white minds 第一部 ―邂逅到達―

第九章「再会」6

「リン――」
「中距離遠距離の攻撃なら、私が何とかする。剣もあるから大丈夫。でも接近戦は苦手なのよね。頼める?」
 シンの気遣わしげな視線が感じられる。だがリンは彼の方を振り向くことなく、ただそれだけを口にした。はったりでも強がりでも何でもかまわない。今はとにかく心を強く持つことが必要だ。
 背後ではシリウスがまた何か技を使った感触があった。シリウスがいる限りおそらく後ろからの攻撃を心配する必要はないだろう。それだけがせめてもの救いだ。ミスカーテが毒を使った場合のことは、今は考えても仕方がなかった。「もしも」を考えていてもきりがない。ミスカーテのことはシリウスに任せて、今はとにかく魔獣弾に集中するのみだ。
「わかった」
 シンは小さく頷くと、即座に駆け出した。その足取りに不安定なところがないのを確認しつつ、リンは精神を集中させる。自分に機敏な動きなど期待できないから、その分も精神力で補わなければならない。
「悪足掻きが好きですね」
 魔獣弾の手がひらりと振られる。その指先から生み出されたのは複数の黒い矢。彼の得意の手だった。しかし一気に放たれたそれらは、次々とシンの剣によって叩き伏せられる。赤い光を帯びた刀身が的確に黒い矢を捉えた。ここにきてシンにはまだそれだけの気力、体力があるらしい。
 彼の横を素通りした黒い矢を、リンは小さな結界で弾いた。これまでの戦いで、どの程度の結界であればあの黒い技を防ぐことができるのか、判断できるようになっていた。ならば最小限の力、範囲でいい。精神は少しでも節約しなければ。
 シンは倒れたカイキとイレイを飛び越え、魔獣弾へと迫る。大剣は動きも粗雑になりがちだが、それでもシンの体格では振り回されることもないようだ。飛び退ろうとする魔獣弾の服を、その切っ先がかすめる。刀身の輝きが増す。と、半身を引いた魔獣弾の手が、懐に向かうのが目に入った。
「シン!」
 魔獣弾は一体毒をどのくらい隠し持っているのか。それがまだ残されている可能性があることに思い至り、リンは走り出した。まずい。魔獣弾は接近戦を得意としていない。つまり追い込まれた時に使う手段は限られている。
 シンも魔獣弾の動きに気づいたようだが、まさか直接触れるわけにはいかない。ましてその場で瓶を叩き割るのは危険だ。シンの気に焦りの色が滲んだのが感じ取れた。
 風は? シンを巻き込みかねない。あの隙間に結界をねじ込むのは? 不可能ではないが現実的ではない。焦燥感で頭が回らない。リンは歯噛みしながら右手を前へ突き出した。考えつかないのならば、無理だろうと結界を使うしかないか。
 けれども彼女が技を放つより早く、別の気が膨らんだ。それはシンたちの頭上でのことだった。はっとしたリンは空を見上げる。目を凝らせば、薄曇りの空から何か青い光が落ちてくるのがわかった。この気配は――精神系の技か?
 魔獣弾もそれに気がついたらしい。憎々しげな舌打ちとともに、彼は懐から手を離した。その代わりに生み出されたのは結界だ。後方へと下がる彼の頭上に、瞬時に透明な膜が生み出される。降り落ちてきた青い光は結界に弾かれ、瞬く間に空気へと溶けた。
「レンカ先輩!」
 続いて降りてきたのはレンカだった。ふわりと風を身に纏わせて着地したレンカは、追撃とばかりに魔獣弾へと青い矢を放つ。数は少ないが精度高い矢だ。そのうち一本が後退する魔獣弾の頬をかすめる。
「気をつけて!」
 だがレンカはそれ以上深追いはせず、ちらと上空を見上げた。その行為が何を意味していたのかはすぐに理解できた。肉眼で確認する必要もない。ぶわりと全身の毛が逆立つと表現したくなるような不安定でおぞましい気が、空から近づいてくる。
「魔神弾よ!」
 叫ぶレンカの声に魔獣弾が顔を歪めた。と同時に、上空から無数の黒い筋が降りてくるのが感じ取れた。飛び退るレンカ、慌てて結界を張る魔獣弾のちょうど間に、黒の束が突き刺さる。突然の質量に耐えかねた地面がひび割れ、リンのもとへと地響きが伝わってきた。その不安定な揺れ方に疲労した足がついていかない。体がぐらりと傾いだ。だが膝をつく直前に、前触れもなく二の腕を掴まれた。
「リン先輩大丈夫ですかっ」
 すぐ背後で響いたのは青葉の声だ。気を探ることもできていなかったと自覚しつつ振り返れば、彼は一人ではなかった。彼のもう一方の腕の中には青い顔をした梅花がいる。力が入らないのかぐったりしているが、意識はあるようだった。一体この状況は何なのか。何が起こっているのか?
「すいません、魔神弾連れてきちゃいました」
 体勢を立て直したリンは、青葉の視線を追いかけた。地面に突き刺さった黒い鞭が無骨な音と共に引き抜かれ、消える。その向こう側にゆらりと魔神弾が降り立った。魔神弾であることは気からわかるのだが、ずいぶんと姿形が変わっていた。左肩から先がなくなっているし、右の肩からは無世界で見たイソギンチャクのような黒い物を生やしている。あまり直視したくはない光景だ。
「死んだかなって思ったら、急に暴れ出して――」
「足り、ない」
 続く青葉の説明を、魔神弾の呻きが遮った。冷たく硬い、感情のこもらない声だった。聞いているだけで何か嫌な感覚に襲われる。リンはつい眉根を寄せた。この違和感は何なのだろう。魔神弾の不安定な気がそう感じさせるのか?
「あいつ危険ですよ。レンカ先輩がいなかったら梅花が食われるところだった」
 苦々しい声を隠すこともせず、青葉は顔をしかめる。その横顔を視界の端に捉えつつリンは首を捻った。にわかに背筋を冷たいものが這い上ってくる。食われるとはどういうことなのか? 脳裏をよぎる光景に、にわかに身震いがした。問いかける気にもならなかった。魔神弾の様子を見ると、言葉通りの印象を受ける。
「すみません。私やレンカ先輩が、何だか狙われてるみたいで」
 すると青ざめたままの梅花が小さく謝罪を口にする。それが本当なら、魔神弾がやってきたのは二人を追いかけてということになるのか? 状況はますます混乱してきたが、かといって梅花たちを責める気にはなれなかった。二人に何かある方が一大事だ。
「それはまた、選り好みの激しい奴ね」
 リンはちらと魔神弾の方を見遣った。見た目は歪で気も不安定だが、動きだけは意外と俊敏だ。腕から伸びた触手は、あるものは地を抉りつつ、あるものは空を突き進みながら、レンカたちを狙っている。
「これどうなってるんですか!?」
「さあねっ」
 剣を振るいながら後退するシンの横で、レンカがまた青い矢を放つ。しかしそれは黒い鞭の一部を消し去るのみだった。精神系の技でもどれだけ効果があるのかわからない。トカゲの尻尾切りではないかと懸念したくなる。
「本当にしつこいわねっ」
 レンカのさらなる攻撃も、やはり黒い鞭の末端を消し去るだけだ。そのまま歩を進めた魔神弾はゆっくりレンカの方へと向かおうとし……そこで忽然と動きを止めた。実に唐突だった。その暗く虚ろな眼差しが、何かを求めるように彷徨い始める。それは魔獣弾を捉えたところでひたと固定された。
「ま、まさか魔神弾――」
 魔神弾の視線を受け止め、魔獣弾は顔を引き攣らせる。と、魔神弾の纏う不安定な気が奇妙な膨れあがり方をした。刹那、魔神弾の触手が一斉に魔獣弾目掛けて伸び出した。先ほどまでとは違う。もはや数える気にもならないほどの黒い筋が、地や空を這うように突き進む。
「私を喰らうつもりですか!?」
 魔獣弾の悲鳴のような声が辺りに響き渡った。リンは呆気にとられながらその光景を見つめる。一体何が起こっているのだろう? ここでどう動けばいいのだろう? 今日何度目かわからない疑問が胸の奥から湧き出てくる。できれば二人でつぶし合ってくれるといいのだが。
「冗談じゃありません!」
 しかし事がそううまく運ぶわけもなく。慌てて飛び退った魔獣弾は、何故かこちらへ向かって駆け出した。視線を向けることもしなかったので単なる偶然かもしれないが、それでも「冗談じゃない」と言いたいのはこちらだ。慌てたリンは咄嗟に右手を掲げる。このままではあの触手の餌食となる。
「リン!」
「避けて!」
 シンとレンカの呼び声に答える余裕もなかった。リンはおざなりな結界を張りつつ、咄嗟に短剣を振るう。土砂が崩れ落ちる時のような、地響きのような轟音に、鼓膜がつんざかれそうになった。巻き起こる強風で砂塵が舞い上がり、まともに目を開けてもいられない。それでも必死に短剣を振りかざせば、握る手に強い力が掛かった。それが通り過ぎる触手を短剣が切り裂いたせいだと気づいたのは、魔神弾の叫声が聞こえたからだ。
「リン先輩!」
 続いて青葉の切羽詰まった声。そして感じられる強い気の流れ。何かを切り裂く音がした途端、突然右腕にかかる圧力がなくなった。その反動で思わずその場に座り込んだリンは、怖々と顔を上げ片目を開ける。
「うわっ」
 思わず低い声が漏れた。リンのすぐ目の前を、黒い筋が怒濤の勢いで流れている。そうとしか表現できなかった。これが直撃したらひとたまりもないだろうと理解するのは容易い。嵐の日の川を思わせる勢いで、それは空中を突き進んでいる。
 リンたちに目もくれていないのは、魔獣弾を追いかけているからなのか? それすらも定かではなかった。触手の先端がどこにあるのか、視界ではもちろん、気でも感じ取ることができない。
「シリウスさん、大丈夫かしら?」
 呆然としながらも口をついて出たのはそんな言葉だ。この流れの向こうにはシリウスとミスカーテがいたはずだった。あの二人が魔神弾の攻撃に翻弄されるとは思わないが、この隙をついてどちらかが動き出していてもおかしくはない。均衡を破るきっかけにはなり得るだろう。
 それに、動けない滝やカイキ、イレイたちが無事かどうかも気に掛かった。倒れ伏したままであれば巻き込まれることはないと思うが、それでも保証はない。そもそも、ミスカーテの毒の効果は今どうなっているのか。
「おい、リンっ」
 回らない思考を無理やり働かせていると、すぐ傍でシンの声がした。
「頼むから無茶してくれるなよっ。お前、その剣なかったら死んでたぞ!?」
 はっと顔を上げれば、いつの間にかシンが近くまで来ていた。それすら気づいていなかった自分にリンは驚嘆する。片膝をついた彼は一瞬何か躊躇ったような表情を見せてから、彼女の腕を掴んだ。
「心臓、止まると思ったんだからな」
 顔を背けてそう告げる彼を、彼女はただただ見上げた。返す言葉が浮かんでこない。その間も、空を突き進む黒い流れは留まることを知らなかった。まるで切り裂かれた空気が悲鳴を上げているように、ぴりぴりとしたものが肌に伝わってくる。しかし全ての現象に何故だか現実感がなかった。じんじん痺れたように力の入らない右手だけが、これが夢ではないと叫んでいる。
「シンにい!」
「リン先輩、早く下がってっ」
 だがいつまでもその場に座り込んでいるわけにもいかない。後ろから青葉たちに必死に呼びかけられ、リンははたと我に返った。いつこの黒の流れが変わるともわからないのだ。今のうちに少しでも離れておかないと。シンと目と目を見交わせ、彼女は頷いた。立ち上がろうと足に力を込めると、かすかに地が震えるのを感じた。



「ミスカーテが退却したな」
 何の感情もこもらないアスファルトの声を、レーナは膝をついたまま受け止めた。即座に立ち上がりたいところだが、左腕どころか肩から先がろくに動かなくなったせいで、どうもうまくバランスがとれない。しかも先ほど着地した際に足首にも負担が掛かったらしい。わずかに爪先に力を入れるだけで、違和感が広がっていく。
 まるで全身が悲鳴を上げているようだ。それでも頭だけは冷静にこの現状と、そして未来を見据えている。明後日の方を見て独りごちるアスファルトを、レーナはひたと見据えた。
「あいつ、懲りないくせに引き際はいつも間違えないな」
「アスファルトもそこは見習った方がいいんじゃないか?」
 呆れ顔のアスファルトへ、レーナはあえて軽い調子でそう返す。ただ声を発するだけで、喉の奥が焼けたように痛んだ。と同時に、背後で倒れているネオンが呻く声が聞こえた。彼の傷を詳しく見たわけではないが、それなりのダメージはあるだろう。アスファルトの炎に足を絡め取られたのだから、治癒の技でも使わない限り動けないに違いない。つまりネオンを守ろうとすると、この場を離れられなくなる。さてどうしたものかとレーナは思案した。状況は悪化していく一方だ。
「それも一理あるな。だが私の得意技は悪あがきだ」
 大きく嘆息したアスファルトは、その背後で立ち上がろうとしていたアースへと一瞥をくれた。途端、アースの動きが止まる。たったあれだけの動作で「迂闊には動けない」と思わせるのだから、高位の魔族の気というのは実に厄介だ。熱を孕みながらもどこか静謐な印象を与えるアスファルトの気は、彼の睥睨と相まって静かな威圧感を生み出す。
 レーナはふっと息を吐いた。不利なのはわかりきっていたことだし、今の彼女には彼に対抗する実力がないのも理解していた。だがそれでもどうにかしなければならないから、諦めることはしない。そんなところは彼に似たのかもしれない。――彼とは、気の繋がりすらないのだが。
「それは知っている」
 どうしたって真似をしてしまうのだ。彼女は長らく彼とユズしか知らなかった。彼らの生き方しか知りようがなかった。彼はうまく立ち回ることに重きを置かない。立場というものに固執しない。彼は彼の信念と興味にしか突き動かされない。それは他者にとっては悪あがきとも、愚かとも映るのだろう。それ故に彼を、五腹心はいつも危険視していた。
「お前もそれは似てしまったようだな。ああ違う、ユズに似たのか」
 こちらの思いまで伝わってしまったのか、虫でも払いのけるようにアスファルトは右手を振った。緩やかに揺れる白衣の前で、金の光が瞬く。陽光をペンダントが反射したせいだろう。負の感情も正の感情も滲ませない彼の気は、何故だかいつも冬の夜空を思い出させる。それがわずかにでも揺らいだのは「ユズ」の名を口にした時だけだ。悔恨の色が漏れ出るその瞬間も、彼の表情は変わらなかったが。
「さあな」
 彼が今も変わらないことを確認し、レーナは微笑んだ。ならば彼女に迷いはない。何のためにここにいるのか忘れたわけではない。今までの道のりを思えば、とにかく足掻くしかなかった。
 だから彼女はいつでも微笑む。それはレーナである証だった。いつ何時も諦めず、今できる全てをかけて未来を目指すのがレーナだ。決して楽観視はせず、ただし絶望もせず、ここにある一瞬一瞬を信じて動く。最後に全てを左右するのはあらゆる刹那の積み重ねと、そこから生み出される時の流れだ。信じた者が救われるなどとは思ってもいないが、何も信じずに手放した瞬間に可能性はゼロとなる。
 深く呼吸をしてから、彼女はそっと瞳をすがめた。少しだけ足先に力を入れて、地面の感触を確かめる。焦げついた土から立ち上る灰色の煙が辺りをたゆたっていた。その向こう側に立つアスファルトが黙しているのは、思案しているからだろうか。
「あの神なら、一筋縄ではいかないよ」
 アスファルトが懸念することがあるとすれば、かの神の動向に違いない。アスファルトとどちらが上かは考えたこともないが、彼女を連れ戻すという目的がある点ではアスファルトの方が分が悪かった。
「直属殺しだなんて呼ばれてるからな」
 さらに足に力を込めると、左足首がずきりと痛んだ。しかしその程度といえばその程度だ。これならば走れるし飛べるだろう。慎重に体勢を整えながら、彼女は口角を上げた。そもそも彼女は自分の足を使ってあまり動かない。体力に自信があるわけでもないので、動きのほとんどを技で補助していた。
「知り合いか」
 ようやくアスファルトの視線が彼女の方へと向けられる。その気と声音から、興味を抱いたことが読み取れた。どういう意味で好奇心が刺激されたのかは問わなくとも予想できる。レーナは小首を傾げつつ言葉を選んだ。知り合いと呼ぶほど親しくはないが、知らないとつっぱねることもできない。
「うーん、顔見知り?」
「……お前と出会って放っておくくらいだから、よほど肝が据わった神なんだな」
 想像通りの顔をして、アスファルトは相槌を打つ。やはりそういう意味での興味らしい。彼はやはり異端なる者に刺激を受けるようだ。
「われもそう思うよ」
 笑ったレーナがゆっくり立ち上がろうとした時、不意に袖が引っ張られた。何事かと目を向ければ、ネオンの指先が彼女の袖にほんのわずかだけ引っ掛かっている。問いかけようと口を開きかけたところで、開かれたネオンの手のひらに透明な筒が乗っているのが見えた。――青い光をたたえた、ミスカーテの毒だ。
「あの神と対峙したくないからミスカーテも退却したんだろう」
 鼓動が跳ねるのを自覚しながら、レーナは口角を上げる。そしてアスファルトに気づかれぬよう、透明な筒を握りこんだ。これは一つの鍵となり得る。彼女は足の痛みは無視して、そのままおもむろに立ち上がった。結わえた長い髪がふわりと揺れ、背中を撫でる。
「横入りのある状況で相手取るのは危険だからな」
 今現在、地球で最も強い神が戻ってきた。その意味は重い。ミスカーテが退散したのは魔神弾が暴走しかけているせいもあるだろうが、あの男がいなければそう判断しなかったはずだ。魔神弾のでたらめな動きはミスカーテの毒の影響を薄めてしまうから、この状況ではまともにやり合えないと考えたのだろう。そうでなくとも、ミスカーテは元々高みの見物が好きな方だ。真正面からかの神と戦うのは避けたかったに違いない。
「なるほどな」
「アスファルトも帰ったらどうだ?」
「忠告はありがたいが、お前が来るというのなら考えないでもないな」
 腕組みしたアスファルトは気怠げな眼差しのまま口の端を上げる。高位の神と魔族が本気でぶつかり合う状況がどのようなものか、彼も理解しているはずだが。それよりも彼女を連れ戻すのを優先するというのか? 彼女としてはありがたくない判断だ。こんな場所で大技が使われるなど洒落にならない。リシヤの結界から離れているとはいえ、影響が皆無とは言い切れないだろう。ならばアスファルトには速やかに帰還してもらわなければ。
「結局そこに戻るのか」
 軽く首をすくめつつ、レーナは頭を傾けた。どうしてこうも自分にこだわるのかと、問いかける意味はないので止めておく。大切だから以外に理由がない。大切だから好きにさせ、大切だから気に掛け、大切だから傍に置きたがる。そこに理屈などないのだ。それは彼女も同じだ。大切だから生きていて欲しいし、大切だから幸せになって欲しいし、大切だから守りたいと思う。単純だからこそ譲れない。

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