ウィスタリア

第二章 第二話「見せしめですよ」

「私の言うこと、わかってくださいますか?」
 しばし続いた重い沈黙を、打ち破ったのは一人の男だった。白いマントを羽織っているためわかりづらいが、筋肉質とはほど遠い細身に映る体格だ。優雅に彼が頭を傾けると、肩口で切り揃えられた赤茶色の髪が揺れる。垂れた目が細められると、穏やかな印象にほんの少しだけ棘が混じった。
「ねえ、カーパル殿」
 意図的に低く抑えた声が、彼の目の前にいる女――カーパルへ向けて放たれた。よく磨かれた白いテーブルを挟んで、二人は向かい合っている。カーパルは微動だにせず、ただ瞳だけをすがめた。彼女の後ろには二人の男がいるが、先ほどから全く動いていない。石像と化したがごとく、その場にたたずんでいるのみだった。
 大きなテーブルの他には時代を感じさせる調度品が置かれているが、それでも足りないくらいに広い部屋。そんな場所に四人の人間しかいないというのは、異様であった。
「ええ、わかっているつもりです。フェマー殿」
 カーパルは頷くと、問いかけてきた男性――フェマーにそう答えてみせた。無表情を貫くカーパルとは違い、先ほどからフェマーはずっと友好的な微笑を浮かべている。浅く椅子に腰掛けた彼は、ほんの少し前へと身を乗り出した。彼の前に置かれたカップに、影が落ちる。
「あなたたちにとっても、悪い話だとは思わないんですがね。私たちがこんなによい条件を出すことなんて滅多にないんです。他国と関わりのないあなたたちは、ひょっとしたらご存じないかもしれませんが」
「ええ、存じておりません。ですからその言葉の真偽もわかりませんね」
「おやおや、手厳しい。いえ、責めるつもりはありませんよ。どこも必死なのはわかっていますからね。我々も、あなたたちも、皆。どの国も追い詰められている」
 張り詰めた空気に、フェマーの穏やかな声が響く。対してカーパルの硬い声には、あからさまな拒絶の色が滲んでいた。しかし気にした様子もなく、フェマーは逆の方へと頭を傾ける。厚い雲が流れていったためか、窓から差し込む日の光が不意に強まった。それを合図にでもしたのか、彼の焦茶色の瞳が楽しげに輝く。
「私たちは食料が欲しいだけなんです。もっと上質な食料が。ニーミナではよい小麦が採れるでしょう? それをほんの少し、私たちにも分けて欲しいんです。ジブルは広いですが、住んでいる人間の数も多い。昨今の異常気象には困っています」
「食料と資材を引き替えに、ね。そんな好条件を出す必要が、本当にジブルにはあるのですか? どの国も喉から手が出る程欲しがっているものでしょう。いくら裕福なあなたたちでも、その条件では釣り合いません」
「疑っておいでですか」
「疑われないと思っておられるんですか」
「少なくとも、そう率直に口に出すような方とお会いするのは初めてですね」
 フェマーの皮肉に、カーパルの眉根が寄った。しかし彼女がそれ以上感情を露わにすることはなかった。小さな息を吐いて瞼を伏せると、「そのようにはっきりと仰る方とお会いするのは、私も初めてですよ」と返す。フェマーの口からくつくつと笑い声が漏れた。もう、カーパルは反応しなかった。カーパルの後ろに控えていた男たちが、わずかに肩に力を込める。
「失礼。好意から言ったまでです。個人的に、あなたのような人は好ましいと思っています」
「ご冗談を」
「信じていただけませんか、残念ですね。私は決してこの国に害を及ぼしたいとは考えていないんですよ。むしろ守りたいと思っている。そのためにはお互い、感情だけで動いてはよくないと思いませんか? 世界は広い」
 大袈裟に首をすくめたフェマーは、両手を軽く上げて眉尻を下げた。対してカーパルはやはり表情を変えることなく、テーブルにあるカップを一瞥したのみだ。カップの中身はニーミナでは珍しくもないお茶の一種だが、二人とも口をつけてはいない。立ち上っていた湯気も、今はかろうじて見える程度だった。
 小国ニーミナと比べものにならない程、ジブルは大きい。そして豊かだ。そのことを認識していない者は、少なくともこの場にはいなかった。
 領土にも気候にも恵まれたジブルとは違って、より北に位置するニーミナはひたすらに貧しい。資源も財力も乏しい。「手に入れても意味がないから他国は放置している」と思っている子どもたちも、世界には多くいた。それだけの理由で放られている場所など、実際にはないのだが。
 カーパルは再びフェマーを見つめる。そしてわざとらしく眉をひそめると、首を横に振った。テーブルの上で組まれた手に、かすかに力が込められる。
「残念ですが、仰りたいことがわかりませんね」
「お互い、欲しい物があるなら譲り合うことも必要でしょう。そう言っているんです」
「ですが守らねばならぬ物もあります。譲れない物もあります」
 言い切るカーパルの声が、張り詰めた空気へと突き刺さる。フェマーは深く相槌を打つと、瞳をすがめて頭を傾けた。そして「仰りたいことはわかります」と神妙な口調で付け加える。
「けれども妥協点を見つけることも、時には大切だと思いますよ。特に切迫している場合は」
 続けてフェマーはそう告げた。声を荒げたりはしなかったが、それでも語気は強かった。控えている男たちの体に力が入ったくらいだ。カーパルはしばし間を置いてから、ゆっくり口を開く。
「あなたはあなたの持論を押しつけているだけのように見えますね」
「そのようなつもりはないんですけどね。ええ、いいでしょう。まだ時間はあります。こちらにあと二日、滞在してもよろしいんですよね?」
「あなたがそのようにしたければ、我々は拒みません」
 フェマーの問いかけに、カーパルはやはり表情を変えずに頷いた。フェマーは満足そうに微笑むと「ありがとうございます」と礼を述べる。話が終わる気配を感じて、カーパルの背後に立つ男たちから少しだけ力が抜けた。彼らにとっての最悪の時間が終了するわけだから、無理もないことだろう。すると友好的な笑顔のまま、フェマーが軽く頭を下げる。
「突然の訪問にも対応していただけて感謝しております。あなたのような麗しい人に迎え入れていただいて光栄ですよ。先ほどのお会いした姫様も、可愛らしい方でしたね」
 だが、そこで会話は終わらなかった。柔和な声音で告げられた名に、カーパルの表情があからさまに曇る。彼女自身の話をされた時よりも、わかりやすい変化だった。まだ立ち上がろうとしないフェマーへと、カーパルは鋭い眼光を向ける。
「もう二度と姫様には会わないでください」
「どうしてです?」
「理由を言う必要はありません。今のも特別な措置なのです」
「――そうでしたか。私のわがままを聞いてくださりありがとうございます。いくら感謝してもしたりないですね」
 それ以上、フェマーは粘らなかった。ちょっとした好奇心だと言わんばかりに肩をすくめ、ゆっくりと席を立つ。続いてカーパルもやおら立ち上がった。控えている男たちが一歩前へと進み出て、カーパルの背を守る。
「それでは、今日のところはお引き取りください。私も他に仕事がありますので。部屋には後に案内させます」
「お時間をいただいてすみません、カーパル殿。よい返事をお待ちしてますよ」
 にこやかに告げたフェマーへと、カーパルは何も答えなかった。ただこの空気に堪えかねている男たちへ、肩越しに目配せをしただけだった。



 クロミオを部屋へと送り届けたゼイツは、奥の棟を彷徨い歩いていた。同じ所をぐるぐると回り、時折扉へと耳を傾けて気配を探ることを繰り返し、様子をうかがっていた。ジブルの使者とやらを見つけるためだ。本当にジブルから来たのか? ジブルを語る偽物ではないのか? 彼の内に渦巻く疑問は、先ほどから全く尽きない。
 ゼイツはまだこの教会にいる。何もジブルへと伝えてはいない。それなのに動き出すとはどういうことだろう? 信じられなかった。本当にジブルの使者だったとすれば、禁忌の力とは全くの別件なのだろうか?
 使者と名乗る者が通される場所はどこだろうか。それをゼイツは考えた。東の棟や南の棟は考えにくいだろう。本来の『教会』である西の棟にはもしかしたら客用の部屋があるかもしれないが、しかしそんなところへルネテーラを行かせたとは考えにくい。ならば北の棟か奥の棟ではないかと睨んでいた。
 彼はまだ北の棟へ行く道を知らない。奥の棟の傍にあるはずなのだが、そこへ行く方法を見つけられていなかった。直接は繋がっていないのだろうか?
 廊下に響く靴音に、段々と嫌気が差す。無駄なことをしているのではないかと一瞬でも思うと、なおさら足が重くなった。どうにかしてルネテーラとまた会い、話を聞いた方が早いかもしれない。どこで会ったのか、どんな相手だったのか、きっとルネテーラならば何の疑いもなく教えてくれることだろう。彼女はクロミオと同じくらい無垢だ。
 そんな風に別の方向から探ろうかと悩んでいる時、ふと、ゼイツの耳は音を拾った。その場で立ち止まると、それはさらにはっきり鼓膜を震わせる。誰かの足音だ。悠然とした一定の歩調で、徐々に近づいてきているようだった。この歩き方はウルナのものでもルネテーラのものでもクロミオのものでもない。ラディアスとも違う。ゼイツは息を呑んだ。
 彼がたたずんでいる間に、反響する音が次第に大きくなる。そして前方の角より、一人の男が姿を見せた。背はさほど高くない、童顔な男だ。廊下の曲がり角で立ち止まった男は、怪訝そうな顔で周囲を見回す。その動きに合わせて切り揃えられた赤茶色の髪が、着込んだ白いマントが、優雅に揺れた。
 マントを留める紋章には、ゼイツも見覚えがあった。あれはジブルを代表する者にのみ許されている特別な物だ。陽の光を象徴する紋章は、ジブルの使者である証だった。
 困惑気味な男の視線がゼイツを捉えた。彼は一瞬不思議そうな顔をした後、人好きのする笑顔を浮かべて近づいてくる。まさかこの状況で逃げるわけにもいかず、ゼイツは待ち受けた。
「ちょうどよいところに。すみません、一度部屋を出てしまったら、どうも道に迷ってしまったみたいで」
 男はゼイツに声を掛けてきた。案内された部屋の位置を確認せず歩き回ったせいで、自分の部屋がどこにあるのかわからなくなったのだろう。同じような扉が並んでいるだけの不案内な場所だ、気持ちはわかる。
 ゼイツはどう返答すべきか考えながら周囲を見回した。傍には誰もいない。近寄ってくる気配もない。ウルナとクロミオの部屋からも、幸い離れている。立ち聞きされるという心配はなさそうだった。
「あなたは?」
 とりあえず無難な質問を口にして、ゼイツは首を傾げた。はっと気づいたように、男は軽く一礼する。切り揃えられた赤茶色の髪が、薄い布のように軽やかに揺れた。マントの衣擦れの音が懐かしく思える。
「これは失礼を。私はジブルより参りましたフェマーと申します。二日ほどこちらに泊めていただけるというご厚意に甘えまして、こちらの部屋に案内していただいたのですが。それなのにこの有様です、お恥ずかしい」
 使者としてやってきた男はフェマーというらしい。その名に、ゼイツは覚えがなかった。だが紋章を偽ることはまず不可能だから、ジブルの者ではあるはずだ。少なくとも、ジブルからニーミナに誰かが派遣されたということは間違いない。ゼイツはもう一度周囲を素早く確認する。やはり誰かが近づいてくる気配も、靴音もしなかった。
「俺はゼイツです」
 一言、ゼイツは名乗った。それは一種の賭けだった。フェマーがその名を知っているのかどうか、何か聞かされているのかどうか。ジブルの使者を殺して成り代わっているという可能性も皆無ではなかった。だがゼイツを知っている者であれば、その確率はぐっと下がる。
 ゼイツが反応を待っていると、フェマーの垂れた目が細められた。右の口の端だけが上がり、幼い顔には不釣り合いな歪な笑みが浮かぶ。
「ああ、あなたが」
 フェマーの声は、ねぶるようなものに聞こえた。少なくとも好意的には響かなかった。ゼイツが眉根を寄せると、フェマーは素早く視線を辺りへと走らせる。そして誰もいないことを確認すると、指通りの良さそうな髪を耳にかけた。
「ザイヤ殿のご子息ですね。存じてますよ。生きてらっしゃったとは……さすがです。死出の旅路だと誰もが思っていましたからね。こんな朗報を持って帰ることができるとは、素晴らしい」
 フェマーの言い様は嫌味を通り越していた。唖然としたゼイツは、思わず眼を見開く。吐き出そうとした言葉は喉に引っかかり、うまく声にならなかった。ただ強く頭を揺さぶられたようで、軽く目眩がする。
「死出の――」
「あなたのような何の肩書きもない若者が、こんな大役を任されること自体おかしいでしょう? まさか気づかなかったんですか? 見せしめですよ。うまくいったらそれはそれでいいですが、うまくいかなくともかまわないと。我々も切羽詰まっていますしね」
 くつくつと笑うフェマーは、心底楽しげだった。見せしめとは何の見せしめなのだろうか? 考えようとしても頭が回らない。ただこれ以上動揺しているのを見られるのは癪だった。奥歯をぐっと噛み締めて、ゼイツは瞳をすがめる。笑うのを止めたフェマーは、一度窓の外へと視線をやった。
「あなたが馬鹿正直者であることは、あの試験に通らなかった時点でわかっていましたしね。いえ、いいんです。あなたが無事にここで生きていてくださることは、我が国にとっては願ってもないことですよ。我々はとにかく情報を欲している」
 声を潜めているにもかかわらず、フェマーの言葉は一つ一つはっきりとゼイツに突き刺さった。揺さぶられた感情が体の内で跳ね返り、痛い。聞きたくないと拒絶したい。耳障りな言葉を振り払いたい欲求と、ゼイツは必死に戦わねばならなかった。だがここで取り乱したら負けだ。拳を固く握り、ゼイツは低く声を抑える。
「若者って、フェマー殿もそう変わらないのでは?」
 フェマーはぱっと見ただけではゼイツとそう変わらない――いや、ゼイツよりも若く見えるほどの童顔だった。しかし、もちろんそんなわけはない。紋章を身につけてこのようにやってくるくらいなのだから、それなりの地位なのだろう。若く見えるだけだ。
「失礼ですね。私はこう見えても三十七です。あなたとは実績も経験も違いますよ」
 幼く見えるというのは、フェマーにとっては最も指摘されたくなかったところなのだろう。あからさまに顔をしかめると、棘のある声を出した。少しだけ反撃できたことに満足して、「そうですか」とゼイツは答える。
 波立ったゼイツの心はまだ静まっていない。だが落ち着かなければならないことは自覚していた。ジブルがゼイツに期待していなかったこと自体は、それほどおかしいことだとは思わない。そもそもが無謀な計画だ。失敗を前提にしていたとしても不思議はない。「見せしめ」という意味合いについては、別の話となるが。
 けれども、今気にするべき問題はそこではなかった。では何故、ここにフェマーがいるかだ。彼は何のためにニーミナに来たのだろう? 禁忌の力を探りに来た、というわけではなさそうだった。正式に白のマントを着込んでくるくらいだから、何かの交渉をしに来たに違いない。あらゆる国と交友のない、このニーミナに。
「まあ、いいです。私には私の仕事がありますから。邪魔をしないでくださいね。もちろん、このことは内密に」
 フェマーは小さく息を吐くと、踵を返して歩いていった。ゼイツに道を尋ねても無駄だと思ったのだろうか。音を立てて翻るマントを、ゼイツは黙って眺める。黄ばんだ廊下の中でも、なびくマントは陽の光を浴びて煌びやかに輝いていた。質の違いを主張するかのようだ。
 ゼイツは一度固く瞳を閉じた。呼吸を整えたかった。捨て駒にされていたことは別にいいと、自らに言い聞かせる。だが父――ザイヤの顔を思い出すと、強く胸がざわついた。あの何かを押し隠した眼差しは、全てを知っていたからなのか? まさか見せしめというのは、ザイヤに対してなのか?
 鼓動が痛い。どことなく息苦しい。ゼイツは胸元でまた拳を握った。フェマーの優雅な足音が徐々に遠ざかっていき、やがて届かなくなる。
 刹那、扉が開く音がした。自分の心臓が止まる音も、ゼイツには聞こえた気がした。振り返るのがこれほど怖かったことはなかった。けれども確かめないわけにもいかない。短剣と拳銃のありかを頭の中で確認し、ゼイツは恐る恐る振り向く。
「――ラディアス」
「ゼイツ」
 扉から半身だけ外に出しているのはラディアスだった。相変わらず無愛想な表情だが、それがいつにも増して硬く見えるのは気のせいではないだろう。ゼイツは固唾を呑んだ。聞かれていたのだろうか。尋ねたくとも尋ねられずに、背筋を冷たい汗が落ちていく。甲高い耳鳴りがする。
「今すぐニーミナを出て行け」
 絞り出すように、ラディアスは言った。予想だにしない忠告だった。ゼイツは何回か瞬きをすると、その言葉の意味を考える。まさか逃がしてくれるとでもいうのか? ゼイツがジブルの人間であると知りながら。
「ラディアス?」
「今なら見逃してやる。早く出て行け」
「なっ……」
「お前の正体が暴かれれば、確実に死刑となるだろう。それも残酷な方法でな」
 淡々とラディアスは続けた。ゼイツの脳裏を、先日の『実験』の光景がよぎった。あの動物のように、いやそれ以上に残虐な方法でもって殺すのだろうか? 潜入者への報復としてはあり得る。禁忌の力のことが明らかとなれば、ニーミナは無事では済まない。きっとカーパルはゼイツを許さないだろう。
「何で、俺を助けるんだ?」
 だからこそラディアスの言葉が腑に落ちなかった。ゼイツを助けたら危うくなるのはラディアスの方だ。それなのにどうしてだろうか? 混乱しながら問いかけると、ラディアスは額に皺を寄せた。そしてゆっくり首を横に振る。頭の上で一本に結わえられていた髪が、生き物の尾のように揺れた。
「お前を助けるためじゃない、ウルナを助けるためだ。お前の死刑はおそらく、ウルナの目の前で行われる。ウルナの力を引き出すために、あらゆる手段が執られるだろう」
「ラディアス、お前――」
「俺はこれ以上ウルナを狂わせたくないんだ。だから立ち去れ、今すぐに」
 先日のカーパルの言葉が思い出された。ラディアスの言うことはもっともだった。確かに、おそらくその通りになるだろう。ウルナの石の力を引き出すためならば、カーパルは手段を選ばない。ゼイツがジブルからの侵入者だったという表向きの理由を得たら、喜んで利用するに違いない。容易に想像できることだった。
「今すぐにだ」
 念を押すラディアスを、ゼイツは見つめた。まさかラディアスはずっとこのことを危惧していたのだろうか? だからゼイツを怪しんでいたのだろうか? 密かに気に掛けていたのだろうか?
 ゼイツは唇を引き結んだ。そうだ、元から捨て駒だったのだから、証拠を持ち帰る必要などない。見たことを話すだけでも、その情報だけでも十分価値がある。「死出の旅路」へと送り出した者たちを見返すことができる。今はどんな情報でも欲しいのだと、フェマーも言っていた。
 自分へ言い聞かせるような言葉を、ゼイツは胸中で繰り返した。強く握った拳にも、汗が滲んでいた。

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