white minds 第二部 ―疑念機密―

第三章「誰かのための苦い口実」11

 今日は一段と疲れる日だった。そんな思いがため息となってこぼれ落ちる。
 背伸びをした滝はぐるりと訓練室の中を見回した。先ほどまで神技隊らが集まっていたせいか、広いこの空間にも熱気の名残が感じられる。
「まさかこんなに呆気なく決まるとはなぁ」
 思わず本音を漏らしながら、滝は大きく肩を回した。体が凝り固まっているのは力が入っていたせいだろう。自分で意識していたよりも緊張していたらしい。
 一人一人に武器の必要性について確認した後、夕刻を見計らって「大会」についての提案を行った。面倒だの意味がないだのと反論が来るかと身構えていたが、誰よりも早くラフトたちが乗り気になったところで流れが決まった。
 フライングは厄介な騒動を巻き起こしてくれるが、一方でこういうノリの良さを見せつけてくれるところもある。ラフトたちがはしゃいでいるところに、水を差そうとする者はあまりいない。
「先輩たちのおかげかな」
 滝はふっと頬を緩める。ラフトとゲイニがことあるごとに競っているのは、滝もよく知っていた。「大会」というのは二人の競争心を刺激したようだ。
 そうなると他にも負けず嫌いな者はいる。すぐに大会が行われることが前提の会話が繰り広げられるようになった。
「ゲットも問題なさそうだし」
 一度天井を見た滝は、ゆっくりと歩き出した。突然リンたちがつれてきたゲットの五人には驚かされたが、大体の事情はミケルダから聞いていたようで、話は円滑に進んだ。
 もっとも、宮殿の地下に『鍵』があることや、魔族が集団で襲撃してくる可能性があることまで知っているのかは不明だ。そこはこれから探っていくしかない。――上の仕事はいつも中途半端だから要注意だ。肝心なところが伝わっていない可能性がある。
「そうなると……」
 廊下へと出る扉に触れれば、気の抜けた音と共にそれは開いた。大会の案が通ったとなれば、次はレーナへの報告が必要だ。
 彼女は先ほど、中央会議室に行くと言っていた。つまり今は宮殿の中にいるはずだった。またアルティードたちと何か話があるのだろうか? その辺りはわからない。
 しかし他の神技隊の面々が夕食に向かった今のうちに、話を通しておく方がいいだろう。彼女の戻りが遅ければ、全てがずれ込んでいく。皆がやる気になっている内に準備を進めてしまいたいところだ。
「宮殿に行くのは気が重いけどな」
 廊下を進みつつ滝は独りごちた。とりあえず宮殿内に入ることが可能であるとは、梅花から聞いている。神技隊の代表者扱いだかららしい。少々複雑な気分にはなるが、梅花を連れていかなくてもよいというのは朗報だ。彼女は今朝から調子がよくないという。このところの無理がたたったのだろう。
 賑やかな食堂を横目に廊下を進めば、基地の出入り口はすぐそこだ。幸いなことに雨は止んでいた。
 夜の風が吹き荒れる中、滝は真っ直ぐ宮殿を目指す。今朝はこの道をゲットが歩いてきたのだろう。ざわざわと揺れる長草の奏でる音が、人気のなさを強調している。
 一人きりの時間というのは久方ぶりだ。このところは常に傍に誰かがいた。それが鬱陶しいと思ったことはなかったが、何を呟いても自由だと思うと肩の荷が下りる心地になる。ということは知らぬ間に気が張っていたのだろう。
 雨の後特有の湿った空気の中を、彼は足早に進む。宮殿までなら飛んでいってもよかったが、今は歩きたい気分だった。
 だがそれならもっと厚い上着を羽織ってくればよかったと、わずかな後悔が湧き上がる。考えてみればもう十一月。この辺りなら夜はずいぶんと冷え込む頃合いだ。
 宮殿の向こうはもうすっかりと日が暮れ、深い藍色の夜空が見えている。しかしどの時間であっても宮殿は忙しないことだろう。特にこのところは落ち着かない様子だ。――きっと魔族のことで上が焦っているからだ。
 そんな風に考え事をしながら歩けば、宮殿までの道のりはさほど長くは感じなかった。相変わらずのその場所は無機質な白に覆われている。人を拒絶する空気が、建物の外にいても伝わってくるかのようだ。
 宮殿内へと踏み込んだ彼は、レーナの気を目指して進んだ。気を探るのすら不可能と思われるこの建物でも、彼女はやはり目立つ。すぐに見つけ出すことができた。
 彼女は宣言通り、まだ中央会議室にいるらしい。あの時『説明会』が行われた大きな部屋だ。
 どうにか会議室の扉の前に辿り着いた彼は、そこで逡巡した。彼女以外の気配は感じ取れない。が、一人であるはずがない。上の誰かと一緒だろうか?
 ここまで来て会わずに帰るのもどうかと思うが、かといって顔を突っ込んでもよいものなのか。今さらながら彼は躊躇する。
 幸か不幸か、こんなところで立ち止まっているというのに、それを叱責してくる宮殿の人間もいなかった。廊下を行く人は皆無だ。どうやらこの中央会議室は彼らも避ける場所らしい。
「いや、ここで迷っていても仕方ないか」
 意を決した彼は気合いを入れ直し、そっと扉を押し開けた。別に入ってはいけないと言われているわけでもない。彼女が行き先について言い残していったということは、何かあれば来いという意味であろう。
「――宇宙が騒がしそうだが、そちらは大丈夫か?」
 途端、耳に飛び込んできたのはレーナの声だった。その淡々とした物言いには不安や不満といった感情が滲んでいない。発言内容とは裏腹に、彼女の気も至極落ち着いていた。
「ああ、イーストが動いているせいだな。いや、イーストのせいで活気づいているという方が正確か」
「行かなくてもいいのか?」
 問いかけに答えたのはシリウスの声だった。このところ基地には来ていないと思ったら、宮殿で話をしていたのか。ゆっくり扉を閉めた滝は息を呑む。彼の位置からでは二人の姿は見えない。ということは逆も成り立つはずだ。気は隠しているし。
「気になるのは確かだが、私が動く意味が大きすぎるだろ」
「うん、そうだな。戦力増強という意図もあるだろうが、おそらくイーストはここからお前を引き離したいんだろう」
 何故だか滝の足はその場に縫い止められたように動かなくなった。よくよく噛み砕いて考えれば、今のは重大な発言だ。つまり五腹心のイーストは、シリウスを宇宙へ誘い出そうとしているのか?
 なるほど、ここに戦力が揃っている状況は、相手にとっては望ましくないのだろう。できれば分散させておきたいと考えても不思議ではない。
「……やはりそうか」
「そりゃあそうだろう。イーストから見れば、この星に申し子と直属殺しがいるのはありがたくないに違いない」
「なら宇宙は放っておけと?」
 滝はいたたまれなさを覚える。どうやら話の内容は、あまり他言して欲しくなさそうなものだった。もしや、このまま知らぬ振りをして帰った方がよいのか? それとも、深くは考えずに踏み込むべきか。
「いや、そう出ることも、きっとイーストは考えているだろう。そう来られたら、精神をどんどん集めればいいとでも思っているに違いない」
「どう転んでも無駄にはならない策か」
「ああ。あいつは合理的だからな。イーストが蘇った以上は、ここからはイーストとの読み合いだ。イーストの性格を知っているのが、こちらの強みかな」
 重苦しい内容の割に、レーナの声は依然として淡泊だ。その言葉が滝の胸にも染みた。
 そういうことになるのか。今までは漠然とした敵というものを想像しているだけだったが、これからは違う。彼らが相手をしなければならないのは、明確な意思を持ち目的のために知略を巡らせる者だ。ただの化け物ではない。この星に降り立ち暴れている未知なる生き物を倒せばよいという話ではなかった。
「ところで滝。そこで聞いているくらいなら入ってきたらどうだ?」
 と、そこで不意に呼びかけられた。肩に力を入れた滝は、思わず固唾を呑む。気は隠していても、気配が伝わってしまっただろうか?
 気恥ずかしさを覚えつつもゆっくり前へ足を踏み出せば、楕円形のテーブルの向こうにレーナとシリウスが立っているのが見えた。滝は戸惑いながらも軽く頭を下げる。
「お取り込み中なら後でも、と思ったんだが」
「わざわざ来たのにか? それに、お前も聞いておいて損な話でもないだろう」
 軽く笑ったレーナはテーブルに寄りかかるようにして笑った。一方のシリウスは、壁に背をもたせかけて腕組みしている。二人ともずいぶんくつろいでいるように見えるのは何故だろう。まるで今のは雑談だと言わんばかりの様子だ。
「そ、そうか?」
「これからお前たちが向き合う相手のことだぞ? 知っておいた方がいいだろう。大体、われの話を鵜呑みにしてその判断に従う気か?」
 耐えきれないように、レーナはくつくつと笑った。「利用してくれ」と告げてきた時とは別の意味でどきりとさせられ、滝は閉口する。信用していないのに、その意見を参考にするのかと指摘されてしまった。その通りだ。とはいえ、今後滝は彼女を利用し尽くすつもりではいるのだが。
「ほう。ではお前の知っているイーストとやらを教えてもらおうか」
 するとシリウスが楽しげな声を漏らした。隙を見つけたと言わんばかりだった。こういう時の彼はどこか悪戯っぽい表情をのぞかせる。以前にも見たことがあった。
 だがそれでもレーナは動じない。悠然と頷いた彼女は右手をひらりと振った。
「イーストが慎重派と言われる所以は、単に部下の無駄死にを嫌うからだ。失う駒はできるだけ少なくしたいと、あいつは思っている。一番苦手なのは使い捨てだ。誇りだとか自分の立場はどうでもいいらしい。合理的で寛容と言われるのもそのためだ」
 笑顔のまま、レーナは即座に説明を始める。以前にも似たようなことを聞いたが、何度耳にしてもイーストという魔族は悪い者のようには思えなかった。だからこそ厄介なのだろう。
 ミスカーテのように明らかな悪意を持って害してくる者ならば、立ち向かうのも仕方がないと割り切れる。もしくは魔神弾のように話の通じない者であれば、とにかく反撃するしかないだろう。しかし理性を伴った、ある一定の目的を持った者が相手となると、やりづらく感じるのは確かだ。
「だからイーストはできるだけ情報を集めたいと思っているし、戦力も充実させたいと考えているはずだ。そしてその間に失う部下は最小限にしたいと願っている。おそらく」
 レーナはそう続けた。滝がその立場だったとすれば、頷ける話だ。仲間たちの命が自分の声一つで失われるかもしれないと考えたら、それを少しでも減らしたいと思ってしまう。しかもこれから戦力が揃っていくのならばなおさらだ。
「イーストが本格的に動き出すとしたら、次の五腹心が蘇った段階だ」
 次の五腹心。その響きが妙に強く滝の耳に残った。五腹心と呼ばれているのだから五人いるのだろう。つまり、彼らは次々蘇ってくるかもしれない。できるだけ考えたくないその重みを突きつけられ、滝は唇を引き結んだ。
「まず蘇ったのがイーストだった点を考えれば、順番としてはきっと次はレシガだ。レシガとイーストは双子みたいな間柄だから、二人の意見の食い違いは少ない。だからイーストはレシガを待って動くと予想する」
 語るレーナの声音は気楽だが、内容は深刻だった。それが一体いつのことになるのか、滝には全く予想ができない。明日なのか、一ヶ月後なのか、それとも何年も後の話なのか。つい拳を握りしめた彼は視線を下げる。
「ここからが読み合いだ。イーストの癖を掴んだ上で、あちらがどう出てくるのか予測する。そしてこちらがどう出るべきかを考える」
「お前の案はあるのか?」
 微笑んだレーナに問いかけたのはシリウスだった。顔を上げた滝は瞳を瞬かせる。「こちらがどう出るべきか」という発想は、滝には皆無だった。ただ待ち受けるだけと考えていた。だがそれでは駄目なのか。
「そうだな。できれば神技隊にはまず普通の魔族と戦ってもらいたい。そう仕向けられたらいいなと思っている」
「……普通の魔族?」
 馴染みのない表現に、滝は首を捻った。いささか奇妙に響く言葉だ。魔族に普通と普通でないものがいるのか? ぱっと浮かんだのは魔獣弾と魔神弾の違いくらいだ。魔神弾には理性の欠片が見当たらず、言葉も通じなかった。

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