梅花が息を詰めていると、二つの声が重なるのが聞こえた。そして突然気の流れが途絶えたと思った刹那、無理やり引き起こされる。
 何が起こったのかわからず顔を上げた梅花の目に映ったのは、二人の青葉だった。――否、アースと青葉だ。
「……え?」
 梅花が瞬きしている間に、舌打ちした青葉がカルマラも助け起こす。カルマラは相変わらず気の抜けた悲鳴を漏らしていた。梅花が視線を巡らせると、切り落とされたらしい黒い触手が地面の上をのたうち回っているのが見えた。おそらく青葉たちが助けてくれたのだろうが、状況が飲み込みきれない。梅花は困惑しながらも辺りの気を探った。跳ねる触手の先にシンとリンの姿が見える。そのさらに向こうにいる魔獣弾が顔をしかめているところを見ると、この事態は彼も想定していなかったらしい。
「魔神弾」
 青葉が憎々しげにその名を口にする。彼の視線を追いかければ、右方に黒い影が見えた。右腕の先を無数に枝分かれさせ、ゆったりと歩く魔神弾だった。感情を灯さぬ彼の気は不安定に膨らんだり縮んだりを繰り返している。
「あいつ、やばくないか?」
「やばいと思います」
 苦々しい青葉の問いかけに答えたのはよつきだ。ちらと横目で見れば、慌てて駆け寄ってくるよつきの姿が視界に入る。魔神弾の攻撃に戸惑っているうちに追いついてきたらしい。さらにその後ろには、ホシワ、アサキの姿もあった。誰もが強ばった顔で周囲の様子を確認している。それだけ魔神弾の存在は厄介だった。
 思わず梅花は歯噛みする。魔獣弾だけであれば懐に飛び込めばどうにか勝機を掴めるが、魔神弾も現れたとなると話が変わってくる。彼の行動は予測がつかないし、この触手の相手が面倒だ。まともに近づくことができない。しかも彼が暴れ回るとますますミリカの町が破壊されてしまう。野放しにはできないのに対応策もないという、難しい状況だった。
「こんな時にあいつがいないとはな」
 と、アースが毒づくのが耳元で聞こえた。梅花ははっとする。そうだ、彼はレーナに自分たちのことを任されていたのだった。だから駆けつけてきたのか。――つまり、まだレーナは戻ってきていないらしい。
「ほし、い。たり、ない」
 思案している間も、魔神弾はうわごとのように何かを呟きながら近づいてきている。その声からはやはり理性が感じ取れない。じりじりと後退している魔獣弾も、魔神弾の動きを警戒しているようだった。今の魔神弾に敵や味方という概念がないことを理解しているからだろう。先日の戦闘はまさに辺り構わずだった。
 緩やかにうねる触手が時折地を叩く。その度にかすかな振動が伝わってくる。結界を張れば攻撃を防ぐことはできるが、そうすると防戦一方となるのが問題だった。精神系の技や上からの武器であれば効果はあるが、しかし結局は触手を切り落とすことしかできない。本体には届かない。切り落とすだけでも意味があるのならまだましだが、その点については確証がなかった。
 前回のような真似が今の自分にできるかどうか、梅花には自信がなかった。無理を重ねれば魔獣弾に隙を突かれる不安もある。ならばどうすればいいのか。どうにか魔神弾に近づく方法を考えてみたが、どれを選んでも危険性が高いものばかりだった。自分だけならばともかく、仲間たちを巻き込むとなるとどうしても躊躇する。
「危ない!」
 その時、背後から声が響いた。それが誰のものなのか頭が理解する前に、梅花は警告に従っていた。半ば反射的だった。庇うように頭に回されたのが誰の手だったのか把握する暇も惜しい。一気に空気が張り詰め、そして弾ける。
 まるで空間ごと揺るがされるような、強い衝撃が襲い来る。それが空気を伝う気の波動であると飲み込むのに、少々の時間を要した。梅花は揺れる地に伏しつつ、とにかく必死に何が起こっているのか理解しようとする。気が集まっているのは前方――シンたちのいた方だ。しかし顔を上げたくとも頭を押さえつけられているせいで、視覚が役に立たなかった。そうなると耳を澄まして気を辿るしかない。
 刹那、誰かの悲鳴が上がった。聞き慣れない男の高い声だった。神の誰かかと思ったが、注意深く気を探ったところで気づく。――これは魔獣弾の声だ。聞いたことのないほど甲高い声だったから、すぐにはわからなかった。
 一体、何が起こっているのか? 耳を塞ぎたくなるような悲鳴を聞きつつ、梅花は土に指を突き立てた。魔獣弾の叫声には怨嗟が滲んでいる。それは空間を伝う波動に乗ってこちらにもぴりぴりと伝わってきた。肌を焼くような強い感情に吐き気がこみ上げた。チリチリと内側から焼かれていくような錯覚に陥る。
「レーナ?」
 そこで頭を押さえつけていた手が緩んだ。鼓膜を揺らした声、響きから判断するに、アースのものだったらしい。指先に力を込め梅花が慎重に面を上げれば、信じがたい光景が目に飛び込んでくる。
「……えっ」
 空を突き進んだ無数の黒い触手が、一点に集まっていた。それは真っ直ぐ魔獣弾の体を貫いていた。いや、これだけの数となると貫くと表現するのは適切ではないのかもしれない。魔獣弾の上半身が存在していたはずの空間を、黒い筋が埋め尽くしているとでも言うべきか。
「どういうこと?」
 答えを求めるよう、梅花は魔神弾へと視線を移す。黒い触手の根本にあたる魔神弾は、先ほどと変わらぬ様子でその場にたたずんでいた。いや、少しだけ変化がある。不安定だった気が歪ながらも膨れ上がっているし、その口元はかすかに持ち上がっていた。それはぞっとするような笑みだった。
『ゆる、しま、せんよ』
 かすかに魔獣弾の声が聞こえる。しかし響き渡る悲鳴を考えれば、はっきり耳まで届くはずのない言葉だった。梅花が訝しんだところで、ぶわりと再び何かが押し寄せてくる。これは気なのか。いや、気とは表現したくない。まるで空気そのものが揺さぶられるような圧迫感、息苦しさを伴っている。胸騒ぎを覚えながら梅花はどうにか上体を起こした。
 次の瞬間、魔獣弾の体は掻き消えた。白く瞬く光を残し、突として消え去った。梅花は思わず気の抜けた声を漏らす。支えとなっていた獲物を失った黒い触手がぱたりと地面に落ち、その拍子に空気が軽くなった。全身をざわめかせていた得体の知れぬ感覚が一気に鳴りを潜め、かわりに冷たい風が吹き荒れ始める。
 一体何が起こったのか。魔獣弾はどうなったのか。尋ねたくとも問う相手が見つからず、梅花は固唾を呑んだ。前方で座り込んでいるシンたちも、わけがわからないといった様子で呆然としている。
「喰らってしまったな」
 その時、背後で声がした。今度ははっきり聞き覚えのある響きだった。慌てて振り返れば、虚空から飛び降りるように着地するシリウスの姿が目に入る。空気を含んで揺れる青い髪、フードが、かすかな音を立てた。

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