white minds 第一部 ―邂逅到達―

第七章「受容と瓦解と」3

 広い食卓の上にあった豪勢な食事は、あらかた誰かの胃に収まったようだった。真っ白な大皿の大半は空になっている。満足そうにお腹をさするようの姿を横目に、青葉は苦笑を漏らした。
 クーラーのよく効いた涼しい部屋には上質そうな絨毯が敷かれているし、そもそも部屋の天井が高い。レースでできたテーブルクロスも高価な物と思われる。青葉たちには馴染みのない世界だった。ピークスが働いているというこの屋敷は、彼らの知る無世界のどの建物とも趣を異にしている。だから料理が出てくるまでは居心地の悪さにみんな複雑そうな顔をしていたが、今は誰もが満足げな様子だ。食欲には勝てなかったというところか。
「あーお腹いっぱい! 美味しかったね」
「さすがはお金持ちの家だなあ」
 ようとサイゾウが笑いながら目と目を見交わせる。立ちっぱなしなことも気にならないらしい満面の笑みだった。相槌を打った青葉はさりげなく部屋の奥側をうかがう。本日の主役である梅花は先ほどまで隣にいたのだが、食事が終わるやいなやリンに連れ出されてしまった。今は二人で紙袋をのぞき込んでいる。どうやらこちら側の声は聞こえていない様子だ。
 リンによって半強制的に「おめかし」させられているせいで、今この中で一番屋敷に相応しいのは梅花のように見えた。髪を結い上げてるせいもあるだろう。ふわふわと揺れる桜色のスカートは、つい目で追いかけたくなった。当人は何故だか不満そうな様子だったが。
「それにしても、よく梅花は断らなかったな」
 青葉の視線に気がついたのか、改めてと言わんばかりにサイゾウがそう口にした。振り返った青葉は瞳をすがめる。確かに、今までの梅花なら絶対に拒否していただろう。彼女が一番嫌がりそうなことだ。
 誕生日パーティーを開きたい。そんな提案を聞いたのは一週間前のことだった。
 戦闘用着衣を手に入れるという一大行事があっさりと終わった後、彼らは別の悩みに直面することになった。一着ずつだろうと予想していたのに、案外数があったのだ。特に女性物が多い。これらをもらうに至った動機のことを考えると、予備にするのも憚られた。そこで他の神技隊にも手渡そうという話になった。
 その相談中に、梅花の誕生日が近いことがリンたちに伝わってしまった。祝われたことがないことまでばれてしまったら、リンが動かないはずもなかった。それでもパーティーをやりたいという声を聞いた時は、青葉も大して本気にはしなかった。お金と場所の問題が難点となるのは予想できた。それがまさかこんな事になるとは。企画者はリンだが、ジュリが協力することになったのも大きい。この二人が絡むとどうも勢いがつく。
「リン先輩に押し切られたんだろ」
 大勢の人間に誕生日を祝ってもらうなど、梅花ならまず断るところだ。しかしあのリンの巧みな話術――というよりも半ば無理やりに近い説得には勝てなかったと見える。その日に戦闘用着衣の試着もすればいいとか、そんなことを言われたに違いない。
「それにしてもすごい家でぇーすねぇ! こんな部屋を貸してくれるなんて親切な方たちでぇーす!」
 青葉がグラスを手に取り肩をすくめると、背後でアサキの声が上がった。酒は入っていないはずなのにずいぶんと陽気な声音だ。これも食事の力だろうか。シンが「まったくだな」と同意するのも耳に入る。スピリットの三人、シークレット、ピークスが集まってもなお余裕のある室内には、幸せな気で満ち溢れていた。
 これは少し、食の重要性を考え直さなければいけない。毎日は無理だとしてもたまには美味しい物を食べないと精神の回復にも影響しそうだ。梅花に相談だなと青葉が考えていると、しみじみとしたシンの声が鼓膜を震わせた。
「しかもこんな料理まで……。ピークスには感謝しないとな」
 どうやらシンも同じことを感じているらしい。視界の端に映った横顔から、青葉はそう読み取った。スピリットの方が安定した収入があるはずだが――現に、今日もサツバとローラインは仕事で来ていない――普段は慎ましやかな生活を送っているんだろうか。何事にも慎重な傾向のあるシンだから、その可能性は否定できない。青葉は水を飲み干すと、またグラスを食卓に置いた。
「いいえ、私たちは何も。たまたま計画しているところをお嬢さんに見つかっただけですよ」
 そこで、ウーロン茶の入った容器を手にしたジュリが近づいてきた。姿が見えないと思ったら、空になったものを取り替えに行っていたのか。前から思っていたが、やはり彼女は気が利く。他のピークスの面々がのほほんとしているだけにそれは際立った。
「場所が悩みだったので助かりましたね」
 微笑んだジュリは、その透明な容器を食卓の上に置く。ちゃぽんと軽い水音がして、柔らかな赤茶の髪が青葉の横でふんわりと揺れた。照れているわけではなく、本気でそう考えているようだ。しかしちょっとした催しのつもりがこんな大きな会になったのは、ひとえに彼女の功績だった。
「お嬢さんっていうのは、この屋敷の娘さん?」
「そうです。確か今年で十九歳になるんじゃなかったでしょうか……。お優しい方でして。どこでパーティーをすべきか悩んでいたのを見つかっちゃいまして、それで」
 顔を上げたジュリは「お嬢さんの発言力大きいんですよね」と苦笑する。よい思いつきとばかりに話が運ばれていったのだろうか。青葉たちにとっては予想もしなかった幸運が舞い込んだに近い。
「料理も、いつものところから注文すればいいじゃないって言って」
「本当にお金持ちなんだな」
「そうみたいですね。無世界の生活事情はあまりよくわかりませんが、裕福なんだとは思います」
 ジュリの言葉に、シンはしみじみとした様子で頷いている。ちょっと裕福という程度ではないだろう。常日頃お金の工面に頭を悩ませている青葉たちからすると羨ましい話だ。せめて誰か定職につけたらと思うのだが、上からいつどこへ行けとも言われかねない生活なのでそれも難しい。シークレットの大いなる悩みだった。
 ならばせめて派遣する時にお金を持たせて欲しいと思ったりもするが、それはそれで難題らしい。何せ、こちらの紙幣や硬貨を勝手に作るわけにもいかない。換金できそうなものを持ってくるくらいしか方法がなかった。
「そんな人たちに雇ってもらえるなんて、ピークスは運がいいな」
 シンがそう深々と首を縦に振った時だった。部屋の奥の方で、突として黄色い声が上がった。青葉が驚いて目を向ければ、リンが嬉しげに服を広げている姿が見える。
「これ、すごい高い奴じゃない!」
 声を弾ませるリンの瞳が輝いているのが遠目でもわかった。その隣で、梅花は複雑そうに微笑んで頭を傾けている。二人がのぞき込んでいたのはどうやら戦闘用着衣が入った袋のようだった。後でじっくり品定めするという話だったのに、待ちきれなかったらしい。青葉はシンと顔を見合わせ、苦笑しあってから歩き出した。このまま放っておくと梅花はリンの餌食だ。そこへ「あ、待ってください」というジュリの声が続く。
 ふわふわと足下が頼りなく感じられる絨毯を踏みしめて近づくも、興奮した様子のリンが振り返る素振りはない。彼女が手にしているのは白い上着だった。ぱっと見ただけでは、高級品かどうか青葉にはわからない。
「びっくりした。簡単には手に入らないものよね?」
「元々は祖母のものだそうです。たぶん、お給料をつぎ込んでたんじゃないかと思います」
「ああ、仕事着ってことだもんね」
 服を見ながらはしゃぐという光景は年頃の女の子らしく見えるが、手にしているのが戦闘用着衣となると話は別だ。青葉は二人の背後から手元をのぞき込んだ。梅花が抱えてるのは赤いスカートのようだ。
「こんな高価なもの、私がもらっちゃっていいの?」
「私が何着も持っているよりもいいと思います。リン先輩はよく前面に出ますしね」
 まじまじと上着を見つめるリンに、梅花はそう説明する。青葉は小さく唸って、またシンと目と目を見交わせた。シンの顔には「無茶するんだよなぁ」という嘆きが浮かんでいる。ちらちらと話には聞いていたので、想像するのは容易かった。
 それにしても、リンが手にした上着はかなり小さく見える。戦闘用着衣はある程度伸び縮みするとの話だが、そうだとしても小さい。梅花の祖母も小柄な方だったのか。どんな人物だったのだろうと青葉が考えていると、リンが梅花の方へ向き直るのが見えた。
「梅花のはそのスカート? 短くない?」
「……ええ、短いんですよね。何と組み合わせてたんでしょう。祖母は身なりにも色々気を配っていたんで、工夫してたんだと思うんですが」
「お洒落さんだったのねえ」
 困り切ったように梅花は首をすくめている。そんな彼女の肩をポンポンと叩いたリンは、あれはどうだのこれはどうだのと提案を始める。青葉には耳馴染みのない単語だが、無世界の服の名前だろうか。女性物についてはさすがに彼もぴんと来ない。買い物の時も、店員の言葉は何かの呪文みたいに聞こえていた。
「た、たぶんどれも私は持ってないと思うんですが」
「そうなの? じゃあ私の一つあげる。買いに行く暇もないでしょう?」
 気が引けるとばかりに首をぶんぶんと振る梅花を無視し、リンは勝手にそう決定したようだった。ここでも強引だ。しかしこの二人で話している時の方が自然な会話が成り立っている気がするのは何故だろう。これもリンの力なのか。何だか釈然としない思いを抱きつつ、青葉は隣にいるシンを横目に見た。シンは興味深そうな眼差しで会話を見守っている。
「で、こっちの羽織がコスミの?」
「そうなりますね」
 頷いた梅花がつと青葉たちの方を振り返った。いや、その視線が向けられた先にいたのがジュリであったことに、背後で声がしてから気がつく。
「ああ、私のことなら気にしないでください。着られないのはわかっていますから」
 朗らかな笑い声につられて、青葉も肩越しに振り向いた。ジュリは「仕方がないです」と口にし、ぱたぱたと片手を振っている。本当なら治癒の技に長けた彼女にも手渡したいところなのだろう。しかし彼女自身が言う通り、いくら伸びるとはいえ限界がある。彼女の身長はサイゾウやようと同じくらいはありそうだった。どうにか着られたとしても動きづらいのでは意味がない。
「ジュリのも、神魔世界に戻った時に買えたらいいんだけどね」
「何言ってるんですか、リンさん。いくらすると思ってるんですか?」
「……競技会がなくなってから、明らかに値上がりしたそうですからね」
 肩をすくめるリン、ぶんぶんと首を振るジュリに、梅花もすぐさま同意した。青葉はそもそも買おうと思ったことがなかったので、値段を確認したことさえなかった。とんでもない金額になるという噂は耳にしているが。
 戦闘用着衣も、かつてはそこまで手に入りづらい物ではなかった。まだ神魔世界に活気があった頃、技使いとしての実力を競うという宮殿主催の競技会が毎年開かれていた。青葉が生まれるより前に中止されていたため、どの程度の規模だったのかは知らないが、一大行事だったと聞く。よりよい仕事を、よりよい地位を、名誉を求めて参加する者たち。もちろん、彼らは戦闘用着衣を身につけていたという。そのせいか、もう少し手を出しやすい値段だったそうだ。
「何でなくなったのかしら?」
「人手不足ですよ。競技会そのものが、宮殿にとっては優秀な人員確保のためのものだったんですが……それを運営することもままならなくなったんです。競技会よりもワープゲートを優先して欲しいという声が多かったですしね」
「あ、そうなんだ。でもそのワープゲートも使えなくなったでしょう?」
「それはリシヤの消滅が最後の一押しになりました。実は、ちょうどその時リシヤの森の調査中で。かなりの技使いが犠牲になってしまったんです」
 不思議そうに首を捻ったリンに、梅花は淡々と説明した。ついで吐き出された吐息には苦いものが混じっている。初めて耳にする事実に、青葉はつい固唾を呑んだ。シンやジュリが息を詰めたのも感じ取れる。
 ワープゲートは各町と町を行き来するために設置された移動装置だ。その起動に補助系の技が必要なため、以前は宮殿から専用の人員が配置されていたという。しかし青葉が物心つく頃に廃止されてしまった。現在はただ装置が置いてあるのみなので、使用する時は誰か技使いを連れていく必要がある。技の使えない者にとっては不便なことだろう。
 まさかそこにリシヤの消滅も関係していたとは。幼い頃に漠然と感じていた「嫌なことが続いているな」という感覚は、どうやら間違いではなかったようだ。もしかすると今彼らが立っているのも、その流れの続きなのかもしれない。
 妙に重たい空気が辺りに満ちた。美味しい食事で満たされた体と心に重石が乗せられたような、そんな心地になる。するとそれを払拭したかったのだろうか、ぽんとジュリが軽く手を叩いた。
「そうだ、リンさん。そろそろデザートの準備をしませんか? ケーキがあるんです」
「あ、それはいいわね! お茶も淹れましょ。じゃあ梅花はコスミにこの服を届けておいてね。よろしく」
 ぱっと顔を輝かせたリンは、袋の中から取りだした一着を梅花に押しつけた。どうやら袖のない黒い上衣のようだ。リンは梅花の返事を待たずに踵を返す。そしてジュリと連れだって歩き始めた。どう転んでもリンのペースになるらしい。梅花は何とも言えない表情で首をすくめると、仲間たちと騒いでいるコスミの方へ向かった。その後ろ姿を青葉は黙って見送る。
 なるほど、これが『旋風』か。異名がつくだけのことはあると、青葉はしみじみ思い知らされた。ただ実力があるだけの技使いなら、そんな名前をもらうこともなかっただろう。今ならそう確信できる。
「ところで青葉」
 そこでぼそりと、立ち尽くしていたシンが声を発した。「ん?」と返した青葉はそちらへ一瞥をくれる。シンは笑いを堪えているような、呆れているような、それでいて心配しているような何とも言い難い表情を浮かべていた。彼がこういう顔をしている時は要注意だと、青葉の経験が告げる。
「何だよシンにい」
「お前の機嫌が悪いのは、リンに先を越されたからか?」
 案の定、痛いところを突かれて青葉は押し黙った。不機嫌さなどできる限り押し隠しているつもりだったが、シンにはばれていたようだ。気に表れないよう、できる限り別のことを考えようとしていたのに。
「何の話っすか?」
「プレゼント。梅花、喜んでたもんなぁ」
 だがそこまで指摘されたら、青葉も素知らぬ振りをすることはできなかった。この誕生会そのものも十分梅花にとっては予想外な企画だったが、それ以上の驚きを与えたのはリンのプレゼントだった。
 金銭的な余裕もなく、またあまりあれこれやりすぎると梅花が恐縮するのもわかっていたので、青葉は仕方なく諦めることにしていたのだが。リンは何故か個別に用意していた。それも、彼には思いも寄らぬものだった。
「ああ、そうですね」
「何で急に靴ばっかり見に行くようになったのかと思ったら、まさかこのためだったとはな」
 リンが用意していたのは靴だった。確かに、梅花がそこで悩んでいたのは知っている。安いものだとサイズがないとこぼしていたのは何度か耳にしたことがあった。しかも最近は神魔世界に戻っては走り回り泥だらけになるのだから、すぐに使い物にならなくなる。
「梅花が喜びそうなものを読みとって行動するなんて人、オレは初めて見ましたよ」
「まあ、そこはリンだからな」
 そんな高価なものは受け取れないと断る隙も与えないリンは強者だった。「いざという時に迅速に動くためにはいい靴が不可欠」なんて言われたら、さすがの梅花も拒絶はできない。仕事のためという言葉には元々弱いし、戦闘用着衣の件で「決断」したばかりだった。きっと彼女はいつか後悔しないために受け取ったに違いない。
 ずるい、なんて口にしてみても意味はないが、そう言いたくなった。強引なようでいて引くべきところは心得、無理強いはせず、踏み込むべきところで踏み込む。そうしてするりと相手の懐に入ってしまうその特技はずるい。下心がなさそうなだけに、ますますずるい。シンが何故か得意げなのも青葉の苛立ちを加速させた。
「まあ、頑張れ」
 軽く肩を叩かれ、青葉は低く呻いた。部屋の中に響く仲間たちの楽しそうな声が、今は少し耳障りだった。

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