ファラールの舞曲
番外編 彼と彼女の幻想曲-2
騒然とした会場は、異様な熱気に包まれていた。街から離れたそこは、普段は公然の秘密同然に賭博等に利用されている。それ故広いながらも隠れ家的存在の建物なのだが、今日は全く様相を異としていた。護衛に選ばれようと集った技使いたちが、そこで各々の力を競っているためだ。
ファミィール家が護衛を大々的に募集したところ、予想通り多くの自称技使いらが集まった。そのため護衛選出を目的として、実力試験が行われることとなった。この規模では異例のことだ。
まずは試験管の前で簡単な技を披露する一次試験があり、そこで技使いか否かの選別がある。それを突破すれば、ついで二次試験として実際に簡単な実技――すなわち一対一の戦闘が待っていた。仕組みとしては単純なものだ。
けれどもその単純なことさえ、この人数ではかなりの時間を要した。また広さの方も必要だった。この場所を確保するのにも、“テキア”は一苦労したくらいなのだ。急な話だったため、かなりの金額を迫られる結果となった。
時間に関しては、少し面倒な方法をとることで解決を図った。いくつかのグループに分かれそこで勝ち抜いた者が次の段階へ進むという、手間のかかる方式だ。一つ目の小グループで勝ち残れば、とりあえずそのほとんどは護衛へと選ばれる。
無論、十数人で一グループとなると、勝ち残るためには運も関わってくる。が、一応強い気の持ち主は同一グループにならないようにと、配慮はしてあった。強い者を逃すのは、彼としてもありがたくないことなのだ。雇うのならば実力者の方がいいに決まっている。
次の段階の戦いは、護衛としてどういった役割を与えられるかに関係していた。しかもそこに依頼料も関係してくるとなれば、やはり皆は張り切るもので。だからだろう、会場の熱気は収まるどころか増すばかりだった。騒々しさも手伝って、何か見せ物でもあるのかと思う程だ。
「これだけの数の技使いがいれば、やはりそれなりの者もいますね」
会場を訪れていた彼は、周囲を見回しながら苦笑を浮かべた。黒の上着は膝丈まであり、それが歩を進めるたびに衣擦れの音を立てる。床に反響する靴音も普段なら目立つところだが、今日ばかりは瞬く間に喧噪に飲み込まれていった。あちこちで繰り広げられる戦いの気配が、騒がしさに拍車をかけている。
彼の後ろには、キルギアを含めて数人の男たちがついてきていた。全員ファミィール家に関わる者たちだが、その中に技使いは一人もいない。そのためだろう、人垣の向こうに垣間見える戦いに、皆は目を白黒とさせていた。時折響き渡る爆音に、びくついては肩を震わせている。
「テキア様の仰る通りですね。この星にこれだけの技使いが集まるなど……想像していた以上でした」
背中にかかるのは感嘆のため息。彼は小さく相槌を打ちながら、焦る気持ちを抑えてゆっくりと歩みを進めていた。
彼が通れば、大概の技使いたちは驚いた顔で道を空ける。まさかファミィール家の者が直々に顔を出すとは、考えてもいなかったのだろう。実際、危険な行為でもあった。しかし魔族が潜んでいないか確かめるためには、会場へと乗り込むのが手っ取り早いのだ。どれだけ巧妙に隠れようとも、近づけば魔族の気は判別できる。
けれどもそんな彼を焦らせる気が、一つだけあった。それは魔族の気ではない。もちろん神の気でもなかった。だが人間のものとしてはどうも違和感があるのだ。人間でないとは言い切れないが、それでも何かがおかしいと思わせる気。
この気の持ち主は誰なのか? それを確かめるために、彼は歩いていた。本当ならちょっとした高台から試験の様子を見下ろすだけの予定だったが、こんな気があれば行かずにはいられない。この目で直に確認する必要があった。
魔族の気も幾つか会場にはあったが、そちらについては後の書類審査で落とす気だった。ありがたいことに普通の技使いの振りをしてくれているから、彼の方も気づかない振りをしていられる。書類は彼しか目を通さないため、他の者に怪しまれることはまずないはずだった。ならば今は、この謎の気の正体を確かめる方が先だ。
「おや、あちらで何か人だかりができていますね」
すると背後からキルギアの、不思議そうな声が聞こえてきた。気を探ることに意識を集中していた彼は、そう指摘されて初めてその存在に気がつく。それは彼が向かっている、ちょうど前方にあった。何人もの男たちが壁となって、何が起こっているかまでは見えない。しかしそこから溢れ出す気は、驚く程正の感情に溢れていた。
「何かあったんでしょうか?」
人だかりに興味を示す振りをして、彼はその中へと突き進んでいく。何かに夢中になっていた人々も、彼の登場には驚いて慌てて道を空けてくれた。彼はそんな者たちに、目だけで軽く一礼する。ゆっくりとした歩調で進めば、目的の気がその中心にいることが確信できた。ここにいるのは、一体何者なのだろうか?
「この騒ぎは何ですか?」
縮こまった隣の青年に聞きながら、彼は横目で問題の人物を見た。そこにいたのは、予想外にも一人の女性だった。少女、と呼んでもいいかもしれない。
白い肌に簡素な、護衛としては簡素すぎる服装。黒く長い髪は背中のあたりで軽く結われ、それが彼女の動きにあわせて揺れていた。人間の技使いが短髪を好むのを考えれば、珍しいことだ。
しかも戦闘中にもかかわらず浮かべた微笑は、穏やかながらも魅惑的なものを含んでいた。なるほど、確かにこれなら物見を装った技使いも増えるだろうと、彼も納得がいく。人間は見目を重視する生き物なのだ。
「いえ、その、強い女性がいると聞いて……」
聞かれた青年は、本音を言えずにまごついた。だがそんなことは意に介すことなく、彼は適当に返事すると相槌を打った。そして彼女へと視線を向け、瞳をすがめる。ちょうどそれは、彼女の手刀が対戦相手の首を強打したのとほぼ同時だった。大柄な男が地面に崩れ落ち、人だかりから歓声にも似た声が上がる。
確かに強い。今のは手の力を強化する技の効果だ。単純な技ではあるが、精神を温存しながら戦う上では効果的なものだった。彼もしばしば似たような技を使っている。もっともそれが意味をなすためには、体術の方もそれなりのものでなければならないが。
「これはまた、麗しい方ですね」
「彼女が騒ぎの原因ですか」
彼を追ってきたキルギアたちが、現状を把握すると口々にそう言った。若い者たちは仕方がないなと、言わんばかりの口調だった。しかし彼にとっては、そんな風に笑い話ですませられるものでもない。思わず眉根が寄り、吐息が漏れた。
得体の知れない気の持ち主は彼女だ。一見か弱そうなこの女性が、人間離れした気の所有者なのだ。
実際その目で確かめてみても、やはり普通の人間とは思えない。透明感のある鮮烈な気は、彼のものをも揺さぶる力を持っていた。近づくだけで心地よくなる気というものは、初めて体験する。つまり、恐ろしく混じり気が少ないのだ。
「テキア様?」
すると彼の眼差しに気づいたのか、彼女が不思議そうに振り返った。その黒い瞳が、真っ直ぐ彼へと向けられた。声は予想していたもの程高くはない。
瞳を瞬かせる彼女を、彼は真正面から見た。黒目がちなそれは、子どものものによく似ていた。こうしてみれば麗しいというよりは可愛らしいと呼ぶ類だろうか。顔立ちからすれば二十歳くらい。あくまで見た目は、だが、そのくらいに見えた。また体格はこれでもかというくらい華奢で、戦闘などすれば折れてしまいそうな印象を受ける。
「いえ、すいません。気にしないでください。人だかりができていたものですから」
わざわざ“テキア”が見に来たことを訝しがっているのだろうか? そうだという仮定のもとに、彼はゆるゆると首を横に振った。万が一彼女が魔族かその配下の者であれば、彼の正体を気取られるわけにはいかない。もっとも、どう探ったところで魔族の気ではなさそうだが。
「そうでしたか。どうもすいません」
彼女は周囲の男たちを一瞥して、困ったように微笑んだ。その挙動にも表情にも、特に怪しいところは見受けられない。保護欲をそそる類の反応だった。つまりもしこれが全て演技だとしたら、とんでもない者ということになる。
「いえ、こちらこそ邪魔をしてすいませんでした。どうぞ続けてください」
切れ長の瞳を細め、彼は軽く一礼すると踵を返した。彼女の瞳を見続けるのは危険な気がした。何故か全てを見透かされたような、そんな気になるのだ。巧妙に隠して偽っているはずなのに、他の者には感づかれていないというのに、彼女の前では妙な胸騒ぎがする。それはかつて感じたことのある警鐘にも似ていた。
「曲者だな」
誰にも聞こえないよう、口の中だけで彼はつぶやいた。直に会って魔族ではないと確信できたが、だからといって油断はできない。魔族の中には人間を利用する者もいるのだ。用心に越したことはない。
「テキア様」
彼の後ろを、慌てたようにキルギアたちがついてきた。一応様子は見に来たものの、何もすることがないためだ。いや、何もできないと言うべきか。技使いではない者には、ここで行われていることのほとんどが理解できないに違いない。夢の中の出来事のようなものだった。
「強い技使い程、見た目は若いですからね」
微苦笑を浮かべながら、彼は背後の男を一瞥した。その視界の端には彼女が映っている。穏和な色をたたえながら、それでも彼を追う視線には力があった。印象的な眼差しだ。
一瞬だけ、彼は見られていることを訝しがった。しかしよく考えれば、今彼はファミィール家の者としてここにいるのだ。そんな彼が顔を出せば、気になるのが普通だろう。疑心暗鬼に陥っているなと、彼は内心で苦笑する。油断しないことと、冷静な判断を失うことは別だ。気をつけなければならない。
「これだけ技使いがいるとなれば、安心ですね」
「魔物もきっと尻尾を巻いて逃げるでしょう」
「いやあ、良かった良かった」
背後では呑気な男たちの会話が繰り広げられていた。ここに魔族が紛れていると知れば、皆はどんな反応をするのだろうか? そんなことを思いながら、彼は瞳を伏せた。
騒ぎにならずにすんでいるのは、魔族がいつも以上に慎重だからだ。神に気取られまいと構えているにしても、腑に落ちない程に用心深かった。まるで何かに怯えているかのようだ。神の中でまともに動ける者は、少ないというのに。
「まさかな」
彼はかすれる程の声量でつぶやくと、再度会場を見回した。しかし彼女の姿は、既に人垣の向こうへと消えていた。