white minds 第一部 ―邂逅到達―

第九章「再会」2

「本体が来てしまいましたね」
 現状を端的に述べる自分の声がいつも通りであることに、梅花はひっそりと安堵した。もっとも、状況は最悪の部類に近い。建物の残骸にまみれた辺りは足場も危ういし、視界も悪い。加えてダンとようはまともな技が使えないほどに疲労していた。サイゾウの動きも鈍くなっていて、今はもう座り込んでしまっている。よく飛び回っていたミツバも、彼女の斜め後ろで背中を使って大きく息をしていた。もちろん彼女とて俊敏な動きは期待できない。豊富にあるのは精神量だけだ。
「うわぁ、最悪だね」
 苦々しい声で呻くミツバに、同意以外の言葉が見つからない。砂煙の向こうから瓦礫の隙間を縫うように近づいてくるのは魔神弾だ。ゆらめく影のような彼の手の先が、黒い鞭のごとく伸びて地の上を這いずり回っている。あれが縦横無尽にミリカの町を食い尽くしているのかと思うと、どうしたって眉根が寄る。
「僕もそろそろ疲れてきたなぁ。ダンはもう動けないでしょ?」
 肩をすくめたミツバは、どうやら背後を振り返ったようだ。梅花は気配でそれを感知する。視線は先ほどからずっと、魔神弾へと固定している。
「ああ、動けても技が使えねぇよ。休憩なしはきつい。これはお昼寝が必要だな」
「だよね。僕も足マッサージして欲しい」
「ついでにおやつの時間も欲しいな」
 ミツバとダンの気楽なやりとりは明らかに強がりだ。二人の纏う余裕のない気が如実に焦りを伝えてきている。梅花はかろうじてため息を飲み込んだ。すると砂っぽい風に煽られて長い髪が揺れる。視界を遮る一房を、彼女は指先でそっと払いのけた。先ほど黒い鞭を避けた際に、髪を結わえていた紐がどこかへ弾け飛んでしまった。戦闘の邪魔になるのなら、この戦いが終わったら切ってしまってもよいかもしれない。――無事に乗り越えられたならの話だが。
「ずいぶんのんびりとした歩みね」
 梅花は独りごちた。姿は見えているのに、なかなか魔神弾との距離が縮まらない。瓦礫の山が邪魔なのか? それを飛び越えないのは何か意味があるのか? 理由がさっぱり思い浮かばない。まさか飛び越える知能がないわけではないだろうし。
「オレたちを追い込むつもり……って感じでもねぇよな」
 独り言に反応したのはサイゾウだった。仕方なくといった調子でのろのろと立ち上がり、横に並ぶ。彼女は頷いた。こちらをなぶるつもりはないらしいというのは、魔神弾の気からもわかる。そういう感情は滲み出ていない。不安定に膨らんだり縮んだりを繰り返してはいるが、何故か負の感情は感じ取れない。まるでこちらに引き寄せられているかのようだ。彼女たちが邪魔をし続けていることに、ついに焦れたのか?
「本体相手は辛いよなぁ」
 サイゾウが唸る。しかしよい面もある。魔神弾本人がこちらに向かってきているということは、周囲の心配は不要であることを意味していた。あの黒い触手が四方八方止めどなく伸びるようだと被害は拡大する一方だが、今はそうではない。これならば人々の避難もどうにかなるだろう。この隙をついて宮殿の者たちが動いていてくれることを願うばかりだ。
 もちろん、そのせいで仲間たちが命を落とすようでは意味がない。仲間だから犠牲にできるというものでもない。そもそもこんな風に体を張る義務など、神技隊にはない。梅花は瞳をすがめて深く息を吐いた。こういう時に無理をするのに躊躇いはないが、タイミングを間違えると意味を成さないのも理解している。使いどころが肝心だ。
「おい、梅花。何かするつもりなのか?」
 すると穏やかではない考えを嗅ぎ取ったらしく、サイゾウが声を震わせた。勘がよいと言うべきなのか、思考や行動が筒抜けだと笑うべきなのか。梅花は頭を傾けながら髪を耳にかける。
「何もしなかったら私たちも死ぬでしょう」
 言葉にすると現実は重い。そうならないためには、具体的にはどうすればいいのか。魔神弾を戦闘不能にするほどの精神系の技となると、かなりの精度が必要そうだった。もちろん、多量の精神を消費するだろう。それを確実に命中させるにはそれなりに策がいる。
「おいおいまさか、梅花一人で何とかする気じゃ……」
「サイゾウたちはもう技が使えないでしょう?」
「いやいや、だからって無茶は止めろよ! 青葉に何て言われるか――」
 ちらと左手に視線を転じれば、サイゾウは顔を青ざめさせていた。不思議なことだが本当に止めたいらしい。それにしてもここでどうして青葉の名前が出てくるのか? そう訝しんだところで、彼女はふと気がついた。遠くの方で気の動きがある。この気配は……。
「青葉たちだわ」
 後方より近づいてくる気が二つ。それは青葉とアサキのものだった。前方から迫る魔神弾の気にばかり意識を取られていたが、よく注意すれば感じ取れる。なるほど、魔神弾の遠方への攻撃が止んだということは、ピークスへと加勢に行った青葉たちの方も落ち着いたということだ。
「え、青葉?」
「青葉たちが来るのか!?」
 首を捻るサイゾウに続いて、ダンが喜びの声を上げた。その口調には活気が戻っていた。青葉たちがいた位置からなら、魔獣弾と滝が戦っている辺りの方が近いと思うのだが、どうしてこちらに来るのだろう。その点は疑問だったが、正直に言えば助かった。梅花は大きく頷き、近づいてくる魔神弾へと一瞥をくれる。
「はい、これで何とかなりますね。とどめは青葉に任せられます」
 風に煽られた髪を、梅花は手で背へと流した。あの魔神弾を一撃で仕留めなければと考えると手段は限られるが、青葉が来るなら話は別だ。ならば自分の役割は決まった。梅花は魔神弾をひたと見据えた。視線が合った途端、彼の歪な表情がかろうじて笑顔の形を取る。
「後ろは任せますね!」
 梅花は地を蹴った。今一度精神を集中させて生み出したのは、青白い不定の刃だ。彼女が使える精神系の技の中では一番精度が高い。その分、相手に接近しなければならないが、この場合は仕方なかった。自分が近づけば魔神弾の目は仲間たちには向かないだろうという狙いもあった。魔族は精神系の技を危険視している。
 魔神弾の腕が動いた。ばちんと地で跳ねた黒い鞭が、真っ直ぐこちらへ突き進んでくる。彼女は軽い跳躍とともにそれをかわすと、まずは一閃。横薙ぎにした刃はあっさりと鞭の半ばを切り裂いた。その先端が地でのたうっているのを視界の隅に捉えつつ、彼女はさらに走る。
「梅花!」
 背後から聞こえるのはサイゾウの声だ。無茶だとでも叫びたいのだろう。無論それは百も承知だ。けれども時間がない。青葉たちが辿り着く前に梅花の体力が尽きれば意味がなかった。
 魔神弾の気はやはり異様に膨らんだり縮んだりを繰り返して落ち着かない。そのせいで、彼がどのタイミングで技を放つのか予測しづらかった。何でも気を頼りにする彼女たちの悪い点だろう。だが今は、それすらもどうでもいい。やるべきことは決まっている。
「私はっ」
 深手を負わせればいい。それまで体がもてばいい。その先は、今は考えない。見つめるのはこの瞬間だけ。
 地が揺れて、黒い光が肩のすぐ横をかすめていく。再度迫る何かに対しては、背を屈めることでやり過ごした。それでも速度は落とさない。ただただ青白い刃に意識を集中させた。
 強く地を蹴り上げると、足下を黒い鞭が通り過ぎる感覚があった。と同時に、左手から黒い物体が迫る気配がする。だが梅花はそれをあえて無視した。
「私を――」
 左腕に絡みつく何か。おそらく黒い鞭だ。焼け付くような痛みにもかまわず、彼女は右手を振り上げた。しかし青白い刃はあと一歩のところで届かない。その切っ先が魔神弾の髪を幾つかかすめ取るのみだ。視界が一瞬だけ白む。
「信じる!」
 魔神弾の口角が上がるのが見えた。それは不器用な表情だったが、今までの彼よりも幾分か生き物らしい顔だった。獲物を前にした時の眼光を思わせる強さで、彼女を凝視する瞳。
「っつ」
 左腕が握りつぶされるのではないかという恐怖から目を逸らし、彼女は耐えた。待った。そして魔神弾の左手の先がまた鞭の形を取ろうとする直前、そこを狙って、不定の剣を振り下ろした。それは本来なら先ほどと同じく魔神弾の体をかすめるだけで終わっただろうが――。
 ついで空気を振るわせたのは、悲鳴だった。忽然と大きく、長く形を変えた青白い刃は、魔神弾の左肩に深々と埋まった。獣じみた魔神弾の叫声を間近で聞きながら、梅花は奥歯を噛みしめる。焼き尽くされたのではと思うような左腕の痛みに、つい精神の集中が途切れそうになる。しかし刃が消えた瞬間、それこそ左腕は潰されてしまうだろう。
 空を見上げながら叫び続ける魔神弾の肩に、少しでも深く、深く。そう念じながら息を詰めていると、徐々に視界の中で白い光が弾けるようになった。魔神弾の悲鳴に耳鳴りが混じり始め、限界が近いことを悟る。こんなに近くにいるのに、魔神弾の気さえも判別できない。唇まで噛んでしまったのか鉄くさい味がした。
 体が傾ぐ。倒れまいとさらに強く歯を食いしばった時、不意に耳鳴りに何か別の音が混じった。それが男性の声だと認識した途端、散らばり始めていた意識が戻ってくる。
「オレの――」
 目の前で爆ぜる白い光が消える。世界に満ちる音がより明瞭になる。
「梅花にっ」
 背後から迫る気配。ついで消え去る左腕の圧迫感。突然の変化に体勢が崩れそうになるのをどうにか堪えた時、上から何かが落ちてきた。
 それが人間だと認識すると同時に、梅花は刃を消す。本当は飛び退りたかったが、それだけの体力は残っていなかった。まるで体が鉛にでもなったかのような重さに引きずられ、その場に片膝をつく。
「何してくれんだっ!」
 ざくりと軽い音を立て、魔神弾の左肩から先が切り落とされる。咆哮が空気を振るわせる。数度瞬きをしてようやく視界が戻るのと、声が掛けられるのは同時だった。目の前に降り立った背中を、梅花はおもむろに見上げる。
「梅花っ」
「……青葉」
 聞き慣れた声。そこに若干の憤怒が混じっているのは気を探らなくともわかることだ。長剣を構えたまま肩越しに振り返った青葉は、予想通りまなじりをつり上げていた。だがどんな叱責が飛んでくるかと思えば、続いたのは低く抑えた舌打ちのみ。ついで伸ばされた手に右腕を引かれた。もつれかけた足でどうにか立ち上がれば、ふらつく体が引き寄せられる。このままでは明らかに自分は邪魔だろうと思うのだが、だからといってこの場から後退するだけの気力も体力もなかった。仕方なく抱き寄せられたままでいると、彼が剣を構え直す気配がする。
「ったく、何でこんな無茶ばっかり――」
「青葉の気を、感じたからよ」
 愚痴るような青葉の言葉に、梅花はそれだけを返した。ほっとしたのかまた急速に意識が遠のき始める。口を開くのも億劫な気だるさが全身に広がっていた。
 だが、まだ安堵してはいけない。ここだけが全てではない。彼が息を呑むのを感じながら、彼女は奥歯を噛んだ。揺らぐ魔神弾の気とは別の何か、抑えていてなお鮮烈な気が現れたことを、散らばりかけた意識の中でどうにか彼女は把握した。
 戦いは、まだ終わらない。



 走り続けるリンの耳に飛び込んできたのは、誰かの悲鳴だった。この声はサイゾウのものに似ている。ということはネオンだろうか?
 目を凝らしながら速度を上げると、瓦礫の向こうで赤い光が瞬くのが見えた。あれは炎の剣だ。それを振り下ろそうとしているのは、赤髪の男――ミスカーテだ。
「ネオン!」
 ミスカーテの背後で立ち上がったのはアースだった。レーナは彼の横で左脇腹を押さえて膝をついている。どう楽観的に解釈しようとしても、最悪の状況としか表現できない。リンは瞳をすがめた。あそこに自分が飛び込んでいく意義が見いだせない。レーナが神技隊を守ろうとしているのなら、逆に足手まといになるのではないか?
 それでも走る足は止まらないし、他に何か考えが浮かぶわけでもなかった。ミスカーテの気を一瞬でも引くことができればいいかと運に任せることにする。こちらがラウジングの短剣を持っていることは誰も知らないはずだ。それがうまく活かせたらよいのだが。
「なるようにしかならないものね」
 刹那、前方の気が膨らむ。ミスカーテはアースへと青い光球を放って牽制しながら、振り上げた刃を地面に突き立てた。――否、ネオンを突き刺したのだろう。耳を塞ぎたくなるようなネオンの悲鳴に、リンは胸が押しつぶされそうな心地になった。こんな声は聞きたくない。現実を現実と認識したくない。それでも目は逸らせなかった。ミスカーテの気に滲んでいる喜びの色から、拷問でも始まるのではないかと危惧してしまう。
「本当、嫌になる」
 小さく舌打ちしてから、リンは左手を前方へと突き出した。手のひらから生み出したのは強い風だった。小さな瓦礫と砂塵が舞い上がり、視界を悪くする。それでもミスカーテがちらとこちらを見やるのが目に入った。驚いた様子もないのは、やはりリンの接近を感知していたからだろう。彼女は気を隠していないのだから当然だ。
「来るな神技隊!」
 今の技で、アースもこちらの動きに気づいたらしい。切羽詰まった怒声が響き渡る。と同時にレーナが立ち上がるのが見えた。リンは短剣を握る手に力を込めた。
 ミスカーテの強烈な気がさらに膨らんだ。それとほぼ同時に、目の前に突然何かが飛び込んできた。思わぬ現象に慌てて足を止めると、その飛び込んできた何かがレーナの背であることに気がつく。
「……え?」
 先ほどまでミスカーテの向こうにいたはずのレーナが、目の前にいる事実をどう解釈してよいのか。リンにはわからなかった。どこをどう見ても、考えても、瞬間的に移動してきたとしか思えない。走ってきたわけでも、空から降りてきたわけでもなかった。レーナは確かに忽然と現れた。
 ついで、空気を揺さぶるような圧迫感に襲われた。目をすがめつつ前方を見据えれば、粉塵を裂くように赤い風が迫っていたのがわかる。それがリンに届かなかったのは、レーナの結界のおかげだ。
「レーナっ」
 リンは声を張り上げる。赤い風を追いかけるようにミスカーテが近づいてくる。軽い調子で地を蹴る彼の気には愉悦の色が満ちていた。圧倒的な強者の持つ余裕に、リンの背筋は粟立つ。
「結界の準備だけしていろっ」
 レーナは素早くそう言い捨てる。そして風を防いでいた結界を即座に消し、白い刃を生み出した。何度か見た覚えのある、いまだに何系なのかわからない技だ。精神系にも似ているがどこか違う。かといって魔獣弾たちが使っているという破壊系とも印象が異なっていた。それを構えたレーナはミスカーテに向かって跳躍する。
 空気が震えた。それはかつて感じたことのない強烈な波だった。ミスカーテが次々と繰り出す黒い光弾を、伸びながらしなる白い刃が切り裂いていく。その度にまるで空間ごと軋むような気の波動が押し寄せてきた。息が詰まりそうな圧迫感に、足から力が抜けそうになった。
 レーナの刃の動きは、もはやリンの目で捉えられるものではない。分裂しているのでなければどうやってあれだけの数の光球に対処できるのか。しなるから、伸びるからというだけでは納得しきれない。
「やはりっ!」
 ミスカーテが歓喜の声を上げる。飛び上がった彼の手のひらから、先ほどよりも巨大な黒い風が生まれる。これは刃で切り裂いても意味がない。レーナはすぐさま左手で結界を生み出しつつ、後方に向かって地を蹴った。通常ならば間に合わないところだが、やはりそこはレーナだ、精度の高い透明な膜が見事に黒い風を霧散させる。
「君は!」
 だがその風すらも、ミスカーテにとっては単なる目くらましだったらしい。続く黄色い光球が、力を失った結界を貫いた。ばちりと爆ぜるような音がした。眩しさに目を細めたリンの視界で、再度黄色い光が瞬く。押し殺そうとしたレーナの悲鳴が、ぞっとするほど強くリンの耳に残った。
「人間がいる時の方が本気を出してくれますね」
 だらりと垂れ下がったレーナの左腕から、できることなら目を背けたかった。かろうじて立っている彼女に向かって、ゆっくりミスカーテが近づいてくる。煙った空気の中でも、ミスカーテが微笑んでいるのはよくわかった。
「精神系も破壊系も使いこなすなんて、大変な逸材だ。それにその気の察知力、反応速度、ただの技使いを器としているにしてはできすぎている。本当に不思議だよ。調べてみたいなぁ。切り刻んだらさすがにまずいかな。痛みは普通に感じるみたいだしね?」
 物騒なことを口にするミスカーテの目に宿っているのは、確かな好奇心だ。なぶるための言葉ではなく、本気でそう思っているらしい。リンは唾を飲んだ。一方のレーナは何も答えない。リンの前で動くことなく、じっとミスカーテを睨みつけているようだった。
「手足を切り落とすくらいだったら平気?」
 こてんと、ミスカーテは首を傾げる。すると向こうからアースが駆け寄ってくるのが、砂っぽい風の中でも捉えられた。彼の剣が鈍い光を帯びているからリンの目でもよくわかる。だがいくらアースでも、このミスカーテには敵う気がしない。
「それとも」
 アースの方へと振り返ったミスカーテは、軽く肩をすくめた。縮れたような朱色の髪が、ふわりと空気を含んで揺れる。
「君よりも君の仲間たちを先に片づけようかな? さっきからうるさいし目障りだからね。一人くらいなら死んじゃってもいいよね」
 ゆくりなくミスカーテが足を止めた、その時だった。空から忽然と、光が落ちてきた。リンにはそのようにしか表現できなかった。ついで襲い来る爆風に耐えきれず、足が地面から離れる。肺がちりちりと痛んだような錯覚に襲われた。何が起こったのかわからない。わからないが、自分の体が地面を転がっていることだけは理解する。
「うっ」
 背中に堅い何かがぶつかり、息が搾り取られる。おそらく瓦礫だろう。必死に目蓋を持ち上げたリンは、まず短剣を手放していないことを確認した。それから強い気が集まっている方へと視線を転じる。乱れた髪の隙間から、何かが見えた。生理的に滲んだ涙を瞬きで払い落とし、彼女は眼を見開く。
 爆風の中心にいたのは銀の狼だった。いや、よく見ると狼とは違うのかもしれない。この位置、距離からでもすぐにわかるということは、おそらく本来の狼よりもずっと大きい。その丸い瞳は緑に輝きながら、辺りを注意深く観察しているように見受けられた。
「何なの、あれ」
 手をついたリンはよろよろと上体を起こした。背中は痛むが動けないほどではなさそうだ。どうにか呼吸も整ってきた。腰を押さえながら立ち上がれば、銀の狼の向こうにミスカーテがいるのがわかる。レーナとの位置を考えると、狼を避けて後退したらしい。アースも爆風に巻き込まれたのか、直前に見たよりも左方へと移動している。レーナはただ一人、先ほどと同じ体勢でその場にたたずんでいたようだった。結界でも張ったのか? まさか彼女はこの狼の到来を予測していたのか?
「人の研究の横取りをするのは止めろと、何度も言ったはずだがな」
 驚くことに、狼から声がした。いや、亜空間でのラビュエダのことを考えたら予想するべきだったのかもしれない。リンが息を呑んでいると、不意に狼を白い光が包み込んだ。その体が細く長く伸びていくのを、ただ呆然と見つめるしかない。
「まだ懲りてないのか」
 銀の狼は、人の形をとった。長身の男のようだった。深い緑の髪を後ろで一つにくくり、白い長衣を羽織った男だ。ミスカーテの方を向いているせいで顔立ちも表情もわからないが、その声には明らかに呆れが滲み出している。

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