white minds 第一部 ―邂逅到達―

第三章「望みの居場所」5

 日はもうほとんど沈みかけていた。黄昏時の気配が消え去ろうという中、閉じた『穴』の名残を梅花はじっと見つめる。今し方フライングとピークスを無世界へ送り届けたばかりだ。大人数の出入りの影響で、完全に元通りになるまでは時間がかかるのが普通だった。
 それでもここまで来ればもう乱れることはないだろうと、彼女はほっと安堵の息を吐いた。近くに寄らなければ顔の判別も難しいような薄暗さではあるが、誰かに目撃されることがないよう気を遣うのは骨が折れる。ゲートの場所は変えようがないので、こればかりはタイミングをうかがうしかなかった。一般人の気がないことを確認して素早くゲートを開き安定させるのは、容易いことではない。
「人数が多いと、ゲートの安定にも時間がかかるしね」
 肩を落とした梅花は、とぼとぼ歩き出した。ゲートとはつまり、結界の穴だ。それが広がらぬように大人数を通すとなると、ますます慎重になる。普段は穴を利用されないように『蓋』代わりになる技が施されているが、その蓋を外した状態で穴を安定化させるのにはコツがいる。長いことゲートの調整に携わっていた彼女は慣れていたが、他の技使いはそうではない。だからゲートに手を出せる人間は限られていた。
「こういうことが続いたら困るわね」
 梅花はつと足を止め、振り返った。閉じられたゲートは、周囲の空間と何も変わらないように思える。いや、周囲の空間を含めて全体が歪んでいると言うべきか。蓋をしたせいだと一般的には言われているが、それだけではなさそうだと彼女は感じていた。結界のせいなのか気の乱れもひどく、この周囲にいると気配を察知しにくい。
「この辺りにいるのを狙われたら大変ね」
 ぼやいた声はわずかにかすれた。余計なことを考えたせいか背筋に冷たいものが走る。レーナたちに青い髪の男。いつどこに突然現れるかわからない者たちだ。レーナたちは人目につくのは避けているということだが、逆に言えば人気がなければ現れる可能性がある。そう、たとえばこんな時とか。
「帰らなきゃ」
 単独行動するなと、最近は耳が痛くなるほど注意されている。今日だって客がいなければ誰かは連れて行かなければならないはずだった。青葉は最後まで渋っていたが、蓄えが減っていく一方の状況も理解していたので仕方がなくといった様子だった。最近上からの仕事が多すぎて、まともに商売ができていない。
 長居は無用と梅花が前方へ向き直ろうとすると、不意に風が鳴き、梢が震えた。翻ったスカートの裾が足に絡みつく。視界を覆わんとした髪を手で押さえ、彼女は片目を瞑った。
 長い髪はこんな時に不便だが、頻繁に整えに行くのが嫌で小さい頃からこのままだ。今さら変えるのも落ち着かないのでそのままにしているが、日頃から結わえた方がいいかもしれない。いつ戦闘になるかはわからなかった。
 手櫛で髪を整えた彼女は、顔を上げた。と、その視界に、一人たたずむ女性の姿が入った。すぐに存在に気がつかなかったのは、女性が気を隠していたからだ。すなわち――技使い。梅花は足を止めると小首を傾げた。梅花自身も気を隠したままなので、こちらが技使いであることは悟られていると思っていいだろう。
 明かりの乏しい薄闇の中で、女性の白い服は浮き上がって見える。肌もどことなく青白い。肩ほどまである髪は、呼吸に合わせて緩やかに揺れていた。今にも泣き出しそうなその顔は、見覚えがある。――先日スーパーで見かけた女性だ。
「梅花……でしょう?」
 怖々と辺りに響いた声には、祈りも含まれているように思えた。気が感じられなくともそれくらいはわかる。不安と希望がない交ぜになった言葉だ。名前まで当ててくるような人物に対して偽る必要はないと、梅花は素直に頷いた。女性は口を開いたり閉じたりを繰り返しつつ、一歩一歩梅花に近づいてくる。まるで幻でも見ているような顔をしていた。実際、そんな気分なのだろう。
「最近、ゲートの出入りが多いから気になっていたのよ。不穏な気配もあるし」
「ご心配おかけしてすみません、お母様」
 女性――ありかは、立ち止まった。何に対して驚いたのか、息を呑み眼を見開いている。梅花は頭を傾けた。
「何か?」
 ありかは口ごもった後、静かに首を振った。何か言いたげな様子だったが、梅花はそれ以上追求しなかった。ありかの言動を観察しながらあれこれと考える余裕がある自分には、密かな安堵を覚える。先日のような衝撃や動揺はない。想像していたよりも気持ちは穏やかだ。一方、ありかは戸惑いを覚えているようだった。わずかに視線を彷徨わせながら、おずおずと尋ねてくる。
「ここにいるということは、あなたも神技隊なの?」
「そうです。第十八隊シークレットに選ばれました。去年の春のことですね」
「……そう、もうそんなに。本当に毎年派遣されてるのね」
 ありかは瞼を伏せた。初代の神技隊が選ばれたのは、梅花が生まれる前のことだ。そのリーダーが父――乱雲らんうんであったことは、幼い頃リューに教えてもらった。その次の年には、母であるありかも神技隊として派遣されている。その際、生まれたばかりであった梅花は宮殿に残ったのだという。詳しい経緯については聞いていない。そのことになると、誰もが沈鬱な面持ちで口を閉ざすからだ。それでも断片的な情報、多世界戦局専門部に残されている記録から、おぼろげながらも事情を察することはできた。
 神魔世界と無世界を隔てていた結界に、突如として穴が生じた。その混乱に乗じて、見知らぬ世界へと逃げ出す者たちが続出した。当時の宮殿内は大混乱だったことだろう。神技隊が結成されたのはそんな最中だ。両親がそのただ中で引き裂かれる結果となったのは、誰が意図したものでもない不運だった。最終的に梅花が祖母に預けられる結果となったのも、やはり単なる不運でしかない。
 しかし、責任を感じている者たちはいる。恨んではいないと何度梅花が説明しても、禍根の象徴のように見つめてくる者たちがいる。今のありかの眼差しも、そういった人々のものに似ていた。胸の奥に食い込んでいる楔が、さらに深く沈んでいくのを感じる。
「違法者が途絶えることはありませんから」
 梅花はありかから視線を逸らした。自分という存在が母親の心の重石となっているだろうというのは、容易に想像できることだ。こんな時くらいせめて微笑むことができたらいいのにと、梅花は心底思う。仕事のためならばどうにか不自然ではない笑顔を作れるようになったが、今は歪な笑みしか浮かべられない気がする。今さらありかの心に波風を立てたいわけではなかった。微笑みというものは、恨んでいないと、責めているわけではないと、伝えるための一つの方法なのに。
「そう、あの……」
 ありかの遠慮がちな視線を感じる。軽く目を閉じてから、梅花は静かにありかへ双眸を向けた。日暮れの匂いの中で、自分とよく似た――自分がよく似ていると言うべきか――顔が微苦笑を浮かべている。
「この後、時間はある?」
 そこにある感情が読めないほど、梅花は疎くはなかった。気が隠されていてもわかる。ここで断ることはすなわち、拒絶することに他ならない。梅花は逡巡しなかった。
「夕食の時間まででしたら。……仲間が待っていますから」
 ありかはほっとしたような、それでいて泣きそうな顔で相槌を打った。どこかで見たような表情だと感じるのはきっと気のせいだろう。梅花は胸の奥底にわだかまる罪悪感を意識して、深いため息を吐きそうになるのをどうにか堪える。
 自分がいなければ誰も苦しむことなどなかったのに。
 打ち消しても打ち消しても湧き上がってくる思考が、再び彼女の中に波紋を生んだ。リューの苦しげな微笑が不意に脳裏をよぎる。自分がいなければきっと両親は何も悩むことなく神技隊としての仕事に向き合えただろう。多世界戦局専門長官であったリューの父親が、取り残されてしまった赤ん坊を自分の娘に託すこともなかっただろう。意味のない仮定だとはわかっていても、つい考えてしまう。
『あんたさえいなければ』
 いつだったか誰かが口にした言葉は、今も鋭利な刃となって奥底に突き刺さったままだ。「できることなら私もそうしたい」と答えられなかったのは、言い訳にしか聞こえないとわかっていたから。本心だと受け取られないとわかっていたから。上に重宝されている立場を捨てたいと願う者など、普通はいない。
 宮殿で疎まれ続けている存在を、上はことあるごとに欲した。いや、正確にはその力か。慢性的に人手不足らしい上にとって、神童と呼ばれる少女がいることは都合がよかった。彼女が消えることを、上はよしとしなかった。
「そう、そうよね。あなたにも仲間がいるんだものね」
 少しだけ残念そうに笑ったありかの声が、梅花の思考を現実へ引き戻した。今梅花がいるのは宮殿ではない、無世界だ。ここで考えなければならないのは、ありかにどう対応すべきかということだ。しかし梅花はにわかには判断できなかった。気を隠しているからこの感情はありかには伝わっていないはずだが、笑顔を繕うことができない状態のままでは、長い時間を共にするのはきっとよくないだろう。できるならすぐに別れた方がいい。けれどもそれは、拒絶と捉えられかねない。
「それじゃあ、お茶だけでも飲んでいかない? ちょうど頂き物があるの」
 意を決したように、ありかはそう続けた。梅花はかすかに眉根を寄せた。
「でも、急にお邪魔するわけには」
「何を言ってるのよ、遠慮しないで。そんなに綺麗なところじゃあないけどね。それに、この時間だとあすずは部活だからまだ帰ってきてないし……」
 そこまで言ったところで、ありかは突然口をつぐんだ。飛び出してきた聞き覚えのない名前から、梅花は躊躇の理由を察する。
「あの、あすずは今、十三歳で……」
「妹、なんですね。いえ、何も気にしないでください」
 むしろ、その事実は梅花の心を軽くした。この無世界で両親が幸せに暮らしている象徴のように思えた。それが聞けただけで、再会した意味があったようにも感じられる。妹がいると都合が悪いのは、きっと事情を知らないからだろう。この無世界で生まれ普通の子どもとして育っているならば、わざわざ説明すべきことでもない。
「わかりました。では少しだけ」
 気持ちが幾分軽くなっただけに、梅花は素直に頷くことができた。この時間をうまく乗り越えることさえできたら、きっとありかたちは心穏やかに今後を迎えることができる。まるで自分に言い聞かせるような言葉だと、梅花は内心で苦笑した。結局は自分を納得させるための理屈だ。ありかのためではない。
 嬉しげに瞳を瞬かせたありかは、おもむろに歩き出した。梅花はスカートを翻して、その後をゆっくり追いかける。歩を進めながら、ありかは当たり障りのない話を続けた。無世界での思わぬ苦労話や、他の神技隊の話、乱雲の話が中心だった。あえて妹の話を避けているのは明白だった。だがそれを指摘する意味もなかったので、梅花は適当な相槌を繰り返す。
 夕闇が辺りを包み込み、街灯の周りを飛び交う羽虫が目立つようになった。ありかが饒舌なのはきっと緊張のせいだろう。それを和らげるだけの力が梅花にはなかった。こんな時でも微笑むことができる方法を教えてもらえばよかったと、頭の片隅でぼんやりと思う。
「乱雲もね、あなたに会いたがっていたわ」
「……そうですか」
 父親の名前を耳にしても、梅花にはどうも実感が湧かない。青葉と似ているらしいということは、リューから聞いてた。父はヤマト出身で、青葉が小さい頃はまだヤマトにいたらしい。それがどういう理由でか宮殿に移り住み、母と出会ったとの話だった。技使いとしても優秀だったと聞く。だから神技隊のリーダーに選ばれたのだ。もっとも、理由はそれだけではないだろう。宮殿内部の事情に通じていないから、手放しやすかったに違いない。
「梅花は、会いたくはないの?」
 ありかは足を止めた。遅れて立ち止まった梅花は、ゆるりと頭を傾ける。薄闇のせいで捉えにくい母の表情の奥に、悲嘆が見えたような気がした。わずかに目を伏せて、梅花は囁くように答える。
「正直に言うとよくわかりません。私は伝え聞いた父しか知りませんので」
「そう、そうよね」
「ただ、父も普通にこちらで生活しているようで、安心しました」
 あえて父のみに限定したが、それはありかに対しても同じだった。神技隊としての役目を終えた者たちには、ごく普通に暮らす権利が与えられている。少なくとも今はそうだ。何か異変が生じたら気になりはするだろうが、それでもずっと宮殿に囚われている必要はない。宮殿に住んでいた者が唯一、正式にあの閉塞的な空間から解放される方法とも言えた。
「……あなたは、どうするの?」
 ありかの眼差しは、何かを訴えているかのようだった。梅花は首を捻った。何を問われているのか、一瞬わからなかった。どうするもこうするも、今はただ神技隊としての役目を果たすしかない。だが四年後のことを尋ねられているのだと理解した途端に、返答に窮する。ここで本音を口にしてはいけないと直感が告げていた。
「今は、わかりません」
 梅花は首を横に振った。
「この頃の異変は、お母様も感じ取っていますよね? 今までにない事態が生じているようです。つい先ほど、第十五隊と第十九隊を神魔世界に送り届けてきたところです。私もいつ呼び戻されるかわかりませんし」
 先が読めぬ理由を異常事態のせいにして、梅花はそう返答した。その時だった。
「お母さん!」
 道のさらに先から、少女の呼ぶ声が聞こえた。弾かれたようにありかは振り返る。一瞬だけ、梅花の視界に声の主の姿が飛び込んできた。ありかの向こうに立ち尽くしていたのは、制服――セーラー服と呼ばれていたように記憶しいている――を着た小柄な少女だ。肩から大きな鞄を提げているのがやけに目立つ。
「あすず」
 呟くように、ありかが名を口にする。まだ帰ってこないだろうと言われていた妹だ。ここで梅花が顔を合わせるのはまずいだろう。これだけよく似た顔の人間とたまたま出会ったというのは、苦しい言い訳になってしまう。ありかの動揺を察して、梅花は軽く会釈した。
「もう日が暮れてしまいますしね。それじゃあ私はこれで」
 当たり障りのない言葉を掛けて、梅花は二人に背を向けた。「あっ」とありかの漏らす声が鼓膜を揺らすが、振り返るつもりはない。翻ったスカートが再び足に絡みついたが、それも気にせず梅花は歩き出した。妹にはっきり顔を見られていなければいいと願うばかりだ。
 気を隠し損ねたありかの複雑そうな感情が伝わってきた。安堵したような、落胆したような、そんな気。おそらく先ほど見たのと同じように、泣き出しそうな顔をしているのだろう。だから梅花は振り向かなかった。今ここで立ち止まることは誰のためにもならない。
「これでよかったのよ」
 彼らの平穏を壊したいわけではない。無世界での生活に波紋を与えるつもりはない。できるなら自分のことなど忘れて欲しいというのが梅花の希望だった。枷になどなりたくない。記憶から消し去るのが無理だというなら、「自分は自分なりに幸せにやっているので気にしないで」と言って笑いたかった。もうこれ以上、自分のせいで誰かが苦しむ姿など見たくない。
「うまく生きるのって難しいわね」
 梅花は独りごちた。「あの人は誰?」と尋ねる妹の声が、やけに強く耳に残った。



 帰ってきた梅花の様子がおかしいことに、青葉はすぐに気がついた。フライングたちを送り届けてきただけのはずなのに、どこか心ここにあらずだ。サイゾウにそう伝えてみても「そうか?」と首を傾げられるし、アサキやようは「疲れているんじゃないか」と口にするだけだったが。
 確かに、大人数を神魔世界へ連れて行けば疲弊するだろう。そうでなくとも彼女の仕事は多いし、無理をしがちなのだから。それでも何か妙だと、青葉は感じ取っていた。
「何かあったのか?」
 思い切って尋ねてみたのは、アサキたちが寝静まってからだ。白いテーブルに向かいながら帳簿を睨みつけていた梅花が、つと顔を上げる。テーブルに置かれた明かりに照らされた双眸が、わずかに揺らいだ。
「青葉、まだ寝てなかったの。……急にどうして?」
「帰ってきてから、やけに考え事してるだろ」
 梅花と向かい合うようにして、青葉は椅子に腰掛ける。帳簿をぱたりと閉じた彼女は、また考え込むように視線を落とした。「気のせいでしょう」と即答されないということは、躊躇っている証拠だ。彼が黙して待っていると、彼女はゆっくり口を開く。
「どうしても微笑まなきゃいけない時に、微笑む方法ってある?」
「……は?」
 梅花の問いかけは、予想外なものだった。思わず素っ頓狂な声を漏らして、青葉は眉根を寄せる。一体突然何の話だろう。全く想像できない。
「仕事なら、って思えたらできるようになったけど」
「いやいや、いきなりそんなこと言われてもオレには全然話が見えないから。梅花こそ何だよ急に。誰か何か言ったのか? 笑えって?」
 そんなことを言う人間がいるのなら、青葉は蹴り飛ばすつもりだ。以前は自分も同じようなことを考えていたし、実際口にしたこともあるが。自分のことは棚に上げて今はそう思う。無理強いしたくないという理由もあるが、梅花が必要時以外にも微笑むようになるなど危険でしかないからだった。――色々な意味で。
「別に、言われたわけじゃあないわ。必要かなって思ったのよ」
 視線を合わせないまま、梅花は言葉を濁した。間違いなく何かあったという動かぬ証拠を掴み、青葉は彼女の顔をのぞき込む。
「いつ? どこで? どうして急にそう思った?」
 距離を取ろうと背を逸らした梅花の指先は、帳簿の上を往復している。口にすべきかどうか迷っているのだろう。以前なら「関係ないでしょう」という一言で切り捨てられたかもしれないが、悩んでくれるくらいには近づけたということだ。そこで喜ぶのもいささか悲しい気がするが。
「――お母様と会ったの」
 わずかな沈黙の後、梅花はそう告げた。突拍子もない話ではあったが、すぐに青葉は事情を察した。彼女の両親については、彼も少しだけ聞いたことがある。
「梅花の母さんっていうと、あの、神技隊に選ばれた?」
「そう。最近異変続きだったでしょう? だから様子を見に来たみたいなのよ」
 なるほど、だから様子が変だったのか。しかしそれと笑顔の必要性が結びつかない。梅花の表情が乏しい理由など聞いたことはないが、少なくとも他人によく思われたいから繕うということはしたくないようだった。肉親に対しては違うのか? 青葉は疑問を視線に乗せつつ彼女を見つめる。
「それで?」
「……私がこうであることに対して、お母様には責任を感じて欲しくないのよ」
 いきなり結論へと達した梅花の返答は、実に抽象的だった。「こう」の内容はあえて言葉にしなかったのだろう。その中に何がどれだけ含まれているのかは、青葉にも推し量れない。いや、おそらくは全てか。
「オレは、お前んところの事情は詳しくわかってないけど。要するに、心配かけたくないから笑顔を作りたいってか?」
「心配……少し違うけれど、そんなようなものね」
「オレは反対だな」
 青葉が顔をしかめると、梅花は意外だと言いたげに小首を傾げた。心底不思議そうな様子だった。それが妙に腹立たしくて、彼はテーブルに頬杖をつく。彼が賛同するとでも思っていたのか。彼女に嘘を吐かせるような真似はしたくはない。
「それじゃあ何の解決にもならないし、誰のためにもならないだろ」
「どうにもならなかった過去に対しては、解釈のみがあるだけよ。血の繋がりだけで、いつまでも彼らを縛っていたくはないの」
 彼らという響きは、ひどく他人行儀に響いた。だがそれに文句を付けることは、青葉には不可能だった。自身の家族のことがふと呼び起こされる。脳裏に父親の姿が浮かび上がり、ずしりと胸の奥が重くなった。
 血縁だからという理由で全てが許されるわけでもないし、全てを許さなければならないわけでもない。互いのためにならないなら、距離を置いた方がよいこともある。長年離れていた家族に嘘偽りない姿を見せろと強制することは、梅花にとっては重荷となるのか? これを機に和解して欲しいと願うのは、彼の我が儘なのか? 返す言葉を失った彼は考え込む。彼女が目を伏せる様が痛々しかった。
「妹が、いたの」
 ぽつりと梅花は呟く。思いも寄らぬ話に青葉は瞠目した。落ち着いて考えてみたら何らおかしなことではないが、それでも無世界で技使いたちの子どもが生まれているという事実に現実感は湧かなかった。感情が追いつかない。彼が息を呑んでいると、彼女はゆくりなく立ち上がった。
「彼らの生活を壊したくはないの」
 引かれた椅子が鳴った。今にもかすれそうな声で囁かれた言葉は、祈りにも似ていた。逃げるように踵を返した梅花へと、青葉は無意識のうちに手を伸ばす。なびいた長い髪の先だけが指先に触れた。一瞬目に入った彼女の横顔は、まるで泣くのを堪えているかのように見えた。

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