white minds 第二部 ―疑念機密―

第六章「疑惑と覚悟が交わりて」3

「魔族にも色々あるってこと?」
「ああ。上下がはっきり決まっていたわけではない奴らも多かったし、命令されるのが嫌いな奴だっている。誰の指揮下にも入らない強者をどうするのかが、彼らのもっぱらの悩みだったそうだ。神もそうだが、一枚岩なわけがないんだ」
 ちらとこちらを見たレーナは、何か言いたげな眼差しのままそう続けた。
 そこで梅花は気がつく。「誰の指揮下にも入らない強者」の一人に、おそらく彼女らの生みの親であるアスファルトが入っているのだろうと。故に彼らの立場は微妙だったのだ。
「だから戦力が増える可能性があるならと思って、われにも声を掛けたってくらいの感覚だ。実際、われが快諾していればイーストは本気で受け入れただろうさ。それがあいつの怖いところだ」
 なんとはなしに納得しかけたが、続く説明はうまく飲み込めなかった。レーナがイーストの誘いに乗ることはないとわかっていても、その「もしも」の先にあるものを捉えるのは難しかった。
「怖いって、何が?」
「イーストの手腕が。宇宙でのことはオリジナルたちは知らないだろうが、われによって魔族はそれなりの打撃を受けている。われは結構恨まれているよ。それはわかるだろう? それでもイーストはそうした不満を全部丸め込み、われを受け入れることも可能って話だ。神には無理なことだ」
 苦笑交じりにそう告げられ、梅花は息を呑んだ。そういうことか。
 実際、いまだに上の者たちはレーナに対して懐疑的だ。受け入れているのはシリウスやアルティードくらいのものだった。地球神代表というアルティードでさえ、他の者たちを説得し切れていない。
 しかし、イーストはそれが成せるという。確かにそれは怖い話だ。
「このことを知ればますます神は疑るし、われの離反を恐れるだろう。隙あらばこちらの行動を制限しようとするかもしれない。そういう意味でもうまいやり方だ」
 まるで他人事のように、レーナは深々と相槌を打つ。彼女は自分の立場というものを、感情と切り離すのが得意なようだ。梅花にはそこまで割り切れない。
「それって、あなたの立場を悪くして、引き入れやすい状況を作ってたってこと?」
「まあ、そういう意図もあるだろう。だがそれだけのために地球まで来るとは思えない。どうにも腑に落ちない点があるんだ。もちろん、我々の現時点の実力を確かめたいという理由はあっただろうがな」
 レーナは再び考え込んだ。聞けば聞くほど、イーストというのはやり手だという印象が強くなる。そんな策士を相手取るとなると、何か一つ読み間違えたら手遅れになりかねない。
 梅花は固く拳を握った。そう考えると、本当はこちらも心がばらばらのままでよいはずなどないのに。
「だから注意しなきゃいけないのね」
 直接的な敵襲にだけ意識を向けていればよいわけではない。その事実を噛みしめると、胸中にさざ波が広がった。既に手遅れになっている気がする。それを否定したくとも得も言われぬ予感が、どうしても拭い去れなかった。



 灰色の塔でレシガの機嫌を取っていると、廊下に気配が生まれた。
「あらミスカーテ、もう傷はいいの?」
 イーストが振り返るまでもなく、レシガの声がその主を告げてくる。ミスカーテだ。傷が癒えているはずなどないのにと訝しみつつ、イーストは肩越しに見る。すぐさま傍にいたフェウスが部屋の隅へと下がる気配がした。
「ご機嫌いかがですか? イースト様、レシガ様」
 ミスカーテの絡みつくような声が辺りの空気を揺らす。一歩足を進めたミスカーテの表情は、薄暗い廊下で陰って見えた。
「私はちょうどフェウスをいびっていたところだから良いけれど。それよりもこちらの質問に答えて欲しいわね、ミスカーテ」
 イーストより早く、あえてはっきり名を呼んだレシガは、肩から羽織った大きな布に手をかける。奥で片膝をついたフェウスは、なんとも言いがたい気を放った。だがフェウスの立場はいつもこうだ。取り立てて庇ってやることでもない。
「これは失礼しました。まあ、完全とは言いがたいですね」
 入り口まで近づいてきたミスカーテは、恭しく頭を下げた。特徴的な赤い髪が、黒い上衣の上を滑ってこぼれ落ちる。仕草だけは優美だが、彼の気にはどことなく怪しい光がちらついていた。
 それでもレシガの言葉を遮る気にはならず、イーストはひたすら会話を見守る。
「それならきっちり休まないと駄目じゃない。あのお嬢さんの刃でしょう? 舐めていいものじゃあないわ」
 一歩ミスカーテの方へと足を進めたレシガが、呆れたように嘆息した。
 あの少女――レーナが使う刃の効力については、先日も念押ししたばかりだ。ラグナを斬ったその刃は、ただの破壊系にしては影響が大きく、傷が長引く傾向にある。それはアスファルトの負傷具合を見ていても明らかだった。
「ええ、そのつもりだったのですが。しかしお伝えしなきゃいけないことがありまして」
 顔を上げたミスカーテは、いつも通り食えない笑みを浮かべた。けれどもその表情の奥、彼の気にはただならぬ深い何かが宿っている。体ごと向き直ったイーストは頭を傾けた。これは流してよい話ではない。
「と、いうと?」
「イースト様たちは、しばし様子を見ようとお考えかと思うのですが」
「まあそうね。あなたの怪我が怪我だし」
「しかし僕は急いだ方がよいと思うんです。ですから僕の怪我のことは考えないで動いていただきたい」
 思わぬミスカーテの申し出に、イーストは眉根を寄せた。抽象的すぎて、何を伝えようとしているのか掴みきれない。彼が何を懸念しているのか伝わってこない。
 レシガと顔を見合わせてみたが、彼女も怪訝そうにしていた。彼女が直感的に読み取れないのであれば、イーストが理解できるはずもない。
「その根拠は?」
 イーストよりも先にレシガが問うた。こういう時、彼女は回りくどいやり方を嫌う。質問の仕方も真っ直ぐだ。
「それは人間たちです」
 レシガの眼差しに怯むことなく、ミスカーテは即答した。こういう態度は、さすがプレイン直属の者といったところか。
 プレインも単刀直入なやりとりを好む傾向があったし、威圧感という点では誰よりも強かった。プレインを前にすると、誰もが何も言えなくなるのが普通だ。
「この短期間で、あの人間たちはかなり力をつけている。おそらく申し子の知識も手伝っているのでしょう。加えて、申し子も力を取り戻しつつあるように感じられます。前回相対した時より、彼女は確実に強くなっている」
 神妙な面持ちで、ミスカーテは静かに付言した。淡々とした言い様だったが、告げている内容は重かった。イーストは相槌を打つ。
 彼女は何故か弱くなっている。いや、弱くなったのではなく、力を発揮するには何らかの条件があるのではないか。そう推測していたところだが、ミスカーテの感覚が本当であれば、その条件が整いつつあるのだろうか?
 そうだとしたら、それは他の五腹心が蘇るのとどちらが先になるか?
「プレイン様たちの目覚めを待たずに動いた方がよいと思うのです。――手遅れになる前に」
 ミスカーテは畳みかける。しかし容易に決断できることではなかった。直属殺しと呼ばれる神が健在であることもわかっている。相手の戦力を削りつつ巧みに動くには、念入りな打ち合わせが必要だ。
「慎重になられるのはわかります。目覚められたばかりですし、もちろん五腹心が欠けるようなことがあってはなりません。ですから、僕にやらせてください」
 無論、それはミスカーテも重々承知していたのだろう。そう続ける彼の声には力があった。何らかの決意と、確信があった。イーストは片眉を跳ね上げる。ミスカーテの中に考えがあるのは確かだが、それはどうやらかなり重いもののようだ。
「何か策があるのかい?」
「はい。この命に代えてでも成功させます」
 微笑んだミスカーテは、自らの胸を軽く叩いた。そうした仕草には覚えがあった。
 プレインの部下は、そうして次々と消えていった。躊躇うことはなかった。どうにもならない彼らの生き様だ。プレインの下でやっていけるような考えの持ち主は、最後にはそこに辿り着く。
 イーストは深く息を吐き、レシガと顔を見合わせた。彼女の金の瞳にも諦めの色が宿っていた。プレインの部下たちがどれだけ頑固であるかは、嫌という程に実感している。
「そういう姿勢はさすがプレイン直属だね。私の好みではないけれど、無理に止めようとはしないよ」
 仕方なくイーストは首肯した。信念に基づいて動く者を止める術などない。おそらく先日、深い傷を受けた段階で、ミスカーテは覚悟を決めたのだろう。自分が果たすべく役割を見つけたとも言える。
 プレインの部下はいつも死に場所を探している。これがそう言われる所以だ。別に皆が死にたがっているわけではない。ただ目的のための最短経路を探し続けた結果、現状で最も適任と思われる役割に自分がはまった時、彼らは決して躊躇しない。
「ご理解いただきありがとうございます。全ては同胞のために」
 再びミスカーテは深く頭を下げた。揺れた黒い衣の影が、灰色の床の上で踊る。
「それなら私も様子見をしに行くわ」
 そこで忽然とレシガが口を挟んだ。彼女にしては珍しい態度だった。これにはさすがのミスカーテも驚いたらしく、弾かれたように顔を上げる。
 喫驚したのは、隅に控えていたフェウスもだ。瞠目した彼が一歩前へ踏み出すと、固い靴音が室内に反響する。
「レシガ様、それはっ」
「あのお嬢さんの様子、私も一度ちゃんと見ておきたいの。あの星の現在も確認しておきたいしね。大丈夫、手出しはしないわ。面倒だもの」
 詰め寄ろうとするフェウスを手で制しながら、レシガは妖艶に口角を上げた。その金の瞳に宿った光に思うところがあり、イーストは押し黙る。これは何か考えがある時のものだ。――つまり、イーストに止められる類の話ではない。
「こう仰ってますが、イースト様、よろしいのですか?」
「手出しをしないんだったらいいんじゃないかい? レシガはラグナやブラストみたいに不用意に首を突っ込んだりしないだろう。だがそれでも念のためだ。フェウス、悪いがついて行ってくれ」
 当惑したフェウスが、イーストへと確認を求めてくる。だがイーストにはどうしようもない。フェウスにまた厄介な役目を押しつけることになるが、今回ばかりは我慢してもらうしかなかった。
「……わかりました」
「心配しなくとも、私は戦わないから」
 渋々と頷いたフェウスへ、レシガは再度強調した。もっとも、その点はイーストも心配などしていなかった。彼女は昔から戦闘に参加することを忌避している。どんな状況でも、彼女が自ら戦おうとすることはほとんどない。
「そうしていただけると僕も安心します」
 フェウスが押し黙ったところで、ミスカーテが口を開いた。五腹心が欠けることなくというのが、彼の望みだ。できるなら手出しはして欲しくないのだろう。
「それでは僕は準備を始めますね。整い次第、レシガ様に声を掛けます」
「よろしく頼むわ」
 満足そうに微笑んだミスカーテは、ただちに踵を返した。黒い長衣が揺れる様を横目に、イーストはため息を飲み込む。
 どうしてこうなってしまうのだろう。かつて同じように誰かの部下を見送る度に考えた。どれだけの犠牲を出せば勝利することができるのか。どこまで突き進めば終わりが見えるのか。答えはいまだに得られていない。
「……勝利した後、残されたのが自分たちだけでは意味がないのにね」
 不意にレシガが独りごちた。まるでイーストの思いが伝わったかのようだ。静かに振り返ったイーストは、ふっと苦笑を漏らす。死地へと送り込んだ同胞たちのことを思う時、どうしたって頭の奥が痛む。
「それでも勝利しなければ意味がないと、プレインは言うんだろうね」
 硬い横顔を思い描くと、イーストの内で小さな棘がうずいた。どちらが間違っているという話ではない。ただ勝利の条件がわからない中でもがく故の齟齬だ。
「どちらかが勝利することがあるって、本当に思っているのかしら」
 だからそうレシガがこぼしたことを、咎める気にはなれなかった。ただただ早く失われた時を取り戻したいと、願うしかできなかった。

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