ファラールの舞曲
第十六話 「偽りを纏いし者」
突然の地響きに耳を塞いで、ゼジッテリカは空を見上げた。薄暗い雲の中では赤い光が瞬き、同時にかすかな空気の震えを生み出している。先ほどから何度も躓いているせいで、ドレスの裾は土まみれだった。しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。もう魔物はすぐそこまでやってきているのだから。
「リカ様」
シィラの落ち着いた警告にはっとし、ゼジッテリカは短剣を手に取った。ゼジッテリカからやや離れた前方に、シィラは立っている。彼女は右手に薄青色の剣を生み出し、左手では結界を張っていた。空から落ちてくる光の球を、弾き返しているのだ。魔物の姿こそまだないが、その攻撃は確実にゼジッテリカまで迫ってきている。
再び轟音が鳴り響いた。土煙が立ち込めて、思わずゼジッテリカは俯きながら目を瞑った。ドレスの裾が強くはためいて、耳障りな音を立てる。だが何が起こったのかわからない。魔物の攻撃が逸れて、どこかに落ちたのだろうか?
「屋敷を突き抜けて来ましたね」
シィラの言葉に、ゼジッテリカは怖々と瞼を開けた。いつの間にかシィラは、ゼジッテリカと屋敷の間に立っていた。シィラの左手が淡く輝き、その前には砕けた壁が転がっている。近くに魔物の姿はなかったが、しかし壁の穴の向こうにはそれらしき者たちの姿があった。
「あ、あれが魔物? 人間みたい……」
「見た目はほとんど同じですよ。髪や瞳の色が違いますけれど」
シィラは答えながらも、魔物の攻撃を結界で空へと弾いていた。ゼジッテリカがいるためだろう、彼女は大幅には動かない。それでも的確に攻撃を食い止め、反撃までしていた。今も壁の穴から飛び出してきた一人を、彼女の剣が一刀のもと葬り去っている。
だがさすがに全ての攻撃を防ぐことは難しいらしい。いや、屋敷が邪魔と言うべきか。上階の窓から落ちてくる破片を避けるようにして、ゼジッテリカは右へと移動した。するとそのさらに右手に炎の矢が落ちて、彼女は喉から声を漏らす。
「リカ様、剣を!」
振り返ったシィラの叫びに応じ、ゼジッテリカは短剣の柄を握った。すると降りかかってくる火の粉を防ぐように、ゼジッテリカを透明な膜が包み込んだ。火の粉が消え、それまで肌にまとわりついていた空気の熱さえ感じなくなる。何度も瞬きを繰り返して、ゼジッテリカは短剣を見下ろした。
この短剣の効果なのだろうか? よく見ればそれは手の中に収まったまま、淡く白い光を帯びていた。この周囲を覆う膜が結界なのだろう。シィラの言う通り、この剣はゼジッテリカを守ってくれているのだ。
ゼジッテリカは鞘ごと短剣を抱きかかえた。するとその様を一瞥して、シィラは薄く微笑んだ。ゼジッテリカはうなずいて、大丈夫だと瞳で告げる。シィラがいてこの短剣があれば、魔物の攻撃も怖くない気がした。もっとも轟音の度に驚いてしまうのはどうしようもないが。
「シィラ」
結界の中で、ゼジッテリカはその名をつぶやいた。シィラは確実に魔物を葬り去っているが、しかしその攻撃の余波まで防ぎきれてはいない。彼女自身は平気だが、中庭の木々や草が無事ではなかった。はじめは煙がくすぶっているだけだったが、次第にそれらは炎を上げながら燃え始める。熱のためか、周囲の景色が歪んで見えてきた。
こんな中にいて、シィラは平気なのだろうか? それがゼジッテリカには不思議だった。彼女は結界の内にいるからいいが、シィラはそうではないだろう。いや、それとも見えないだけでシィラの周りも結界が包み込んでいるのか? 疑問は次から次へとわいてくる。
シィラの薄青色の刃が、飛びかかってきた小柄な魔物を薙ぎ払った。結界越しでも不思議と聞こえるその悲鳴に、思わずゼジッテリカは目を瞑る。燃えさかる炎の音に混じって、あちこちから聞こえてくる断末魔の叫び。どこもかしこも戦場なのだと理解するには、それは十分なものだった。
こうしている間に、また誰かが死んでいるかもしれない。魔物相手なら護衛だってやられるだろう。ではテキアは無事だろうか? バンがついているから平気なのだろうか?
恐怖に震える体を短剣ごと抱きしめて、ゼジッテリカは顔を上げた。黒い煙が辺りを満たしている。シィラの姿はその影だけが見える程度で、魔物の姿までは判断できなかった。けれども聞こえてくる爆音が、悲鳴が、地響きが、まだ戦闘が終わっていないことを教えてくれている。
火の粉がまた、透明な膜に落ちて消えた。爆風が吹き付けてきて、ゼジッテリカは瞼を閉じた。膜越しにも感じる圧力らしきものに、彼女は耐えきれず地に膝をつく。ついで焦げるような臭いが鼻をついた。目を開けて見れば、すぐ傍の地面がチリチリと音を立てていた。だがそれでもゼジッテリカは熱さを感じない。
すると不意に、目の前の煙が晴れた。ゼジッテリカは顔を上げて、食い入るようにその光景を見つめた。彼女の前で片膝をついていたのはシィラだった。その右手の剣は大柄な男を串刺しにし、血に染まった左手は赤い光弾をわしづかみにしている。
声にならない悲鳴が漏れた。だがシィラはそのままの勢いで男を壁に叩き付け、その体から剣を引き抜いた。崩れた壁に落ちた男は、血に染まった黒衣もろとも一瞬で消えていってしまう。
「大丈夫です、リカ様」
立ち上がったシィラは、振り返ってそう言った。左手の光弾は、いつの間にか無くなっていた。よく見れば左手の血も彼女のものではない。おそらく返り血だろう。シィラは薄く微笑むと、軽く空を仰いだ。
「でもそろそろ本気にならないと、まずいみたいです」
その視線につられて、ゼジッテリカは空を見上げた。そして息を呑んだ。日の沈んだ空は暗い雲に覆われているが、そこに何かがいるのが彼女にもわかる。赤、青、様々な光が明滅しているのだ。それも中庭のちょうど真上だけが。
「シィラ、あれ――」
「全て魔物です。リカ様、どうかそこを動かないでくださいね。何があっても」
そう告げると、シィラの剣は一瞬で消えた。いや、消えたと思った次の瞬間には、別の刃が生み出されていた。それは先ほどのものとは比べ物にならない長さで、ゼジッテリカは目を見開く。
シィラの右手にあるのは、巨大な白い刃だった。形の定まらないそれは、揺れながらも確かにその力を感じさせる。時折そこから薄紫の光をほとばしらせながら、刃は強く輝いていた。光の強弱にあわせてシィラの黒い髪も揺れる。
「来た」
つぶやくと同時に、シィラは地を蹴った。途端空から落ちてきたのは、無数とも思える黒い矢だった。しかしゼジッテリカが怯える暇すらなく、それらはシィラの刃によってあっという間に切り裂かれ、消える。
それも全て刃が異様に伸びたからだ。元々大きかったそれは、まるで何か生き物のように形を変えていた。細長くなった刃は次々と矢を払い、その後を追って降りてきた魔物の胴も容易く切り裂いてしまう。切り裂かれた魔物は、今度は悲鳴すら上げずに光の粒子となった。
これはおかしい。何かがおかしい。
技のことについてはよく知らないゼジッテリカにも、そう感じ取れる光景だった。魔物がこうも簡単に殺されることがあるのだろうか? あっていいのだろうか? ゼジッテリカは汗のにじんだ手で、短剣の柄に触れる。
「ま、まさかっ!?」
その次の瞬間、今まで何も無かったはずの場所から声がした。それは崩れた屋敷の壁の、丁度前からだった。ゆっくりとその方を見れば、そこに赤髪の男が立ちつくしているのが目に入る。その後ろの穴からは、数人の魔物が顔を出していた。色とりどりの風変わりな衣装が、穴の向こうからちらちらと見える。
「まさか気づいてなかったなんて、言わないだろう?」
赤髪の男に向かって、シィラは言い放った。それを聞いてゼジッテリカは耳を疑った。今のは本当にシィラのものなのだろうか? 声は確かにシィラなのに、まるで別人の言葉に聞こえた。口調のせいだろう。そこからは余裕の響きしか感じられない。
「いや、しかし、まさか……」
「そんなに信じられないか? なら名乗ってやろうか?」
体を震わせる男に向かって、シィラは小首を傾げながら不敵に笑った。長めの前髪がその頬へと落ち、炎に照らされた白い頬を縁取る。その姿は妖艶と言ってもよかった。いっそう強く燃える炎の中で、彼女だけがまるで一人別世界の住人のようだ。
刹那。背後から襲いかかってきた魔物を二人、何の予備動作もなくシィラの刃が葬り去った。ただ右手を振り上げただけなのに、白い刃は二人の体を切り裂いていた。それらはすぐに跡形もなく消えていく。
「神魔の落とし子、瞬殺のレーナ、未成生物物体。呼び名は色々あるよな」
赤髪の男は、一歩後退した。彼の瞳にあるのはもはや恐怖の色のみだった。ゼジッテリカはその様をただ見つめながら、ことの成り行きを見守るしかない。
「い、いつの間に……」
「われならずっといたよ、ここに」
シィラは微笑むと、再度地面を蹴り上げた。彼女の刃は、恐怖で固まった男の体を易々と薙ぎ払った。否、それはその背後にいた魔物たちもろとも葬り去っていた。白い刃が揺らめいて、そこから薄紫色の光がほとばしる。
「後は上空か」
そのままシィラは体を半回転させて空を見上げた。そこでは相変わらず、色とりどりの光が明滅していた。すると煙が立ち込める中、炎が勢いを増して一瞬だけシィラの姿をかき消す。ゼジッテリカは瞬きをした。案の定、形を変えた炎の先にはシィラはいなかった。
焦りから上空を見上げれば、白い刃が旋回する様だけが見えた。それだけが目に焼きついた。いつの間にか空高く飛び上がっていたシィラの姿は、ゼジッテリカの肉眼では捉えることができない。遠すぎるためではない、動きが速すぎるからだ。白い刃の残像だけが、灰色の雲の中で浮き立って見える。
「すごい」
ゼジッテリカは呆然とつぶやいた。これはもはや戦いですらなかった。舞踊だ。何かの見せ物だ。そこにいるのはシィラではなく、何か別の役を演じている女性がいるだけだった。これをたとえ他の護衛が見たところで、何が起こっているか理解できないだろう。ましてやそこにシィラがいるなど、信じられないに違いなかった。
次第に光の明滅は減っていった。その意味するところを理解して、ゼジッテリカは短剣を強く抱いた。遠くから聞こえる爆発音は、いまだ収まる気配がない。皆が無事であればいいと、彼女は強く願った。『あのシィラ』ならば全ての魔物を倒してくれるだろうから、それまで生きていて欲しいと。そう祈らずにはいられなかった。
地面が激しく揺れる。膝をついたまま、ゼジッテリカは唇を噛んだ。燃え盛る炎が時折はぜて、その火の粉が薄い膜に弾かれていく。
その時突然、短剣を包む光が強くなった。驚いてそれを凝視すると、今度は前方から強い風が吹き付けてきた。膜越しにも伝わる圧力に、ゼジッテリカは目を細める。
「シィラ!?」
狭まった視界の中でも、ゼジッテリカはシィラの姿をすぐに見つけだした。シィラはすぐ目の前で、左手を前に突き出していた。その手から生み出された結界が、何かの攻撃を防いでいる。その正体は、ゼジッテリカの位置からではわからなかった。ただ短剣の張った結界だけでは防ぎきれないものだと、それだけは察せられるが。
「ようやく首謀者のお出ましか」
シィラの声が辺りに響いた。彼女の刃から薄紫の光がほとばしり、空気を震わせて得体の知れない音を発した。
「首謀者、か。図られたということかな」
次に聞こえたのは、低い男の声だった。それはシィラのさらに向こう、灰色の煙の中から届けられている。ゼジッテリカは目をすがめたまま、じっとそれを見つめた。すると不意に煙が揺れ、土を踏みしめる音が聞こえてきた。
姿を現したのは端正な顔立ちの男だった。白に見間違えそうな銀の髪を持ち、その衣も鮮やかな空色で統一されている。人間だと、そう言われても違和感のない男だった。ただその空色の瞳はあまりに鮮やかで、そこだけが如実に異質な何かを示している。
「お前があのレーナか」
「そう。噂の、な」
「噂以上の女だ。神とも魔族とも言い得ぬこの気、なのに容易く周囲に紛れるとは」
「得意なんだ、隠れるのは」
男の言葉に、軽くシィラは返した。いや、今はレーナと呼ぶべきなのだろうか? それもゼジッテリカにはよくわからなかった。何が正しくて何が偽りなのか、もう判断できない。ただ彼女が自分の味方であることは、それだけは確信できた。
「得意なのは図ることもだろう?」
「そうかな。だって簡単な策だろう? われがここを離れれば、追いつめられたお前たちは賭に出るはず。誰にでも思いつきそうじゃないか」
「それでも実行する者はまずいない。守る自信がないからだ」
シィラの言葉に、別の声が応えを返した。と同時に銀髪の男の後ろから、もう一人の男が姿を現した。黒い髪を腰まで伸ばした、背の高い男だ。空色の衣服は銀髪の男と揃いで、二人が並ぶと不思議な印象になる。ゼジッテリカは瞳を瞬かせた。
「まさかお前がこんな所にいるとはな」
「半信半疑だっただけだろう? これだけ派手にしていれば、そりゃあやってくるさ」
黒髪の男に、シィラは肩をすくめてみせる。強ばった二人の顔とは対照的に、彼女の後ろ姿には余裕が感じられた。だがその白い刃へと目を移せば、その理由はゼジッテリカにも明白だ。強いのだ、シィラは。おそらくこの場にいる誰よりも。魔物が何人いてもかまわない程、彼女の実力は抜きん出ているのだ。
「しかしまさかこんなに早く現れるとは――」
「先にな、目をつけていた者がいたんだよ。どうやらお前たちは、まだ気がついていないようだが」
シィラの落ち着いた返答に、魔物二人はあからさまな動揺を見せた。その瞳が見開かれ、唇からはかすれた吐息だけが漏れる。彼女の言わんとすることはゼジッテリカには上手く理解できなかったが、重大なことのようだった。銀髪の男の眉間に皺が寄って、表情に険しさが増す。
「違和感は全てわれのせいだと思ってたんだろう? われを隠れ蓑にしてお前達の天敵が隠れているよ。まあ、今さら言っても遅いことだが」
シィラがそう言い終わるか否かという時、右手の白い刃が突如輝きを増した。彼女は左足を軸に半回転すると、そのままの勢いで刃を薙いだ。白い残像を残したそれは、柔らかくしなりながら黒い影を捉える。
「ぐっ……」
かすかに聞こえたのは、男のうめき声だった。藍色の髪を腰まで伸ばした、護衛と比べても細身の青年。その細い胴の半分まで、白い刃がめり込んでいた。男の焦点の合わない瞳は空を彷徨い、口からは一筋の血が流れ出ている。
「カアメイス!?」
「瞬殺、って言っただろう」
カアメイスと呼ばれたその男は、地面に落ちる寸前に光となって消えた。彼がそこにいたという証拠すら残さずに、跡形もなく消えてしまった。ゼジッテリカは怖々とシィラを見上げる。刃を手にしてたたずんだシィラ、その横顔には何故か複雑な微笑が浮かんでいた。
死んだ魔物は、ゼジッテリカを狙っていたのだろう。そう思うと身の毛がよだち、ゼジッテリカは抱いた短剣を一瞥した。いくら短剣の結界があるからといっても、これはおそらく万全ではないのだ。魔物に直接斬られれば、無事ではすまない。
「ファミィールもファラールも、潰させはしない」
シィラの刃から、再び薄紫の光がほとばしった。彼女の動きは、本当に最小限だった。ただ左足を一歩前に踏み出して、刃を振り上げただけ。それなのにその刃の伸びた先には、黒髪の男の体があった。後退しようとしていた男を結界もろとも、刃は切り裂いたのだ。消滅する結界を凝視しながら、ゼジッテリカは息を呑む。
「……逃げないのか?」
「神魔の落とし子を前にして、逃げる愚かさを俺は知っている」
それでもその場から一歩も動かない銀髪の男を、シィラは一瞥した。また背中しか見えなくなってしまったが、シィラはきっと困ったように笑っているのだろう。ゼジッテリカにはそう確信できた。炎のはぜる音に混じって、遠くからまた爆音が聞こえてくる。周囲の炎もその勢いを衰えさせることなく、なお燃え続けていた。
「驚く程諦めがいいな」
「これだけ数を減らせば、立て直すには時間が必要だろう。何百年、何千年という月日がな。私がいなければ、それはさらに時間を要する」
「そうだな」
「つまり俺を殺せば、お前の目的は達成されるはずだ。さあ、遠慮無くやるがいい。神魔の落とし子をやり過ごす最大の手を、俺が知らないとでも思っているのか?」
銀髪の男に、今日初めての笑みが浮かんだ。嘲笑とも苦笑とも取れる、けれどもどこか誇りをうかがわせる笑顔だった。シィラの肩がすくめられて、右手の刃がいっそう輝きを増す。刃の形が揺らめくのにあわせて、彼女の緩く束ねられた髪もふわりと揺れた。
「これだから、上に立とうとする魔族はやっかいなんだ」
シィラの声には、苦笑が混じっていた。だが彼女はすぐに、彼へと向かって一刀を喰らわせた。微動だにしない男の胴を、刃は躊躇うことなく切り裂いていく。
「……シィラ」
男は絶叫どころか声一つ漏らさなかった。血だまりも残さなかった。燃え盛る炎を背景に、光の粒子が舞いながら空気へと溶け込んでいく。それは幻想的な光景にも見えた。飛び交う火の粉の中には、光を纏ったシィラの背中しか残されていない。
「ごめんなさいね、リカ様。驚いたでしょう?」
ついで振り返ったシィラが浮かべていたのは、ゼジッテリカがよく知る微笑みだった。右手の刃も消え、圧倒的だったその力の名残すらなかった。ただ返り血を浴びた白い上衣だけが、戦の跡をかろうじて残している。
「み、みんな死んだの?」
「いいえ、実は死んでないんです。リカ様」
振り向いたシィラは、それ以上ゼジッテリカへとは近寄ってこなかった。いまだにゼジッテリカを包んでいる膜越しに交わされる会話は、どこかぎこちないものを含んでいる。それはシィラの遠慮からなのか、それともゼジッテリカが動揺しているためなのか、定かではないが。
「体を構成するだけの力がなくなって、消えただけなんです。だから核は残っています」
「よく意味がわからないよ、シィラ」
「死んだわけではないですが、今から何百年、何千年、いえ、何万年かは動けないだろうということです。彼が言っていたように」
彼、と口にした途端、シィラの瞳は細められた。それは敵に対するものとは思えない切なげな眼差しだった。見ているだけでゼジッテリカの胸も苦しくなり、それを紛らわせるように口が言葉を探し始める。
「ねえ、ねえシィラ。シィラは、本当は――」
「リカ様、お願いです。今日のことは、皆さんには秘密ですよ? 私、彼らの間ではちょっとした有名人なんです。でも目立ちたくなかったので隠れてみました。どうにかして彼らには出てきてもらいたかったので」
そう言われると何も考えずに、ゼジッテリカは首を縦に振っていた。それはほとんど条件反射だった。シィラという存在は、偽りのものだったのかもしれない。しかしそれでも今目の前にいるのは確かにシィラなのだ。ゼジッテリカのことを思い胸を痛めてくれる、大切な人。こうやって瞳を見ていれば、それを疑うことはできない。
「ごめんなさいね、リカ様。でも私の思いはずっと同じですから」
「うん」
ゼジッテリカはうなずいて微笑んだ。シィラが何を望んでこんなことをしているのか、正直気にならないわけではない。しかしそれよりもゼジッテリカにとっては大切なことがあった。シィラの心を疑いたくないという、信頼したいという気持ち。だから今は何も言わず信じてみようと、ゼジッテリカは胸中でつぶやいた。
「そろそろ戦いも終わりですね」
言われた通り、気づけば遠くからの爆発音はもう聞こえなくなっていた。あの銀髪の男が倒されたからだろう。魔物も撤退の意思を見せ始めているのだ。これで、恐ろしい戦闘は終わる。長年続いていた魔物との攻防も終了だ。
「うん、終わりだね」
ゼジッテリカは空を仰いだ。藍色の空に浮かんだ雲の切れ間では、小さな星だけが瞬いていた。