white minds 第一部 ―邂逅到達―
第八章「薄黒い病」3
路地裏へと足を踏み入れてから、レーナは帽子を手に取った。狭い道を吹き抜けていく風が、その短いツバを揺らす。緩く編み込んだ髪が邪魔にならないよう胸の前に垂らして、彼女は壁にもたれかかった。先ほどまでじんわり体を包み込んでいた熱気が、まるで嘘のようだ。日陰独特の湿度を感じながら、彼女はそっと帽子を抱きしめる。
「これは困ったことになったな」
ぼやく声に答える者はいない。もっとも、アースがもうじきやってくるだろうというのはわかっていた。時間を決めているわけでもないし気が感じられるわけでもないが、一種の勘だ。女性ばかりの店をのぞくために別行動としたわけだが、この星で人々の中に長居するのは避けた方が賢明だろう。どこに『オリジナル』の顔見知りがいるともわからない。
「しかしどうしても目立つしなぁ」
独りごちたところで、聞き慣れた靴音が鼓膜を震わせた。路地の奥からだった。視線を転じるのと同時に、薄闇の中からアースが姿を見せる。赤い額の布、首もとの布がないだけなのに、より黒ずくめという印象が強まっている。その分だけ、眼光の鋭さが目立つように思えた。気は隠していても、不機嫌なのは明白だ。
「遅かったな」
「そうか?」
「もう終わりでいいのか?」
「うーんそうだなぁ」
立ち止まったアースを見上げて、レーナは曖昧に微笑む。ある程度のことがわかったので、引き揚げ時と言えばそうだった。深追いするとろくなことにならないのはよく経験している。昔のように力だけで乗り切るわけにはいかないから、慎重にいかなければ。
「大体わかったし、いいかな」
「もう調べ上げたのか?」
「まあ、心当たりはあったから」
レーナは帽子を抱きしめたまま足下を見下ろした。簡素な生成りのワンピースの裾から覗く靴は、ずいぶんと古いものだ。目立ちたくない時用の服等は幾つか持っているが、この星ではどれが一番適切かよくわからず適当に選んだ。大外れすることはない便利なものだが、歩きにくいのが玉に瑕だ。
「精神を鈍らせる病にまで心当たりがあるのか……」
何と説明すべきか逡巡していると、アースはため息混じりに呟いた。わずかに視線を上げたレーナは、どこまで言うべきか思案する。決して面白い話ではない。
「病っていうか、毒だな。この手の毒は、ミスカーテが研究していた」
さりげなく口にしたつもりだったが、視界の隅にあるアースの手に力が入ったのが見て取れる。毒という響きのせいだろう。だがこうなってしまうと話さないわけにもいかない。言葉を選びつつ彼へ一瞥をくれると、疑問を宿した目がじっと彼女を見据えていた。
「ミスカーテ? 聞き覚えがあるな」
「前のわれが浴びたのも、ミスカーテの毒だ。彼は宇宙で神や技使いの力を削ぐための研究を行っていたが、その一つだ」
できる限り淡泊に伝えたところで、その意味の重さが変わるわけでもない。アースは息を呑んだ。ミスカーテの毒については以前にも話していたが、それでも繰り返されるのは耳心地が良くないだろう。けれどもレーナはあえて素知らぬ振りをして淡々と続けた。
「ミスカーテ以外にそんなものを作っている魔族がいるとは考えにくい。そうなると、ミスカーテ自身かその部下がこの件に関与している可能性が高いな」
帽子を抱え込む手に力が入った。自分が口にした事実が意味するところを考えると、ずしりと気が重くなる。最悪に近い状況ということだ。少なくとも神がこの事実を知ればそう受け取るだろう。
「そのミスカーテとかいう奴は、何者なんだ?」
アースの手が肩を掴む。レーナは彼へとまたわずかに視線を向け、曖昧に小さく唸った。魔族についての基本的な情報は伝えてあるが、あくまで基本的なところだ。ミスカーテが何者かを理解するのに、不十分なのは間違いない。
「かつて、まだ魔族と神がこの星で徹底的に争っていた頃の話はしたよな?」
「ああ」
説明するとなると、ここから始めなければ駄目だ。レーナはかすかに目蓋を伏せる。ぼろぼろになった靴の前を、誰かが落とした紙袋が飛んでいった。地面を擦る紙の乾いた音が、路地裏に染み入る。
「ちょうどその頃、魔族側を率いていたのが五腹心と呼ばれる魔族なんだ」
地球大戦と呼ばれる、長年続いた魔族と神の争い。いつ始まったのかも明確ではないが、その中でいつしか魔族らを率いるようになったのが、五腹心と呼ばれる者たちだ。プレイン、ラグナ、イースト、レシガ、ブラスト。彼らはそれぞれの方針は違えども基本的には協力して神に対抗していた。転生神の存在がなければ、おそらく魔族側の圧倒的な勝利に終わっていたはずだ。
「その五人の魔族の一人にプレインという者がいる。ミスカーテは、そのプレイン直属の部下だ」
端的に説明しすぎたのか、アースはぴんと来ていない顔をしていた。どうやら『直属』だけでは伝わらなかったらしいと、レーナは反省する。相手が神ならばこれで十分だが、今回はそうではない。神技隊ならおそらくもっと言葉が必要だろう。
「五腹心はそれぞれ部下を持っているんだが、彼らと直接話をしたりやりとりができる魔族というのは限られている。常に連絡を取り合うような者は直属と呼ばれている。そうではないが直接接触することができるのは、準直属だ。で、直属の部下というのはそれぞれ数人しか持っていない」
話すにつれて、アースの眉根が寄っていくのがわかった。好ましくない状態であることが、少しは伝わっただろうか。だがおそらくはレーナが持っている危機感には及ばないだろう。五腹心の強さを具体的に想像できないのだから仕方がない。
「つまり、とんでもなく強い部類の魔族ってことじゃないのか」
「そういうことになるな」
「そいつか、そいつの部下がこの件に絡んでいると?」
半信半疑な様子で、アースはちらと路地の向こうへ視線をやる。一見、人々は普通通りに生活しているように見える。だが奇病と呼ばれるその不思議な現象は、この町に徐々に広まりつつあった。効果としては少し技が使いにくくなる程度なので、さほど問題となってはいないが。それでも得体の知れない病の流行に、人々の奥底に不安が溜まり始めている。神に気取られないよう動いている魔族がよく使う手法だ。
「そう考えるしかないな」
「この間言っていた、侵入した魔族というのがそうなのか?」
「かもしれない」
やはり魔獣弾と繋がりがあると考えた方がいいだろう。では、この毒のばらまきは一体何を意味しているのか? それがわからなかった。宮殿から離れているこの町でひっそりと騒ぎの種を撒くというのも解せない。この程度では負の感情を集めるのには適さないし、神の注意を引くにも弱すぎる。何か意図があるのか? それとも今のは実験で、これからさらに別の毒を使うつもりなのか?
「レーナ」
どうやら考え込んでいたらしく、やや強い語気で名を呼ばれた。レーナははたと顔を上げる。じっとのぞき込んでくるアースの双眸に宿っているのは、確かな懸念だ。気が感じられなくともそれくらいはわかる。肩を掴む手に自身の手を重ねて、レーナは微笑んだ。
「ああ、すまない。少し考え込んでいた。大丈夫だから――」
「お前は大丈夫しか言わないな」
そう指摘され、レーナは黙り込んだ。自覚はあったので、反論の言葉が咄嗟には浮かばなかった。たとえ大丈夫でなかったとしても、そうしなければ。そうでなければ生きてはいけないし、目的は果たされない。だから彼女はいつも「大丈夫」と答える。一種の願掛けなのかもしれないし、自分自身を騙すための言葉なのかもしれないが、彼女には必要なことだった。
「言わないように、してるから」
「それが我々は不満なんだ。そんなに頼りないか?」
「いや、そうではなくて」
肩から手を引き剥がそうとすると、逆にその手を取られて体の向きを変えられる。壁から背が離れた拍子に、うっかり帽子を取り落としそうになった。真正面から目をのぞき込まれるのは、実のところあまり得意ではない。気を隠していてよかったと思う瞬間だ。
「十分助かっているし、頼りにしてるつもりなんだが。……その、癖みたいなものなんだ。すまない」
今まで一体どれだけの時間を一人で過ごしてきたのか。必死に抗い、もがき、試行錯誤してきた中で身につけたものが、そう簡単に変わるわけがない。それでもずいぶんましになったと、自分では思っていた。
「今日だって、こうして一緒に来てもらえて助かっている」
素直にそう告げると、アースは訝しげに首を捻った。一体自分が何に役立っているのかわからないと言いたげな表情だ。そこまで説明しなければならないのかと、レーナはわずかに躊躇いを覚える。勘でしかないが、何となく、嫌な顔をされる気がする。
「感謝してるんだ。だから――」
「われは何もしていないが」
「いや、何もしなくていいんだ。近くにいてもらえたら。その、一人だとな、聞き込みしても、話が余計な方向に進んでいって時間ばかり掛かってしまうから」
あやふやに濁しながら事実を伝えてみたところ、アースはすっと目を細めた。気など感じられなくとも、纏う気配が変わったのがわかる。その意味について、考える暇はなかった。肩から離れた手がやおら彼女の頭を撫でる。驚いて瞳を瞬かせれば、頭上からため息が落ちてきた。
「それで今日は妙に近かったわけか」
アースにそう認識されていたという事実に、つきりと胸の奥が痛む。思わずレーナは目を伏せた。適切な距離を維持するというのは本当に難しい。昔のようにただ他人の振りをして逃げている方がまだ楽だったかもしれない。仲間として振る舞いながらも踏み込まれないよう距離を置くというのは、実に骨が折れる。
「あ……うん、すまない」
一体、自分は何に対して謝っているのか。それすらも曖昧になる。最初から説明しておけばよかったのだろう。その時間や手間を惜しんだせいだ。
自分の容姿が目立つことも、笑顔を振りまくことが数々の勘違いを生み出すことも、重々承知していた。それがうまく情報を引き出すための手段となることもあれば、厄介な問題まで引き寄せる頭痛の種となることもある。それ故に可能な限り見た目を『調整』しながら星々を回ってきたわけだが、それを地球でも続けるのは難しかった。ここは神の巣だ。動く時は気を隠す必要がある。つまり見た目は変えられない。
「先に言っておけばよかったな」
「いや、いい。言われたら言われたで身構える」
答えるアースの声がいつも以上に低かった。離れていく手と不機嫌な顔に、レーナは胸の軋みをまた自覚する。こんなことにまで罪悪感を覚えなくてもいいのにと、いじましい自分に嫌気が差した。自分本位に振り回すことを当たり前と思えたら、そうすればもっと楽になるのか。利用しているという事実は変わりないのだから、そう割り切れた方が精神維持の面では望ましいはずだ。
「だからそんな顔をするな。今はそれよりもミスカーテとかいう魔族のことだろう?」
そこでアースに指摘され、レーナは我に返った。確かに、余裕はない。ミスカーテかその部下が動き出しているのなら、こちらも早めに対応しなくては。
「ああ、そうだな。ありがとうアース」
顔を上げて微笑めば、アースは何故か複雑そうな表情になる。そこには先ほどのような苛立ちはない。逸らされた視線の先が定まっていないのが気になったが、怒ってはいないようだった。レーナは足元を見下ろしながら帽子を手に取る。
――ここは地球。転生神の星。ユズの星。すべてのものが集いし場所。油断などしていられない。常に最悪に備えながら最善を尽くさなければならない。そうでなければ、手遅れになる。
「何のためにここにいるのか、思い出さなくてはいけないな」
路地の向こうに広がる大通りへと、レーナは視線を転じた。再び帽子をかぶり直すと、緩やかに編み込んだ髪が胸元で踊った。
「奇病の調査?」
思いも寄らぬ話に、シンは顔をしかめた。昼食の片づけを終えて大部屋に戻ってきたら、その中心に一つの輪ができていた。何事かとのぞいてみれば、飛び出してきたのはそんな話題で。ただただ首を傾げるしかない。
「はい、その調査を私たちに頼みたいと。……何度も断ってきたんですが、ついに多世界戦局専門長官の上の上まで出てきてしまいまして」
困惑するシンに、即座に答えてくれたのは向かい側にいた梅花だ。心底ぐったりとした様子で書類を抱きしめている様を見ると、今まで彼らが知らなかっただけで水面下での攻防が続いていたらしい。断りきれなかったことにがっくりきているようだが、シンとしては知らぬ間にそんな苦労をかけていたことの方が気がかりだった。視界の端で青葉が苦い顔をしているのは予想通りだ。実にわかりやすい。
「奇病っていうと、例のバインで流行ってる奴だよな?」
その件については先日サツバから聞いた。サツバが実はバインの長の息子だったという事実まで発覚し、二重に驚いたのでよく覚えている。奇病とはいっても命に関わることではないので、逆に宮殿は対応に苦労しているらしい。被害が微妙な範囲なので最優先にはできないからだ。神技隊に役目が回ってきたのはそのせいなのか。
「全員で行くのか?」
皆が黙り込んだところで、やおら滝が口を開く。腕組みして眉根を寄せている姿は、相変わらずの貫禄だ。シンと二つしか離れていないとは思えない。いや、もう子どもでもないのだから、年齢など関係ないのか。積み重ねてきたものの違いだろう。
「いえ、できれば少人数でと言われています。騒ぎが大きくなりバインで不安が広まっても困るという意図もあるでしょうし……万が一私たちの中で感染する人が大量に出たら困るってところでしょう」
苦笑混じりの梅花の返答に、シンは眉をひそめた。その発想が理解できないわけでもないが、一体自分たちはどんな扱いを受けているのかと文句を言いたい気持ちにはなる。そもそも奇病の調査など神技隊の仕事ではない。
普段なら真っ先に悪態を吐きそうなサツバが黙っているのは、異変が起きているのが生まれ育ったバインだからだろう。俯き気味の横顔からは、複雑な色が見て取れる。もしヤマトが同じような状況なら、確かにシンも悩ましい。故郷が心配な気持ちはあるが、そこに仲間たちを巻き込んでいいのかとなると話は別だ。命に関わらないとはいえ、奇病の症状は厄介だった。誰かが感染して戦力減となるのは避けたい。
「では、わたくしたちが行きましょう」
暗澹とした空気が流れ始めた時、突然よつきが声を発した。思わぬ申し出にシンは眼を見開く。それは他の者も――ピークスの仲間たちさえ同様だったようで、驚嘆の視線をよつきへと向けていた。唯一の例外はジュリだっただろうか。彼女は何か言いたげな、それでいて諦めたような眼差しでよつきを見つめている。
「こういうのは下から行くものでしょう? それに、わたくしたちの中には剣に長けたものはいませんからね。いざ魔獣弾たちと戦うことになっても、戦力としては期待できません」
朗らかな笑顔でそう続けるよつきに、返す言葉は見つからなかった。確かに、よつきの言う通り『上からの武器』の使い手は残った方が賢明だろう。そうなるとフライングかピークスのどちらかとなる。まさかここに来て隊ごとではなくというのも考えにくいし、フライングは負傷から立ち直ったばかりの者も多い。考えれば考えるだけ選択肢はないように思えてきた。
「本当にいいのか?」
「いいんですよ。ああ、頼みの綱のジュリでしたら、何かあったらすぐに帰しますから」
「ちょっとよつきさん!」
そこで何か気づいたように手を打つよつきへ、慌てたジュリが詰め寄る。皆が懸念しているのはその点だと思ったのか、それとも別の意図があるのか。シンにはわからない。ジュリは怒ったような困ったような顔でよつきの腕を掴んだ。その気にはある種の悲壮感が滲んでいた。ジュリが取り乱すというのは珍しい。そう思ってリンへ一瞥をくれると、彼女も複雑そうに顔を曇らせていた。何か言いたげなのに黙っているのは彼女らしくない。
一方、残りのピークスの面々には異論がないらしい。素直に相槌を打っていた。よつきの提案であれば従うのが当たり前といった調子なのか。思い返してみるとコブシ、たく、コスミの三人はよつきのことを「隊長」と呼び絶対的な信頼を寄せていた。もしかすると異を唱えるという発想がないのかもしれない。
「わかった、ここはピークスに頼もう」
騒然とし出した空気を一言で落ち着かせたのは滝だった。ぐいぐい腕を引っ張っていたジュリも硬直し、何か言い出そうとしていたフライングたちも押し黙る。腕を組んだまま嘆息した滝は、おもむろによつきの方へ顔を向けた。
「フライング先輩は病み上がりだし、武器の所有者はできるだけ待機している状態の方がいいだろうから。だが後輩だからとかそういうのはもう言わないでくれよ? あと、何かあったら無理せず全員で戻ってきて欲しい。そうでなくともオレたちは自分の身を危険に晒してるんだ」
言い聞かせるような滝の忠告に、よつきは神妙に首を縦に振った。全ての不満を静めるような物言い。それでいて案じているのだと誠実に伝えてくる声音。そうだ、これが元ヤマトの若長だ。シンのよく知る滝という青年だ。
「はい、わかりました」
「……ではピークスの五人は私がリューさんのところまで案内しますね」
頷いたよつきを見て、速やかに梅花が動き出す。ジュリもそれ以上は何も言わなかった。出入り口へと進み出た梅花は、振り返りながらよつきたちへと手招きをする。急に訪れた静寂に、シンは圧迫感を覚えた。これは何なのだろう。皆が皆張り詰めた気を纏っているのは何故なのだろう。
足音が遠ざかり、扉が閉まったところでシンは大きく息を吐いた。どっと疲れを覚えて眉間を指で押さえていると、隣にいたリンが大仰に嘆息する。珍しく髪を束ねていた彼女は、その先を指で弄りながら頭を傾けた。
「みんな過敏になってるわねぇ」
その一言に、滝が何か言いたげな視線を向けてきたのがわかる。それでも結局黙っていたのは同意したからだろうか。その目には見覚えがあった。それがいつのことだったか思い出そうとし……シンは固唾を呑む。あれは確か『奇病』の流行からちょうど三年後のことだ。
「奇病って、響きのせいか?」
「そうでしょうね」
思わず呟いたシンに、リンは軽い調子で賛同する。奇病という響きは、皆にかつての騒動を連想させるのに十分な力を持っていた。もう十年以上前の話になるが、至る所で大きな傷跡を残したはずだ。特にウィンは最も被害が大きい場所だった。
「ウィンもアールも被害が大きかったもの。よつきのところがどうだったのかは知らないけど、ジュリは色々と考えてるでしょうね」
淡々と告げるリンの言葉に、シンは強く奥歯を噛む。ジュリはリンと同じウィン出身だ。今の言い草から考えると、よつきはアール出身なのか? たとえ身内が健在だったとしても、影響を免れられない地域には間違いなかった。
「ヤマトだってひどかったでしょう?」
ちらと寄越されたリンの視線に、シンは「まあ」と曖昧に答えた。彼の両親は、あの奇病のせいで亡くなった。滝も同じだ。あの恐ろしい病の影響はそこかしこに色濃く残っていた。家族が無事でも親戚が、友人が、知り合いが、誰かが命を奪われた。それまでの当たり前が一変した。思い出したくもない出来事だった。
「被害に遭うのももちろん怖いけど、残されるのも怖いのよね」
ぽつりと独りごちる声が妙に耳に残り、シンは閉口した。静まりかえった空気が、さらに重く肩にのしかかってきた。