ウィスタリア
第三章 第十話「元より、そのつもりです」
「どこかに宇宙船が?」
ゼイツは空を見上げた。だが灰色の雲とちらつく雪があるばかりで、星々の姿も捉えられない。このさらに向こう側に宇宙船が隠れているのだろうか? そう考えると鼓動が速まる。せっかくクロミオが無事だったというのに、また難題が降りかかるとは。
寒さと疲労で思考も鈍っており、たたずんでいても仕方がないとは思うのだがため息しか出ない。みな同じ状況なのか、続く言葉もなく沈黙が続いていた。体に纏わり付く空気が重い。緩やかな風でさえ刺さる。
「その宇宙船は、本当に地球へと降りるつもりなのですか?」
ようやく、フェマーが重々しい口を開いた。確認する問いかけに、渋い顔をしたホランティオルが頷く。動く宇宙船というものをゼイツは見たことがない。せいぜいあの横穴の中で戦艦が動くのを見たくらいだ。しかしあれは例外的なものだろう。だから空から降りてくる宇宙船を想像しようとしても、うまくいかなかった。どれだけ巨大な物なのかも予測がつかない。
「降下を開始したということは、そうなのでしょう。途中で引き返すなどまず無理ですから」
「つまり大気圏外からいきなりの攻撃という可能性はなくなったってことですね」
「ええ」
フェマーがさらりと空恐ろしいことを口にすると、ホランティオルの顔がますます曇る。ゼイツの肩にも力が入った。宇宙船の中にはそのような力を持った物もあるのか? そのような物がまだ宇宙には存在しているのか?
もしかすると何も知らないまま焼き殺されていた可能性すらあるのかと、ゼイツの背を悪寒が走った。そうではなかったことに安堵すべきなのかもしれないが、笑い話にもできない。ゼイツは顔を歪めつつ、フェマーを一瞥した。何か思案している様子でフェマーは腕組みをする。
「つまり交渉の余地はあると」
フェマーの声がしんしんと降る雪の中に染み込んでいく。平静を保とうと努力しているのが、ゼイツにも見て取れた。宇宙から来る何者かに対してフェマーは交渉する気なのか? そもそも言葉が通じるのかどうかさえ、ゼイツには疑問だった。もっとも、数百年前にはこの星からも宇宙へと出て行った者たちがいたのだから、どうにかなるものなのかもしれないが。
「それで、ナイダートの使者は何と?」
辺りが静まりかえったところで、カーパルが一歩ホランティオルへと歩み寄る。雪を踏みつける音がやけに耳障りだ。ホランティオルは頭を振り、やや視線を下げた。彼の灰色の髪に積もった雪が、足下のものに混じる。
「ナイダートでは急遽、古代兵器を起動する準備中らしいですが、間に合わないだろうと。ジブルも同じような状況だそうです。ナイダートの使者は時間を稼ぐために派遣されたようですね」
「つまり、私たちにも時間を稼げということですね」
説明するホランティオルに、カーパルは苦笑を向ける。けれども彼女の双眸が何か納得の色を呈しているように、ゼイツには思えた。ホランティオルが黙しているのを横目にしてから、カーパルは空を仰ぐ。
「いざという時は捨て駒にでもするつもりなのでしょうね。ニーミナに宇宙船が降り立ったら、私たちは動かざるを得ないですしね」
言葉こそ辛辣だが、声に嫌悪感は表れていない。呆れかえっているのか? 混乱しかけた頭でゼイツは考える。こうしている間にも宇宙船は近づいてきている。今、彼らにできることは何なのか? どうするのが最善なのか? もしかすると、この星の運命は今この瞬間にかかっているのかもしれない。それなのに、全くそのような実感が湧かなかった。どこか夢心地だ。
「いいでしょう。ナイダートやジブルの意図がどうであれ、私たちは私たちのできることをするしかない。元より、そのつもりです」
「ナ、ナイダートの使者は、輸送用の古代機器を貸してくれるとのことです」
力強く言い放つカーパルへと、ホランティオルは慌てて付け加える。予想外の申し出には、皆がそれぞれの方法で同様の色を表出した。ゼイツは思わず眼を見開き、息を止める。古代機器を他国へと貸し出す例など聞いたことがない。宝を差し出すようなものだ。無論、この状況であれば致し方のない判断だと理解はできる。
「気前がいい……と言いたいところですが、あれを操縦できる者がいるとでも?」
大きく息を吐き、カーパルは眉根を寄せた。輸送用の古代機器の姿を、ゼイツは思い浮かべる。時代によって色々な型があったと記憶しているが、操縦方法は比較的単純な物が多かった。古代機器と呼ぶと仰々しいが、そこまでの物ではない。単に移動するためだけの乗り物だ。四つの車輪がついた型の物が多かった。
「操縦ならば、ゼイツ殿ができるでしょう」
そこでフェマーが口を挟んだ。突然自分の名前が飛び出したことに、ゼイツはさらに瞠目する。全員の視線が集まったことを自覚すると、急激に体温が上がった。確かに、ゼイツは主な輸送用古代機器の操縦方法を習っている。第二級登用試験に必要な技術だからだ。
「訓練したはずでしょう?」
「ナイダートの物だと、ジブルと同じかどうかわからないぞ」
ゼイツは顔を強ばらせつつフェマーを見やる。フェマーはからかうような様子さえ見せながら、口の端をつり上げていた。こんな時でもゼイツを追い込むのが楽しいのだろうか? 訓練したことは否定できずゼイツがそう告げると、フェマーは緩やかに首を横に振った。
「さほど違いはありませんよ。現在動かすことができる物という条件がありますから」
フェマーの言には、ゼイツも頷くしかなかった。確かに、すぐに使用できる類の古代機器となれば、似たような時代に作られた物には違いない。大体が、さらに昔の物を模倣して作られていた。それ以前の物となると扱いが慎重になる。まさかあの厳しい訓練がこんなところで役に立つとはと、ゼイツはつい嘆息した。ジブルで得た知識がニーミナで、しかもナイダートの古代機器に対して用いられるとは、奇妙な縁だ。
ゼイツが異論を唱えずにいると、安堵したようにカーパルが破顔した。今まで見たことのない表情だった。それから彼女は周囲へと視線を巡らせ、腕を抱え込む。緩やかな風に煽られて、緩くうねる前髪が揺れた。
「それではゼイツには行ってもらわねばならないわね。後は――」
「私が行きます」
カーパルの言葉を継いだのはウルナだった。凛とした声が空気を震わせ、周囲の視線を引きつける。彼女を危険にさらすのかとゼイツは狼狽えたが、予想していたのかカーパルは軽く首を縦に振るくらいだった。フェマーもホランティオルもルネテーラも何も言わない。ただラディアスやクロミオは同じ気持ちなのか、わずかに顔を歪めていた。もっとも、この状況であればどこにいても危険なことには違いないのかもしれない。
「……何人乗れるのですか?」
嘆息したラディアスが、次に疑問を投げかけた。ウルナを止めても無駄だと判断し、それならば自分も行こうとでも決断したのか。渋い顔をしたラディアスの横顔へと、ゼイツは一瞥をくれる。
「五、六人であれば、おそらくは」
「それでは俺も行きます。ゼイツは地理には疎いでしょうし」
案の定、ホランティオルの返答に頷いたラディアスは、そう発案した。理由に使われたゼイツとしては面白くはないが、確かにニーミナには詳しくない。案内役がいた方が心強いだろう。そう判断したのはカーパルも同様だったのか、大きく頷いた。これで三人だ。
「では私も行きます。彼らに交渉ごとは無理でしょうしね」
そこで次に名乗り出たのはフェマーだった。想定外の申し出に、ゼイツは勢いよくフェマーの方を振り返る。先ほどの動揺はどこへいったのか、涼しい顔をしたフェマーは悠々と軽く頭を下げた。フェマーが同乗するのが心強いことなのか、不安の種なのか、ゼイツ自身にもよくわからない。
ゼイツが口を挟めずにいると、「私はあなたに指図するつもりはありませんよ」と、カーパルが告げた。これでフェマーを阻む者はいなくなったも同然だった。この期に及んでフェマーがさらに何かを企んでいるとは考えたくないが、それでも不快感は拭いきれない。
「広いお心、感謝します」
「カーパル殿、あなたは万が一のためにお残りください」
礼を述べるフェマーについで、慌てたようにホランティオルが声を発した。ここにカーパルが加わっては大惨事とでも思ったのか。カーパルは瞳を細めて、「ええ」と簡潔に答える。
「わかっています。ホランティオル、あなたは残って火事の後始末を。ではラディアス、ジンデを連れて行きなさい」
「はい」
「ホランティオル、彼らをまずは古代機器の場所へ。私はルネテーラ姫とクロミオと共に北の棟へ向かいます」
時間はない。ゼイツは再び空を見上げた。それまでと何ら変哲のないように思える曇り空からは、相変わらずふわふわとした雪が降り落ちてきている。この向こうに得体の知れない物があるなど信じがたい。それでも波立った心では、寒さを感じるような余裕もなかった。いや、単にあらゆる感覚が鈍くなっているのか。
「ホランティオルさん、お願いします」
皆が思考を止めかけている中、すぐさま反応したのはウルナだった。クロミオからそっと離れると、彼女はたたずむホランティオルの横へと並ぶ。ようやくはっきりと時が流れ出した。ラディアス、フェマーが足を踏み出したのにつられるように、ゼイツも歩き出す。
彼らに残された選択肢などないに等しい。できることなど限られている。しかし何もわからぬまま死んでいくのは、少なくともある程度知ってしまった今は、許せない。今まで通り、できる限り足掻きたい。ゼイツは奥歯を噛んだ。
「こちらです」
ホランティオルに続いて、ゼイツたちは白い庭を進んだ。当初向かおうとしていた方向だ。こうなってしまうと庭をどう歩いて行けばどこに辿り着くのか理解できないが、その点についてはニーミナの人間に任せることとする。蹴散らされた雪の音がやけに耳に残った。
時折緩やかに曲がり、時折がくりと折れ曲がる庭の中を、彼らはひたすら早足で歩いた。誰も言葉を発さなかった。こんな時に何を言うべきか、皆わからなかったのだろう。立場も何もかもが違う。胸に抱いている思いも、知り得た知識も異なる。
ただ、何かしなければ自分の知らないところで全てが終わってしまうかもしれないという、恐怖感だけが同じだった。せめて成り行きくらいは見届けたい。ゼイツは息を詰めた。父――ザイヤはどこまで知っていたのだろうかと、今さらながらぼんやりと思う。「信じろ」というのは何に対してだったのか。
「あそこです」
しばらく無言で歩いていると、不意に前方でホランティオルの声がした。俯き気味だったゼイツは、はっと面を上げる。茂みに区切られた庭の向こう、少し広くなった場所に、黒々とした固まりが見えた。この薄暗さの中でも、周囲の白と相まって重々しく映る。よく見ると、機体の下には四つの車輪がついていた。ゼイツの知る型と似ている。
「あれがナイダートの輸送用古代機器です」
「どうですか? ゼイツ」
「中を見てみないとわからないが、たぶん操縦できると思う」
ホランティオルの言葉を継いで、フェマーが尋ねてくる。ゼイツは首を縦に振ると歩調を速めた。そのままホランティオルを追い抜き、黒々とした物体へと駆け寄る。屋根のない巨大な箱に車輪がついている単純な作りだ。中には椅子が幾つかある。確かに、この大きさならば五、六人が限度だろう。
「よっと」
どこをどう押したら扉が開くのかわからず、ゼイツは反動をつけて飛び乗った。操縦席と思われる椅子へと移動し、辺りを見回す。前面に取り付けられた大きな輪が方向転換用の装置か。後は速度調節用と思われる長い棒と、幾つかのボタンしかない。皆が次々と走り寄ってくる足音がした。ゼイツは起動用と思われる巨大な赤いボタンを指で押す。
「どうだゼイツ」
「ちょっと待てって」
大きく、輸送用機器が揺れた。機体の下方で原動機と思わしき物が動き出す音がする。ほっとしたゼイツは、眉間に皺を寄せてるラディアスへと視線を向けた。ラディアスの後ろにはウルナ、フェマー、ホランティオルがいる。
「動きそうだ。とりあえず乗ってくれ。悪いけど、扉を開けるボタンがわからない」
そう告げながらゼイツはもう一度機体を見回す。前面の操縦卓で目立つのは赤いボタン、後は小さな黒い丸形ボタンが三つと、青い平型ボタンが二つだ。ただ適当に押すわけにもいかない。発進するには棒についたボタンを押す必要があるだろうが、他のボタンにどんな機能があるかまでは予想できなかった。
ゼイツが古代機器を調べている間に、ラディアスの力を借りてウルナが乗り込んでくる。ついでラディアス、フェマーが危なげな動きで機体へと入ってきた。あとはジンデの到着を待つだけかと、ゼイツは周囲を見回す。この黒い機体は広い間のちょうど真ん中に置かれていた。この場所自体はどの辺りに位置しているのだろうか?
「ジンデ殿でしたら、もう少しで来るかと。カーパル殿から話が行っているでしょう」
ゼイツの眼差しに気がついたのか、ホランティオルがそう説明する。少しでも早くと焦る心を落ち着かせ、ゼイツは頷いた。そもそも、一体どこへ向かえばいいのか。ゼイツはやおら空を見上げた。先ほどよりも少しだけ雪が弱まっている。小さな雪片を手のひらで受け止め、ゼイツは瞳をすがめた。
「おい、あそこ」
「え?」
「あの辺りに白い光がある」
唐突に、ラディアスが声を上げた。ゼイツの隣に座り込んだラディアスが、空の一点を指さしていた。ゼイツは一度瞬きをすると目を凝らす。だが灰色の雲が見えるばかりで、それらしき光というのがわからない。
「俺には何も見えないが」
「よく見ろ」
苛立つラディアスの声を受けて、もう一度ゼイツはその方を睨みつけた。「あっ」と声が漏れた。分厚い灰色の膜の向こうで、かすかに白い光が点滅していた。星の瞬きにしては不自然な一定間隔の明滅。無論、星の輝きがこの雲を透かして見えるはずもない。
「まさか――」
「宇宙船だろう」
「もう来たっていうのか!?」
「あれだけだと距離はわからないな。かなりゆっくりと降下しているのかもしれない」
狼狽えるゼイツとは違い、ラディアスは落ち着いていた。そのおかげで、ゼイツも冷静な判断力を取り戻した。ニーミナ国内に降り立つだろうという予測なのだから、何かが見えたとしても不思議はない。大体、降り立つのを妨げるような力もない。ゼイツたちにできることと言ったら話し合いくらいか。あとは、宇宙船が何もないところに着陸してくれたらいいと願うだけだ。
「ジンデ殿!」
少しでも平静でいようとゼイツが深呼吸していると、不意にホランティオルが声を上げた。薄暗い空から地上へ視線を戻すと、進むべき前方から初老の男が走り寄ってくるのが見える。ジンデだ。分厚いコートを羽織ったジンデは、予想していたよりも身軽な動きで輸送用機器へと飛び乗ってきた。大きく機体が揺れる。
「話は聞きました。ホランティオル殿、あとはよろしくお願いします。ウルナ嬢については私に任せてください」
「わかりました」
ジンデとホランティオルが言葉を交わす。似た印象を持つ二人が顔を合わせているのを見ると、ゼイツは不思議な心地になった。まるで兄弟のようだ。しかし、今はそんなことを疑問に思っている場合ではない。ゼイツはもう一度空で明滅する光を睨みつけてから、機体へと目を移す。
「ウルナ嬢、これを」
ゼイツが再度操作卓を確認していると、ジンデが羽織っていたコートをウルナへ着せる気配がした。これで準備は整っただろうか。ゼイツは意を決すると、隣にいるラディアスへと一瞥をくれた。神妙な顔をしたラディアスは、機体の端に手をつきながら空を見上げている。
「ゼイツ、急げ。思ったよりも近そうだ」
「わかった。えっと、ホランティオルさん離れてください。発進します」
覚悟を決め、ゼイツは棒のボタンを押しつつそれを引いた。ぐんと大きく揺れた機体が、雪の上を動き出す。前面にある大きな輪へと右手を添え、ゼイツは辺りへと視線を配った。庭の中を走り出した機体は真っ直ぐ前方へと進む。
「少し行くと右手に折れる場所があるはずだ。そちらへと進んだら教会の裏側へ出る」
「わかった」
ラディアスの案内に、ゼイツは相槌を打つ。まずは教会を抜け出してからだ。ラディアスの言う通り、少し進んだところで右手へと進む道が現れた。輪を捻って、ゼイツは機体をそちらへと進める。雪の上で不安定なのか横揺れが激しい。「悪い」と口にしながら、ゼイツは右手に力を込めた。原動機が暖まってきたのか、徐々に速度が上がっていく。
「このままだと、教会の裏山の方に降りそうだぞ」
ラディアスの声に険しさが混じる。裏山というのがどの辺りのことを指すのかゼイツにはわからないが、さほど遠くはないのだろう。しかしあの明滅だけを見てそんなことまで判断できるとは、ラディアスは目がいいのだろうか? ゼイツも悪い方ではないと思うが、ラディアスの方が目聡い。
柔らかい雪を踏みつけながら機体は進む。「ウィスタリア様」と囁くウルナの声が、かすかにゼイツの鼓膜を震わせた。彼も祈りたい気分だった。この輸送用古代機器の燃料がどこまで保つかもわからないし、間に合うかどうかも定かではない。速度を上げたくとも、この狭い庭では限界がある。
走っている途中、何度か溝にはまって機体が大きく跳ねたが、幸いにもはまることはなかった。さすがはナイダートの古代機器だ。練習用の物ではこうはいかなかっただろう。
緩やかに曲がる道を上ると、唐突に視界が開けた。教会の裏へ抜けたのだと、ゼイツは言われなくとも判断した。庭を区切る茂みがなくなると、薄闇でも銀世界が広がっていることが明らかだった。わずかな明かりを反射してぼんやりと浮き上がるように見える、一面の雪。ゼイツは右手に力を込めた。人が出入りしない場所の方が雪は深い。油断するとはまりかねない。左手で棒をさらに引き、彼は速度を上げた。
「見えたぞ!」
ラディアスが声を張り上げた。ゼイツの視界でも、光の明滅が強くなったのがわかる。いや、そう判断した次の瞬間、雲を突き破って灰色の物体が姿を現した。
「なっ――!」
ゼイツが想像していた物とは明らかに姿形が違った。流線型のなだらかな輪郭が印象的だった。所々に飛び出しているのは、鳥の羽のようにも見える。だが何より予想外だったのは、その大きさだ。とてつもなく巨大な船を予想していたのだが、それよりは遙かに小さい。あの巨大なニーミナの穴にも入ってしまうくらいかもしれない。
「宇宙船が!」
背後でウルナが叫ぶ。ゆっくりと灰色の宇宙船は、地上へ近づいているようだった。本当はとんでもない速度なのだろうが、巨大な鳥が滑空しているように思えた。機体に付いている羽が発光しており、それが一定の感覚で瞬いている。まだ距離はあるはずなのに、圧力を感じるかのような錯覚に陥った。気のせいか輸送用機器の速度も落ちている。
「ゼイツ、急げ」
「わかってる!」
ラディアスに叱咤激励され、ゼイツはさらに棒を引く。しかし雪が深いせいか思うように走らない。ともすれば意図した方とは違う方に進みそうになり、ゼイツは慌てて両手で輪を握った。鼓動だけが速まる。頬へと突き刺さる空気が針のようだ。前面まで覆われている型であれば、まだましだったのだが。
徐々に宇宙船との距離が縮まっていく。けれどもそれは宇宙船の方が近づいてきているからだろう。ゼイツは奥歯に力を込め、瞳をすがめた。腑の底がちりちりと痛む。熱い。それでも速度を緩めるわけにはいかない。後方に座っているウルナたちが平気かどうかも確認する余裕もなかった。フェマーが黙りきっているのがやけに不安だが、ジンデがいるから大丈夫だと思い込むしかない。
忽然と、強風が吹き荒れた。それが宇宙船によるものだと気づいたのは、輸送用機器が大きく揺れた時だった。尋常ではない圧力に負けて速度が落ちる。そのせいでがくりと車輪が雪にはまり込んだ。あっと思うも遅かった。傾いた機体の下で悲しく車輪が雪を掻き、白い粉を撒き散らすものの前へとは進まなくなる。
「しまった――」
ゼイツが声を上げると同時に、地が震えた。空気が揺れた。前方から吹き付ける強風に、思わずゼイツは目を瞑る。鳴り響く轟音が鼓膜をつんざこうとしていた。空回りする車輪の悲鳴と、地響きが呼応している。風圧が強い。それでもかろうじてゼイツは片目だけを開けた。風による涙で歪んだ視界に、異様な姿が映る。
「宇宙船」
声すら出せないゼイツの代わりに囁いたのは、後ろにいたウルナだった。ひたすら広がる白い雪面に、灰色の宇宙船が降り立っていた。機体の熱のためか、周囲の雪から煙が上がっている。もう少し位置がずれていたら、左手に見える裏山に激突していたかもしれない。
ゼイツはおもむろに輸送用古代機器の棒を押し戻した。まるでそれを待っていたかのように、宇宙船の羽から光が消えた。