ファラールの舞曲

第七話 「闇の吐息」 (後)

 近づく足音を耳が拾い、ギャロッドは振り返った。湿気を含んだ土を蹴り上げる音は、よく聞けば複数ある。振り向いてすぐ視界に入ったのは、壁沿いに近づいてくる男たちの姿だった。手前にいる一人は黒いコートを羽織ったテキアだ。その後ろにいる妙な長衣を着たのは、直接護衛のバンだろう。テキアよりも背の低い彼の姿は、時折しか目には届かない。
「テキア殿」
 その名を呼んで、軽くギャロッドは一礼した。すると慌てたケレナウスがギャロッドの後方へと下がり、かしこまった様子で直立する。ギャロッドはそれを横目に小さなため息をついた。
「ご苦労様です、ギャロッド殿」
「いえ、仕事ですから。しかしテキア殿、こんな所へ顔を出されるなんて危険なのでは?」
「大丈夫です、今日はバン殿が一緒ですからね」
 傍まで来ると、テキアは薄い笑みを浮かべてバンを一瞥した。その切れ長の瞳にはどこか不思議な艶があって、思わずギャロッドは息を呑む。ただバンは不敵に口角をつり上げただけで、何も口にしなかった。当たり前だとでも言いたいのだろうか。その様は心強いとともに、まるで別世界の生き物でも見ているような気分にさせる。
「護衛が一人、殺されたと聞いたのですが」
 先に話を切りだしたのはテキアの方だった。言いづらいことを口にされて、ギャロッドは沈鬱な面もちで首を縦に振る。犠牲者が出ないと思っていたわけではない。相手が魔物なのだから、おそらく多くの死者が出るだろうと覚悟はしていた。けれどもこんな形で、というのは予想外だった。これは今後の護衛を考える上でもありがたい話ではない。
「はい、おそらく技によるものでしょう。胸に大きな穴が一つ。それに手足にも鋭い傷が数カ所見られました。そのどれもが武器によるものではあり得ません」
「そうですか。それで、犯人の目星はついているのですか? やはり魔物で?」
「……実は、それすらまだわかっていないのです」
 痛い所を突かれて、ギャロッドは重々しく首を横に振った。これが魔物の仕業かどうかで、対応は大きく変わってくる。相手が魔物ならば外回りの護衛を増やすなりなんなりしなければならないし、彼らが何故そんなことをしたのか、その理由も考えなければならない。
 だがもし犯人が人間なら、その者を早急に捕まえる必要があるだろう。もし見つけられなければ、懐に爆弾を抱えているような状態になるのだ。そんな状況では護衛どころの話ではなくなる。
「そうですか、それは困りましたね」
 同じことをテキアも考えているのだろう。腕組みした彼は眉根を寄せて、地面へと視線を落とした。これが魔物の仕業だという確たる証拠が欲しかった。今まではわざとらしくゆっくりと去る魔物の姿が確認されていて、だから彼らの仕業だとわかっていたのだ。だが今回残されているのは死体のみだ。これでは判断できない。
「放っておきましょう」
「……は?」
 そこで誰よりも早く意見を述べたのは、テキアの後ろに控えていたバンだった。彼は一歩前に進み出ると、怪しく光る緑の瞳をテキアへと向ける。思わず間の抜けた声を上げたギャロッドは、そんな二人を交互に見た。テキアはバンの方へと顔を向けて、何故かと無言の問いかけをしている。
「我々を疑心暗鬼に陥らせるのが彼らのやり口なのです。屋敷外にいたのであれば誰の犯行かなど見分けはつかないでしょう? 魔物がやったのか人間がやったのかはもちろん、人間ならば外部の者の可能性さえあります」
「確かにそうですね」
 バンの説明に、テキアは小さく相槌を打った。だがそれだけでは納得できないものがある。だからギャロッドは意を決して口を開いた。バンを目の前にして発言するのはいささか勇気のいることだが、仕事のためだから我慢するしかない。
「しかし魔物ならば、一人だけ殺して帰るのは妙なのでは? 人間の可能性の方が高いような気がするのですが」
 気になっているのはその点だった。それに魔物ならば、以前そうだったようにもっと自分たちの仕業だと誇示していってもよさそうなのだ。その辺りの違いがギャロッドには引っかかっていた。しかしバンはさらに笑みを深くすると、長くゆったりとした袖を口元に持っていく。そしてくつくつと笑い声を漏らした。
「派手に暴れれば昨日のようなことになります。が、一人殺すだけならば闇に紛れて帰ることも容易い。ならばそうして我々が動揺するのを待っていた方が頭の良いやり方ではありませんか? 現にあなたは心乱れている」
 指摘されて、ギャロッドは小さくうめいた。バンの余裕な様子を見ていれば、さらに自分の愚かさを思い知らされる。昨日の戦いで魔物はあっさりと倒された。だからそのことを考慮して別の作戦に出てきたと、そう言いたいのだろう。
 確かにそれならつじつまがあった。内部犯を疑えば、勝手に護衛同士でつぶし合ってくれる可能性さえあるのだ。そんな上手い方法を魔物が見過ごすとも思えない。
「……さすがは光靱こうじんのバン殿、ですね」
「おや、知っていましたか」
「ここらの技使いで知らない者などいませんよ」
「それは光栄ですね」
 バンは瞳を細めた。その名前はファラールだけではない、その近くの星々でも有名だった。
 ファラールは大きさの割にこの界隈で中心となる活気ある星だ。その傍――と言ってもそれなりの距離はあるのだが――には、数個さらに大きな星がある。
 ギャロッドはそのうち幾つかでも働いたことがあるのだが、そこでもバンの名前を知らない技使いはいなかった。『光靱のバン』の由来は知られていない。しかし魔物とのある戦いがその発端であることは、ギャロッドも耳にしていた。つまりそれくらい有名なのだ。
「しかしそれでは納得しない護衛もいるでしょうね」
 するとそれまで黙っていたテキアが、ため息混じりのつぶやきを口にした。ギャロッドは彼の方へと双眸を向けて、その瞳に浮かぶ苦悩の色を瞬時に読みとる。
 あちこちから寄り集まった護衛たちにまとまりはない。流れの技使いといっても積んできた経験はまちまちで、魔物と対峙したことがほとんどない者さえいるようだった。魔物は全て獣の形を取っていると、そう信じていた者さえいた。
 そんな相手に魔物の巧妙な策を信じさせるのは至難の業だろう。しかも疑心を取り除くとなれば、ほぼ神業に等しいことは明白だった。
 現に背後で控えているケレナウスも疑わしげな顔をしていた。まだアースのことを犯人だと決めつけているのかもしれない。そういう者が他にいないとは、ギャロッドも断言できなかった。むしろその方が多いかもしれない。
「では適当に犯人を仕立て上げればいいのです。そうですね、実力は中の上くらいの辺りがいいでしょうか」
「――なっ!?」
 だがそこでバンが提案した対処法は、ギャロッドの予想を遙かに越えていた。声を上げたギャロッドは、信じられないといった目でバンを凝視する。本当に信じられなかった。これが『光靱のバン』と呼称され、尊敬された男の言葉なのかと自分の耳を疑いたかった。
 しかし現実は残酷だ。妖艶に微笑したバンは小さな眼鏡の位置を正し、テキアとギャロッドを交互に見る。その首の動きにあわせて、結わえられた墨色の髪がふわりと揺れた。
「そうすれば少なくともうっとうしい疑念は晴れます。仕事に支障は出ません」
「しかし、それは……」
「優秀な人材を失うのは痛手でしょう。しかし弱すぎては嘘だと感づかれてしまいますから、人選は重要ですね。でもやり方は簡単です。お金だけ与えて外に出てもらい、後であいつが犯人だったと噂を流せばいいんですよ。処罰したとでも言っておけば、ね」
 バンの様子は楽しげでさえあった。悪戯を思いついた時の、子どものような顔をしていた。対してギャロッドは何と返答したらいいのかわからず、口を何度も開閉させる。それは後ろのケレナウスも同様のようだった。ただテキアは難しい顔で押し黙り、瞼を伏せている。
「バン殿、しかし――」
「これが賢いやり方というものですよ? ギャロッド殿」
 何とか反論しようと上げた声は、あっさりバンの言葉に遮られた。最も敵に回したくない男が目の前にいると、心底ギャロッドはそう思う。その方が賢いのかもしれないし、結果的には正しいやり方なのかもしれない。だがギャロッドの良心が小さく痛んだ。
 そういった口先のごまかしは元々苦手なのだ。しかもその者にとっては後々の名誉や仕事にも関わってくるだろうと考えると、さらに気が進まなくなる。後に全てが尊敬するバンの策だったと知れば、その者はどう思うだろうか。
「わかりました。この件についてはギャロッド殿とバン殿に任せます」
 すると黙りこくっていたテキアが、そう言って顔を上げた。バンはともかく自分の名前を出されたことに驚き、ギャロッドは慌ててテキアを見る。
 しかしよく考えれば元々はギャロッドの仕事だ。気が乗らないとはいえ、断ることはできないだろう。仕方なくうなずいたギャロッドに対して、バンは嬉しそうに首を縦に振った。その長衣が触れ合って高い衣擦れの音を立てる。
「私はゼジッテリカの所へ向かいます。この騒ぎが耳に入っていなければと思うのですが」
「後でまいりますよ、テキア殿」
「そうですか。では先に部屋で別の仕事を片づけていますので、終わったら来てください」
「わかりました」
 バンと軽く言葉を交わしてから、テキアは元来た道を歩き出した。その背中を見て、ギャロッドは慌ててケレナウスへと目配せをする。
「ケレナウス、テキア殿を部屋まで護衛しろ」
「わ、わかりました!」
 ケレナウスは急いでテキアの後を追った。テキアは割と早足らしく、もうその背中は小さくなり始めている。まったく油断のならない雇い主だと、ギャロッドは胸中で嘆息した。あれほど気をつけてくれと言ったのに、まだ懲りていないらしい。しかも屋敷外で一人になろうとするなんて、自殺願望があるとしか思えなかった。
「ギャロッド殿は苦労性ですね」
 傍でその様を見ていたバンは、肩を振るわせて笑った。バンもバンだ。直接護衛なのに平気でテキアを一人で放ろうとするなど、職務怠慢だと言われても仕方のないことをする。けれどもそれを口に出せずに、ギャロッドは苦笑で答えた。
 苦労性だという言葉には、異論はなかった。

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