白の垣間見 2

 少年は気を失っていたので、何かあってはと彼らは外へ連れ出すことにした。
「何してるんだよセレイラ、こんな所すぐに出なきゃ」
 その宇宙戦艦に興味があるのかセレイラは名残惜しそうだったが、リーツは彼女の手を引いて荒野へと出る。
 背負った少年はみすぼらしい服に、ぼろぼろの帽子をかぶっていた。癖のある黒髪は汚れており、肌には所々土が付いている。
「どうしてこんな少年があんな宇宙船に乗ってきたのかしら……」
 彼女の唇からこぼれた疑問に、彼は何も言うことができなかった。わからないことだらけだが、とりあえず命の危険がなかったことにほっとするばかりである。
 ドームへと走り中へ入ると、彼はそこで立ち止まった。このままもこもこコートを着たままではいけない。すると彼の困惑を読みとったのか、彼女は自分のコートを脱ぎ去り背負われていた少年を抱き上げた。相手が子どもとはいえ重いだろうに、そんなそぶりさえなく彼女はおもむろに口を開く。
「この子は私の部屋につれていくわ。それなりの処置ならできるし」
「え?」
 彼は目を瞬かせた。運ぶとなれば医務室だろうと思っていたのだ。コートを壁にかけ少年を受け取ると、彼は瞳に疑問を宿して彼女を見つめる。
「誰かに知られたら、どこからつれてきたんだって問いつめられるでしょう? あんな宇宙船に乗ってきたなんてことになれば、どういう扱い受けるかくらい想像できない?」
 彼女はさも当然といわんばかりの顔をしていた。わけがわからず首を傾げた彼は、彼女の言わんことに気づいてはっとする。
 謎の宇宙船に乗ってきた謎の少年。それを研究者が放っておくものだろうか? たとえ相手が子どもだとしても、長い間拘束されることは間違いないだろう。
 つまり、彼女はこの少年をかばうつもりなのだ。
 彼の背中に冷たい汗が落ちていく。
 もし、こんなことがばれた日には……一人前の研究者として認められなくなるのではないか?
 早くしろとせかす彼女に逆らって、彼は立ち止まり唇を結ぶ。
「セレイラ……お前、確かもうすぐ見習い卒業じゃなかったのか?」
 問いかける声は震えていて、彼は自分自身が情けなかった。振り返った彼女は、不思議そうに目を瞬かせている。
「そうよ、今丁度その研究途中なの」
「じゃあこんなことしていていいのかよ? もし、ばれたら――――」
「ああ、当分お預けね。たぶん最低でも五年くらいは認められないんじゃないかしら?」
「だったら!」
「それがどうしたの? 私はね、研究者である前に人でいたいの。心を持った人で、ね」
 彼女は春のような笑顔でそう言い切った。長い胡桃色の髪を手早くまとめて、さあ、と彼女は彼を促す。
 敵うわけがなかった。
 年上だからではなく、女性だからではなく、彼女だから。意思を固めた彼女に、彼が勝てたためしはなかった。
 彼はうなずき、少年を抱えたまま静かに廊下を走り抜けた。
 丁度昼前の時間は、廊下に誰もいないことはわかっている。皆お腹が空くまで熱中してそれぞれの研究室に閉じこもっているはずだ。研究熱心な仲間たちに彼は心の底でありがとうと告げる。
 彼女の研究室はやや遠かったが、無事誰にも見つからず辿り着くことができた。彼女が扉を開くと、彼は音もなくそこへ入り込み、ほっと安堵の息をもらす。
 扉が閉まり、鍵がかかった。
 これでとりあえず少年が見つかる危険性はかなり減った。見習いの、しかも女性の研究室に入ってくる研究者などほとんどいない。しばらくは大丈夫だろう。
「本当に、よかったのか? セレイラ」
「しつこいわね。あのね、リーツ、あの宇宙船がどんなものだったかあなたわかってる?」
 彼は手近なソファに少年を寝かせて、彼女に再度問いかけた。呆れた顔の彼女は眉根を寄せながら、色のある仕草で指先を自分の頬へと持ってくる。
「どんなものって……宇宙戦艦のことを俺がわかるわけないじゃないか」
「あれはね、第一期の宇宙船よ」
 一瞬その言葉の意味がわからず、彼は呆けた顔をした。言葉は頭の中に入ってきている、だがそれが意味することが理解できなかった。理解するのを、脳が拒否していた。
「まさか……」
 もれたのは否定するつぶやきで、彼は丸くなった目を彼女に向ける。彼女は神妙にうなずいて、嬉しそうに微笑んだ。
「間違いないわ。あれは第一期の――つまり、魔法を動力源とした古代の宇宙船よ」
 彼女の声は歓喜に満ちあふれていた。
 それも仕方あるまい。彼女はこの研究所でも数少ない、第一期の技術を専門とする研究者なのだから。
 世界は二度滅んだと、一般的には言われていた。だが研究者たちに言わせれば、世界は三度滅んでいた。
 第一期と呼ばれる時代、世界には未知なるエネルギーが溢れており、それを利用した技術が全ての土台となっていた。だがそれがある時を境に忽然と途絶え、第二期へと突入する。第二期は核エネルギーを中心とした時代だが、これは核戦争により終わりを迎えている。そしてその時代の技術の大半は、もはや失われたも同然だった。第三期も同じように、戦争によって技術が失われている。
 そして現在は、それらの失われた技術をつぎはぎした、技術のない時代だった。
 研究者たちはその失われた技術を再構成するのに躍起になり、今も没頭し続けている。
「でも、でも第一期は……神話の中の力だろう?」
 未知なるエネルギー、幻の力をもとにした技術など、今信じているものは少数だった。それは神話の中の出来事だった。しかし実際はいくつかそれらしきかけらが見つかってもいたし、セレイラのように専門に研究するものもいる。
「ええ、一般的にはそう思われているわね。でもあれは間違いない、ホワイティング合金でできていたわ。私見たことあるもの」
 だから第一期のものなのよと力説する彼女の顔は、恒星のごとく輝いていた。ホワイティング合金という言葉は彼も聞いたことがある。詳しくは知らないが、この研究所ぐらいしか保管していない貴重なもので、そしてとんでもない能力を持っているという話だった。
 彼女はそこで我に返り、声を落として気絶している少年を見る。
「でもね、だからこそこの少年を放っておくわけにはいかないよ。第一期の宇宙船に乗ってきた子ども、なんてことがわかったら、どんな扱い受けることか……」
 そうつぶやく彼女の顔には影が落ちていた。彼は口をつぐみ、同じく少年を見下ろす。
 簡素だが綺麗にしてあるソファの上に、小さな少年は横たわっていた。やせ細った体にぼろぼろの服は、彼が裕福ではなかったことを如実に訴えかけている。
「全ては、この子が目覚めてからね」
 そうつぶやいて嘆息するセレイラに、リーツは相槌を打った。



「リーツ!」
 知らぬ間にうとうとしかけていたリーツは、セレイラの声で目を覚ました。寝ぼけ眼で辺りを確認すれば、妙に綺麗な室内の様子が目に入ってくる。そこでようやくここがセレイラの研究室であることを彼は思い出した。
「この子が目を覚ましたわっ」
 催促するような声に、彼は慌てて彼女の隣へと駆けよる。ソファでは少年が目をこすりながら、身じろぎをしているところだった。
「あれ? ここどこ?」
 上半身を勢いよく起こして、少年は辺りをきょろきょろと見回した。見慣れない部屋に驚いているのだろう、目を瞬かせている。
「ここは私の研究室よ。あなたは、宇宙船の中で倒れていたの。覚えている?」
 彼女はそう説明し、少年の頭を優しく撫でた。それでもまだ事態がよくわかっていないのか、少年は左右に首を傾け、うーんとうなる。
「宇宙船って……あの秘密基地のこと? それは覚えてる。僕変なおじさんに追いかけられて逃げてきてたから。それから……あれ? 僕どうしたんだっけ?」
 少年は目を白黒とさせていた。かゆいのか頭をぼりぼりとかきながら、記憶の中をひっくり返しているようだ。
「確か、これで宇宙へ逃げられたらなあって思って隅っこの方に隠れてたんだ。そして……えーと、何か変なボタン押しちゃって、そしたら急に白く光って……」
 そこまで言い終えると少年は口を閉ざしてしまった。そこから記憶がぱったりと途切れたのだろう。セレイラとリーツは顔を見合わせ、うなずきあう。
「それで、気づいたらここに来てたってわけ?」
「うん、たぶん」
「そう……あ、あのね、名前を聞いてもいい?」
 彼女はできるだけ柔らかな口調で、そう問いかけた。少年は顔を上げ、彼女の焦げ茶色の瞳を見つめる。優しい人だとでも判断したのだろうか、少年の顔がほころびその頭が大きく縦に揺れた。そしてすぐに元気のいい声が上がる。
「うん! 僕はケイチ。お姉さんたちは?」
「私はセレイラ」
「で、俺がリーツ」
 セレイラとリーツは微笑みながら名乗った。怯えさせると面倒なことになると、直感的にわかっていた。これからどうするかは後で考えることにして、まずこの少年ケイチに自分たちが敵ではないことを理解してもらわねばならない。
「とりあえず怪我はないみたいだからしばらくここで休んでいてね。それでね、その、あなたはどこの星から来たの?」
 頭をほんの少し傾けて、セレイラは尋ねた。だがケイチはその黒い瞳を丸くしたまま、わけがわからないという顔をしている。
「どこの星って……ここは地球じゃないの?」
 ケイチの言葉に、彼女は絶句した。
 地球……それは今はアースと呼ばれ、一般にそこの人間は絶滅したと言われていた。交信が取れず、しかもそこから外へ出てくる者もここ数百年皆無なのだ。
「じゃあケイチはアー……じゃなくて地球から来たの? ここはね、惑星イルーオの研究所よ」
 彼女はそう説明するが、ケイチはなお混乱したようである。首をひねりながら瞳を曇らして泣きそうな顔になった。
「あー悪い悪い、難しい話だったよな? えーとつまり、ケイチはかなり遠いところまで飛んできたってことさ」
 慌ててリーツはそう付け加えた。それには納得したのか、ケイチは笑顔で大きくうなずく。リーツとセレイラは顔を見合わせ、困ったように微笑みあった。事態は思っていたより深刻なようだ。
 アースから来た少年。乗ってきたのは第一期の宇宙戦艦。そして少年は、アースの外のことなどわからないようである。
 頭の痛くなる問題だった。何よりこの少年は、あの宇宙戦艦についてもほとんど知らないような口振りである。ますます事件解決への道が遠ざかっていく。
「じゃあ俺何か飲み物取ってくるよ。疲れたから喉が渇いただろう? ついでに鍵も返してくる。あんまり遅れたらまた怒られるからな」
 リーツは立ち上がり、左手に握っていた鍵をぶらぶらと見せた。逃げるのかと言いたげにセレイラがにらみつけてくるが、彼はそれを無視して背中を向ける。ありがとう、というケイチの声が部屋に響いた。リーツは手を振り、扉に手をかける。
「こりゃあ、正直に全部話して相談する方が懸命かな」
 扉が閉まると、苦笑混じりにそうつぶやいて彼は手の中の鍵を見つめた。
 灰色の廊下は薄暗く、陰鬱とした空気が流れていた。



 鍵を返そうと部屋を出たリーツは、どう言い訳しようか考えながら廊下を歩いていた。窓から見える空、その端がやや紫に染まっている。
 アースの空はこんなホログラム映像じゃなく、もっと綺麗なんだろうな。
 彼はそんなことを思いながら、ゆっくりと歩を進めていった。飾り気のない廊下に、乾いた足音が響いていく。
「リーツ!」
 そんな彼の肩を叩く手があった。驚いて振り向けばそこには背の高い白衣の男性が立っている。リーツより四つ年上で、確かこの間見習いから一人前へと昇進したばかりだった。会うのは久しぶりだったなと思い返しながらリーツは尋ねる。
「どうかしたんですか? エドさん」
「どうかしたもあるかよ。知らないのか? 宇宙船の話。今大盛り上がりでさ、第一期から第三期のお偉いさん方がこぞって行ったぜ。そりゃ俺ら新時代の研究者にはあんまり関係ないけどなあ」
 口調こそ小馬鹿にしていたが、そう言う彼の目は好奇心に溢れていた。のぞき見しようと言い出しそうなくらいに、うずうずした様子である。
 宇宙船――――?
 だがリーツの顔は一気に青ざめた。
 それは、まさか、まさかあの宇宙船のことでは?
 間違いであってくれという願いを込めて、彼はエドの顔をゆっくりと見上げる。
「その宇宙船ってのは……ええっと、あの白い?」
「おう、真っ白な奴だとさ。ってなんだリーツ、お前も知ってるのか? なら先に言えよなあ。びっくりだよなあ、探知機に反応せずにこの惑星に降り立つなんて。しかも未知の物質でできてるって話もあるし」
 遅かった。
 リーツの脳裏にその言葉だけがよぎった。
 あの宇宙船はこれから詳しく調査されるだろう。そうすればあれが第一期の、神話と称された時代のものであることがわかってしまう。ケイチはどうなるのだろうか? あの宇宙船の力がわかるまでここに閉じこめられるのだろうか? 様々な検査を受けるのだろうか?
 背中を冷たい汗が落ちていき、握りしめた拳が震えた。
「おいリーツ、顔色が悪いぞ? どうかしたのか?」
「あ、いえ、ちょっと思い出したことがあって。それじゃあエドさん、俺はこれで」
 呼び止めるエドの声を背にしてリーツはかけだした。真っ直ぐ目指すのは、セレイラの部屋だ。
 まさか、こんなに早く見つかるなんて……。
 彼は唇を強く結んだ。人知れず着陸していたのだから、しばらくは見つからないだろうというのは甘い考えだった。あんな大物を見つけたら、手放そうとするわけがない。
 研究者である前に人でいたいの。
 彼女の言う意味が今でこそはっきりとわかる。
 上の研究者たちは、あの宇宙戦艦やケイチを何だかんだ理由をつけて自分たちのものにするだろう。丁寧に扱いはするものの、決して手放したりはしない。第一期の遺物は、たとえ壺の破片だったとしても貴重なものとみなされるのだ。
「じゃあ、ケイチの人生はどうなるんだよ……」
 あんな小さな少年を犠牲にしなければならないのか?
 それが、リーツにはわからなかった。
 セレイラの部屋、その扉が見えてくる。彼は手早くノックすると、返事を待たずにそれを開いた。
「セレイラ!」
 声を上げると途端に空気が張りつめ、驚いた表情のセレイラが立ち上がった。だが入ってきたのがリーツをわかると、その顔に安堵の色が戻ってくる。
「ちょっとびっくりさせないでよ、リーツ」
「セレイラ、それどころじゃないんだ。あの宇宙戦艦が上の人たちに見つかった」
 後ろ手に扉を閉めて、彼はまくし立てるようにそう言った。彼女は息を呑み、ソファに腰掛けていたケイチへと眼差しを向ける。
「宇宙戦艦? それって僕が乗ってきた奴?」
 ケイチがソファから立ち上がり、赤い目でリーツを見上げた。その頬には涙の跡が残っている。
「じゃあ僕は、お母さんたちの所に帰れないの?」
 すがるような声がリーツの胸を打った。どう答えるべきなのか、彼はわからない。現実を言うべきなのか、まやかしを唱えるべきなのか、彼には判断できなかった。
「帰れるわ」
 だが、セレイラはそう言い切った。
 リーツとケイチ、二人の視線を受けて、彼女は微笑んでいた。それは何かいたずらをしでかす前の、子どもの顔にも似ていた。
「宇宙船があれば何とかなるわ。ここに来られたのだから、帰れるはずよ。リーツ、その宇宙船はまだ研究所には運び込まれていないのよね?」
 彼女の問いかけにリーツはうなずく。あの大きさの宇宙船をドームの中に運び込むとなれば、大作業になるだろう。だがそんな気配は全くなかった。となればドーム外へ調査しにいったと考えるのが妥当だ。
「ならまだチャンスはあるわ。宇宙船を奪い返せばいいのよ」
 強気な言葉に、ケイチの顔が輝いた。セレイラに飛びつき、嬉しそうに本当かと何度も尋ねている。
「おいおいセレイラ――」
「何か問題ある? リーツ。大丈夫よ、私が気を引いてる間にあなたがケイチをつれていけばいいんだから」
「ってそんな無茶な」
「ケイチを親のもとへ帰してあげたいでしょう?」
 のぞき込むようなセレイラの瞳を、リーツは見つめた。ケイチの赤い目が頭をよぎり、そして調査に行ったきり帰ってこない両親の顔がおぼろげに浮かんでくる。
 帰してあげたい。その気持ちだけは確かだ。
「研究者って……気づくと研究馬鹿になりがちよね。でもあなたは、違うでしょう?」
 彼女の問いかけは既に問いかけですらなかった。確信に満ちた言葉に、彼は大きくうなずいた。

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