ファラールの舞曲
番外編 見えない鎖
人通りの多い道から少し外れたところに、その小さな店は建っていた。古びた作りではあるものの小綺麗な内装は、落ち着きたい人には密かな人気となっている。外側へと張り出した屋根の下には、白いテーブルが幾つかこぢんまりと置かれていた。その一席に探していた人物を見つけ、アースは袋を背負い直す。
「またお前はここにいたのか」
足音を立てずに近寄れども、声をかけた青年は驚いた様子もなくのんびりと振り返った。やや小太りな体型に穏やかな笑顔は、誰にものほほんとした印象を与える。また緑みを帯びた金髪は晴れやかな陽光を浴び、淡く輝いていた。その瞳も燦々とした光を帯びて、アースをおもむろに見上げている。
「アース、待ってたよー」
「つまりずっと動かずにいたわけか。まあイレイにしては上出来だな。で、ネオンたちはどうした?」
「まだ仕事みたい。依頼人がさ、何だか頑固な人なんだよねー。僕の分はもう終わっちゃったんだけど、当分かかると思うよ」
足をぶらぶらとさせる青年――イレイの向かいにアースは腰を下ろした。仲間の中でイレイだけが、アースの動向に気を遣わない。怯えるという概念がないのではと思う程、苛立ちも何もかもをイレイは受け流していた。だからアースも大して気負わずに共にいることができる。
「当分かかる、か。なら先に武器を買いに行った方がいいな」
アースは背負った袋を一瞥すると、眩しすぎる陽光に手をかざした。この星が小さいながらも活気づいているのは、いつも好天に恵まれているからとしか思えない。
鬱々とした天気の星は、大概争いごとも絶えなかった。もっとも食物という必要最低限の物資を巡る戦いばかりならば、それも仕方のないことだろう。この星でもし問題があるとすれば、あまりによく晴れて水やりが大変なだけだ。
「え、また武器買いに行くの?」
立ち上がろうとするアースに向かって、イレイは素っ頓狂な声を上げた。イレイの持つコップの中身が空であることを確認して、アースは眉根を寄せる。まさかまだここに居座るつもりではないだろう。
「またとは何だ」
「だってアース、剣を買ったばかりじゃない。ひょっとしてあれ、駄目だったの?」
「そうではない、魔物相手にあれだけ使える武器は初めてだ。ファラールでもあれがなければ話にならなかっただろう。今までで一番の代物だ」
席を立ったアースは、静かに腰からぶら下げてある長剣を見下ろした。この近くで見つけた、掘り出し物の武器の一つだ。あまりに安いからと最初は怪しんだのだが、店の主人が絶賛するためつい買ってしまった。確か信頼できる者が売っていったとか言っていたか。その言葉に嘘はなかったと、結果としてファラールでの戦いが証明してくれた。
「あ、じゃあ良かったからまた買うの?」
「何を勘違いしてる。買うのはお前の武器だ」
いっこうに立ち上がる気配のないイレイに向かって、アースは呆れ混じりの視線を向けた。この剣があればアースはもう十分だ。だが先日イレイの持つ武器は魔物に破壊されてしまっている。いつまた魔物と対峙するかわからない現状では、武器は必須だった。
「え、僕の!? でもそんなお金――」
「ファミィール家の依頼料があるだろ。それで十分すぎる程だ」
イレイの言葉を遮ると、アースは大げさに肩をすくめた。一つ一つ説明してやらないとイレイは理解してくれない。わかってはいることだが時折彼も疲れた。かといって始終ビクビクされるのも面倒なのだが。
「いいのー!?」
「よくなかったら言わん」
歩き出したアースの後をイレイが小走りでついてきた。重そうな体の割に軽い動きなのが常々不思議だ。今にも飛び跳ねそうなイレイを横目に、アースは苦笑を漏らした。
「そんなに嬉しいか?」
「だって僕のこの間壊れちゃったし! それにそれにアースが買ってくれるとか珍しいしっ」
「自分のが手に入ったからだ。それに先日のは破格の依頼料だったしな」
さすがはファミィール家といったところか。もともと滅多に大金を使わない彼らとしてみれば、使い道は限られていた。また何故か魔物と遭遇しやすい彼らとしては、それは最優先事項とも言える。
「それじゃあ、あの武器屋に行くの?」
「ああ、あいつの言葉に嘘はなかったと証明されたしな。異論はあるか?」
「ない!」
元気の良い返事を聞きながら、アースは先日の武器屋を目指した。また掘り出し物があるなどと期待はできないが、あの主人の目は本物だろう。他の店よりは少しはましな物が手に入るかもしれない。
細い路地を縫うように二人は歩いた。暖かな日差しも建物がひしめき合う中では、さすがに眩しさまでは感じない。石畳を叩くイレイの靴音が、伸びやかに辺りに反響した。アースは瞳を細めると腰からぶら下げた剣に触れる。これがあることを確認できるだけで、いつも感じる苛立ちが収まるから不思議だ。
武器屋まではそう遠くはなかった。しばらくもしないうちに無愛想なその店構えを見つけて、アースは口角を上げると歩調を速める。その後を急いだ様子でイレイが着いてきた。
「おじさーん、まった来ったよー」
扉を開けたアースの代わりに、イレイが弾むような声を上げた。しかしいつもはカウンター前にいる主人の姿が、今日はどこにも見あたらない。薄暗い店内には頼りない明かりが灯されているだけで、人の気配がなかった。
黙るアースの横でイレイが怪訝そうに首を傾げる。するとカウンターの奥の扉が開き、そこから見慣れた男が顔を出した。
「あ、おじさん!」
「今度はあんたらか。でもいい加減、それやめてくだせーって。こう見えてもまだ若いんだから」
たっぷりとした髭を蓄えたその男はこの武器屋の主人だ。数年前亡くなった父親の仕事を継いだらしい。だがこの男の方が評判は上々だった。
「ごめんごめん!」
「しかしあんたらは運がいいなー。ちょうどいい剣が手に入ったところだったんだ」
言葉の割に大して気にしたそぶりもなく、男は得意げに口の端を上げた。剣と聞いてイレイの瞳が輝く。その小太りな体がカウンターへと迫るのを、アースは頭を小突くことで止めた。
「いい剣って?」
「ほら、この間あんたらが買っていったあの長剣、あれを売ってった姉さんがまた顔を出してなー」
話しながら店の主人は、手にしていた革袋から一本の剣を取り出した。短剣と呼ぶには長いが長剣という程でもないだろう。一風変わった大きさのそれは、揺らぐ明かりに照らされ鈍く輝いている。
「この間のってことはアースのと同じ!?」
「同じ奴が売ってったってだけだが。でもこいつもかなりの値打ち物だぜ」
主人が見せた剣をイレイは食い入るように見つめている。しかしそれよりアースには気になることがあった。主人が口にした『姉さん』という言葉だ。
「女がこれを売っていったのか?」
アースが静かに問いかけると、主人の双眸に妖しい光が宿った。イレイがきょとんと首を傾げる横で、アースはまた無意識に剣へと伸びていた手をカウンターに載せる。
女が武器を売りに来るというのは珍しい話だった。買うことはあっても売ることはまずない。女がよく使う軽量の武器は、大概耐久性を犠牲にしているものだ。
「気になるかい? これがまたすごい可愛らしい姉さんでなー。しかも売ってくのはみなお手製らしいんだ。同じ所に寄るのは滅多にないって話だが、俺の目は信用してくれてるみたいでね。魔物に売らないならいいって」
胸を張る主人にアースは気のない相槌を打った。その事実を自慢とするくらいなのだから相当の人物なのだろう。長剣の実力を体験したばかりのアースにも、その気持ちはよくわかった。
できるなら会ってみたい。これだけの武器を手ずから作り出す女とは何者なのか? 彼が誰かに興味を示すというのは久しぶりのことだったが、それだけ気になる存在だった。
「ねえねえ、それってどんな人ー? 何歳くらい? この辺に住んでるの?」
もう剣を自分の物のように手にして、イレイが無邪気にせがみ出す。すると店の主人はもったいぶったように腕組みして、大仰に何度かうなずいてみせた。
「焦るな焦るな、俺にだってこう商売柄隠しておかなきゃならないことが――」
「もう十分喋ってるでしょ。ずるいなーそこで止めるなんて。それじゃあただ自慢してるだけじゃない!」
こういう時のイレイは強気だ。主人は突然困り顔になり、助けを求めるようアースの方を一瞥してきた。だがアースも助け船を出すつもりはない。黙ったまま視線を明後日へと向けると、さらなるイレイの言葉が店内に響き渡った。
「ずるいずるいずるい! ほら、名前なんて出さなくていいからさー。どんな人かだけちょこっと教えてくれると嬉しいなあ、なんて」
イレイがしつこいのは、前回の来店時に主人もわかっているはずだった。太刀打ちできないのは理解しているだろう。諦念のため息をこぼすと、彼はたっぷりとした髭を撫でて口を開いた。
「他の人には内緒ですぜ。ここらではまず見かけない人なんで」
「へーそうなんだ」
主人の恨めしげな眼差しがイレイ、アースを往復した。しかしイレイは意に介した様子もなくにこにことしているし、アースはいつも通りの不機嫌顔。これではとりつく島もない。
「見た目は……二十歳にもなってなさそうだけど、正確な年は知らねーな。華奢で可愛らしいお嬢さんって感じなんだが、おそらく強いんだろうな。強気な発言ばかりしてるよ。技使いなことには間違いなさそうなんだが」
だろうやおそらくが溢れる説明に、アースは胸中で失笑した。つまりこの男も何もわかっていないということだ。おそらくここへ来た回数もたいしたことないに違いない。せいぜい三、四回といったところか。
「他は?」
「俺が知ってるのはそれくらいさ。あとは魔物の情報を欲しがってることくらいかな。ああ、それと、この間の剣を誰が買ったのかしきりに気にしてたなー」
天井を睨みつけるようにして主人は唸った。その女が気にしていた剣とは、アースの腰にあるもののことだろうか? アースとイレイ、二人の視線がそこへと集まった。興味を持っているのがこちらだけではないというのは、どうにも不思議な気持ちになる。
「まさか我々のことは口にしてないだろうな?」
念のためアースはそう確認した。その眼光の鋭さに気がついたのか、主人は慌てた様子で首を横にぶんぶんと振る。女には甘そうな男だがその辺はきちんとしているようだ。だが全く喋っていないとは考えにくい。イレイに迫られあっさり折れたところを考えれば、容姿くらいは口にした可能性が高かった。
「へー何でだろうね。この剣に思い入れあったのかなあ」
イレイは純粋に疑問に思っているようで、首を傾げながらしきりに手にした剣とアースの剣を見比べた。立て続けに武器を売ってるくらいなのだから、それほど未練があるとも思えないが。
「俺も気になったから聞いてみたんだけどよ。魔物には売ってないぞ、って。そしたらそれ持ってる奴を見かけたとか言ってて」
「……は?」
首を捻る主人を、アースは睨みつけんばかりに凝視した。いつの間にか彼は、この剣の作り主に見られたということだろうか? しかし一体どこで? これはファラールに入る直前に買った物だから、考えられるのはそこでしかない。
「まさか――」
ファミィール家の屋敷にいたというのか。そう考えた瞬間に点と点が繋がり、アースは思わず息を呑んだ。イレイと店主が不思議そうに見てきたが、これを今説明するつもりにはなれない。
確かにいた。主人の説明に該当する女が確かにあの屋敷にはいた。どこかで見たことがあるような気がしていた女だ。直接言葉を交わすことはほとんどかったが、腰から下げていた剣ならばよく目にしていたはず。
「アース、思い当たる人いるの?」
イレイの問いかけに、正直に答えるべきかアースは迷った。あの屋敷には多くの技使いがいたのだから、この剣を見かけた者はかなりいるだろう。しかしそれでも彼女としか考えられなかった。理由は説明しがたいのだが確信めいたものがある。
「おい、その女は他に何か言っていたのか?」
結局アースは主人に問いかけることでその場をごまかした。主人は小さく唸ると、また記憶を探るよう天井を睨みつける。ぼうっと頼りない音を立てて明かりが揺らぎ、彼らの影をも揺らした。
「確か、役に立ってるならいいとかそんなことを言ってたような。あとは何か言ってたかなー。記憶にはねえや」
繕うような笑顔を浮かべながら主人は肩をすくめた。言いたくないのかそれとも本当に覚えていないのか、それはアースには判断できない。だがこれ以上聞いても無駄だということはわかった。もうここにいる理由もないだろう。
「そうか。ならもういい。そのイレイが持ってる奴をくれ」
アースはイレイの持つ剣をちらりと見やった。耐久性にも問題なさそうだし、金の心配はないからそこで躊躇う必要もない。もちろん実力も疑ってはいない。すると主人の瞳が輝き、その首が勢いよく何度も縦に振られた。
カウンターの前ではイレイが両手を振り上げて喜びの小躍りを始めた。リズム感のない靴音が店内に響き、棚に置かれていた武器が揺れて音を立てる。アースは苦笑しながら背負っていた袋をゆっくりと下ろした。
「役に立ってるならいい、か」
アースは小さくその言葉を繰り返した。そんな風に言ってもらえるような理由は思い当たらないが、別段悪い気はしなかった。この剣を手に入れられたのもきっと何かの縁なのだろう。そう考える方が楽だ。
「アース、ありがとうね!」
「ああ」
イレイの朗らかな礼にアースは適当な声を返した。理由のない苛立ちは、いつの間にか収まっていた。