エッセンシャル技使い

第五話 「幸せな技使いの役割」

「――君は、この町の技使いなのか?」
 動揺を落ち着けるためか、一度頭を振ったカイキは質問の方向を変えた。女性は気怠そうに首を縦に振った。癖のある黒い髪が、硬いベッドの上で跳ねる。
「私はヤーシャン。この町で育った技使いよ。久しぶりに戻ってきたら、こんな訓練所ができていて。技使いが戻ってこないから困ってるんだって、町長に泣きつかれて調べに来たの」
 なるほど、この町出身だから事情にも通じているのか。僕は一歩ベッドの方へと近づいた。よく見ると、ヤーシャンの顔も青ざめているようだった。薄明かりの下でははっきりしないけれど、健康体には見えない。彼女も精神を吸い取られているんだろうか? でもそれならどうして彼女だけが起きているんだろう? すると少しだけ眉根を寄せて、彼女は口を開いた。
「ここまで来たってことは、あの子も見たんでしょう?」
「あの子?」
「金髪で色白の、可愛い子。あれ、町長さんの娘よ」
 僕の脳裏に、この訓練所で最初に見た金髪美少女の姿が浮かび上がった。色白すぎて駄目だって、サンテイスじいさんが言っていた華奢な子。あれが町長さんの娘だって? 本当に? ……全く似ていない。
「あの子を助けたかったら技使いをもっと連れてこいって言われているみたいね。だから町長さんも必死なのよ。あの子、もう目覚めることはないでしょうけど」
 ヤーシャンは軽く目を伏せた。その声音からは、先ほどにはないもの悲しさが感じ取れた。息を詰まらせた僕の喉からは、質問の言葉が出てこない。つまり、町長さんも共犯ってこと? 僕の直感は間違っていなかったってこと? 僕らははめられていた? 疑問を口に出すこともできず仕方なくカイキを見やると、眼を見開いた彼はやおら首を傾げた。
「おい、ちょっと待てよ、それどういうことだ……?」
「気づかなかった? あの魔物、どれくらい精神を吸い取られたら人間が死ぬのかってわかってないみたいなの。取られすぎて死んだ技使いもいるって。あの子も吸われすぎて、最初の一回でもう取り返しのつかない段階まで進んじゃったようね。私は精神量が多いからこうして起きていられるけど、大半の技使いは眠ったまま。ある程度回復してきたらあいつが吸い取っちゃうから、さ。でも吸い取りすぎて死なれても困るから、あいつも試行錯誤してるみたいなのよ」
 すらすらと説明していくヤーシャンの眼差しは、僕らを捉えていなかった。彼女はぼんやりと天井を見上げていた。僕が聞きたいのはそういう話じゃあないと言いたいけれど、それとは別に疑念も湧き上がってくる。
 ずいぶんと詳しい。事情に通じすぎている。何故そんなことまで知っているのか? 先ほどの話から考えると町長さんが僕らを罠に掛けたようなものだが、でも本当に悪いのは町長だけなのか? もしかして町のみんなも知っている? 疑心暗鬼ばかり膨らみ、目眩がした。
「何でそんなことまで知ってるんだ?」
 同じことを考えていたのか、カイキが顔をしかめた。流れの技使いを騙そうとする人間がいることは、経験から知っているんだろう。特に安く済ませるために都合の悪いことを口にしない依頼主は多い。するとヤーシャンは、今にも噴き出しそうな顔をして口の端を上げた。彼女の黒い瞳が僕やカイキへと向けられる。そこには哀れみの色さえ浮かんでいるように見えた。
「もしかして、私のこと怪しんでるの? あいつが話しているのを聞いたからよ。魔物は一匹だけじゃあない。精神を吸い取るための小瓶を持ってくる魔物がもう一匹いるわ。でもいつもいるわけじゃなくて、たまに様子を見に来るのよ。あいつらの話を聞いていたら、何でこんなことになってるのかわかってきた。町長さんも馬鹿よねえ。生け贄みたいに技使いを差し出したりしないで、もっと強い技使いをちゃんと探せばいいのに」
 ヤーシャンは鼻で笑った。本当だ。本当に馬鹿だ。魔物にいいように利用されているだけなんて、馬鹿みたいだった。ちゃんと探せば強い技使いはいる。ちゃんとお金を出せば実力のある流れの技使いだって来てくれる。この町には、この星にはいないかもしれない。でもどこかにはいる。本当にどうにかしたいと思ったら、方法はあるんだ。何も知らない僕らを騙し討ちしなくてもいいんだ。
「……強い技使いがいるって、知らないのよ。こんな小さな町にずっといるから、世界が狭いのよ。魔物に勝てる人間がいるなんて信じられないのよ。騙される技使いばかり見ているし」
 そう続けるヤーシャンの口調に、自嘲気味な響きが混じっていることに僕は気づいた。ああ、彼女は悔いてるんだ。こんな風になったことを、誰も助けられないことを悔やんでるんだ。そして、もしかしたら、こんな事態に僕らを巻き込んだことを心苦しく思っているのかもしれない。これには僕の希望も混じっているけど。
「私も、ここに夢を抱いてやってきた技使いのことを笑えないわ。技使いなのにって言われるのが嫌で町を飛び出したから……。大して役に立たない、なんて思われたくなかったの。もっと強くなりたかった。感謝されたかった。お前がいてくれて助かったよって言って欲しかったのよ。愚かよね」
 胸が痛かった。ヤーシャンの気持ちがよくわかった。手に負えないと疎まれ、役立たないと罵られ、それなのに恐れられ、本当に僕たちは厄介な存在だ。英雄にも悪党にもなりきれない中途半端な人間だ。ただ妙な力が使えるってだけで、こんな状況に放り込まれる。せめて実績が欲しいと何度願ったことか。
「くっそ、なんだよそれは! みんな馬鹿だろうっ。技使いを何だと思ってるんだよ!」
 すると突然、カイキが毒づいた。吐き捨てるような声だった。俯き気味のせいで、僕からは表情がよく見えない。でも怒っているんだろう。カイキみたいな奴でも怒鳴ることがあるんだと、何だか妙なところで感心した。いつでもへらへらしていると思ってた。
「何で皆そんなに簡単に諦めてるんだよ! 得体の知れない誰かに頼って、利用されてるんだよ!」
 カイキの叫びを耳にして、僕は半眼になった。まさか先ほどの自分の発言を忘れたんだろうか? 仲間の助けを当てにしようとしていた奴がよく言う。それとも仲間は特別とでも言いたいんだろうか? それはそれでずいぶんと都合のいい理論だ。
 でもここで口を挟んでもややこしくなるだけなので、僕は黙っておいてやることにした。もし、うまく、ここを抜け出すことができたら、それを理由に何かせびってやる。
「弱いなら弱いなりにやるしかないだろう。やりたいようにやるだけだろう。オレたちは感謝されるためだけに、技使いとして生まれたのかよ。別に誰かに頼んで技使いになったわけじゃあないだろうに。くそっ」
 どうしてカイキがそんなに腹を立てているのか、僕にはよくわからなかった。カイキはそういう苦労をしたことがないんだろうか? 近くに『特別』な仲間がいたから? そうだとしたら恵まれているだけだ。よほどの実力者でもない限り、大概の技使いなら何度も抱いたことがある感情だろうに。だって僕らはどんな物を利用してでも英雄の振りをしなければ、この世の中では生きていけない。
「あなたは幸せなのね」
 ぽつりと、ヤーシャンが呟いた。寂しそうな声だった。それなのに嬉しそうだった。僕もそう思う。カイキは幸せな技使いだ。いや、魔物と何度も遭遇している点を考えると、幸運だとは思えないけど。でも幸せ者だ。それなのに当のカイキは怪訝そうに首を傾げていた。きっと彼はこの事実に一生気づけないに違いない。
「はあ? 幸せ?」
「ええ。って長話をしている場合じゃあないわね。そのうちあいつはここにも来る」
 唐突に、ヤーシャンの口調に鋭さが増した。彼女は視線を扉の方へと向けた。といってもろくに首が動かせないので、きちんと見えているわけではないだろう。それでもつられて僕らは扉を見やる。
 あの鮮烈な『気』はまだ近づいてきていない。でもヤーシャンの話を総合すると、時間の問題かもしれなかった。きっとサンテイスじいさんの精神を吸い取って次の準備を終えたら、こちらにも来るはずだ。僕らを逃がすつもりはないに違いない。
「そうだな。事情がわかったなら策も練りようがある」
 カイキは大きく息を吐いて頷いた。確かに、魔物の狙いはわかった。けれども策と言っても僕には知識がない。どうすれば魔物を倒せるのかも知らない。あの紫髪の男に勝つところを、脳裏に描くことさえ難しかった。
 カイキはまずは冷静になろうと努めているのか、固く瞼を閉じて深呼吸を繰り返していた。ヤーシャンはただ僕らを見守っている。ほんの少しだけ、部屋の中を沈黙が満たした。
「よし。動けそうにないヤーシャンには悪いが、ここであの魔物を迎え撃とう。あいつが技使いを殺したくないなら、その方が気が散る材料が増えるはずだ」
 目を開いたカイキは、まずそう提案した。僕が反論する理由はなかった。ヤーシャンも文句を言うつもりはないようで、唇を引き結んだまま黙っている。カイキは彼女へ一瞥をくれると、今度は僕の方に向き直った。
「トロンカ、剣は扱えるか?」
「剣? 得意じゃないよ?」
「使えるならいい。オレの短剣、お前が使ってくれ」
 カイキは腰からぶら下げていた短剣を、僕へと差し出してきた。鞘も柄も黒い奴だ。意図がわからずに僕は首を捻る。何故そんな物を僕に押しつけるんだろう? 使い慣れていない道具なんて魔物相手には役に立たないだろうに。
「これをどうしろって言うんだよ」
「これを、じゃなくて、これで、だ。魔物には普通の技は効かないんだ。あいつらには精神系って言われる類の特別な技しか通用しない」
「……え?」
「でも精神を込めた武器なら、倒せる。その短剣には精神を込めることができる」
 僕が受け取った短剣を、カイキは真顔で指さした。実に淡泊な説明だった。僕は数度瞬きをしてから、彼が何を言わんとしているのか理解する。それは、つまり、僕に魔物へのとどめを刺せと? 僕に倒せとそう言っているのか?
「え、ちょっとカイキそれって――」
「あいつがこの部屋に入ってきた瞬間、オレはあいつに先制攻撃を仕掛ける。あいつがオレをどうにかしようとしている隙を突いて、お前がその短剣で攻撃しろ。一撃では無理かもしれないが、何度も突き刺せば殺せるはずだ」
「待ってよ、正気!? それってカイキが囮になるってことでしょう!?」
 つい声を荒げてしまった。自ら小瓶の餌食になるとでも言うのだろうか? ここに来て殊勝な提案だなんて意味不明だ。理解できない。まさか今になっていい人ぶるつもりでもないだろうし。僕はカイキを睨み上げた。
「どうして自分からそんな危険な役目を!? まさか、自己犠牲のつもり? それとも嫌なこと続きで狂ったの?」
 僕自身も何で怒っているのかわからなくなってくる。別に、自分が嫌な役回りを押しつけられているわけでもないのに。……とどめを刺す自信がないから? それはあるかもしれない。
 当の提案者であるカイキは、ゆるゆると首を横に振った。さらりとした髪が揺れる様が、場違いに綺麗だった。ついでカイキは口を曲げると、腕組みをする。
「そんなわけがあるかっ。お前、魔物と戦ったことないんだろう? だったらオレの方が適任だ。別に自殺願望とかはねえよ」
 嘆息混じりにカイキは言い切った。そう言われてしまうと、僕は反論できなかった。確かに僕が先制攻撃に出ても、大して効果はない。時間稼ぎにもならないし、隙を作ることも難しいかもしれない。そもそも僕は補助系の使い手で、防御の方が得意なくらいだ。
「オレたちみたいな技使いは、泥臭いくらいにがむしゃらに立ち向かわなきゃ魔物なんて倒せないんだ。無傷で勝とうとする方が無理がある。異論はないだろう?」
 カイキの真面目な言葉に、僕は仕方なく首を縦に振った。ようやく、彼が何を言わんとしているのか理解した。そうだ、とにかく生きて戻りさえすればいいんだ。怪我なら技で治せる。死んでいなければ何とかなる。多少の痛みは覚悟しなきゃ駄目なんだ。出血量にさえ気を遣っておけば大丈夫だろう。
 僕はカイキの短剣を強く握りしめた。ひとりでに喉が鳴る。たった今決意を固めたはずなのに、早くも膝が震えそうだった。
「わかったよ。死なない程度に死ぬ気でやる」
 それでも強気にそう宣言してやると、カイキはニッと口角を上げた。してやったりという顔だ。僕はヤーシャンへちらりと目をやり、奥歯を噛む。そして魔物のあの青い瞳を、できる限り思い出さないように努力した。恐怖に負けた技使いの末路なら、もう何度も目にしている。精神を集中するだけの冷静さを失ったら、技使いだってただの人間だった。

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