white minds 第一部 ―邂逅到達―

第二章「迷える技使い」2

 神技隊らは五月六日の明け方、シークレットのいる公園に集まることとなった。すぐに亜空間へと移動するのだから、特別な場所を用意しなくても問題はないだろうという判断だ。短時間であればさすがに狙われることはないだろう。ただし人目につく時間は避けたかったため、早朝の集合となった。
 その日は朝から暖かかった。熟睡できるような気分ではなかったため、青葉は予定の時刻より早く目覚めていた。まだ眠そうにしているアサキたちを横目に、素早く身支度をする。特別車には亜空間が利用されていて、中には寝床もある。小部屋のようなものだ。決して広くはないし『外』の気が感じられないので落ち着かないが、居住地に悩まずにすむのはありがたかった。シークレットは上からの命によって遠方へ出向く可能性もあるため、この車が与えられたと聞く。他の神技隊にはそういった措置はないらしい。
 着替えて特別車を出ると、既に梅花は目覚めていた。見覚えのあるワンピース――たぶん藤色だった――の裾を翻して、椅子の点検をしている。車の前方に引っかけてある明かりが頼りの状況だが、空の向こうではうっすら朝日の匂いが滲んでいた。背中で緩く束ねられた髪が揺れる様を、青葉は何とはなしに眺める。
「起きたの?」
 やおら振り返った梅花の顔からは、緊張感は読み取れなかった。青葉はゆっくり扉を閉めると、彼女へと近づく。どうしてこんな日に椅子の手入れなどしているのだろう。疑問に思いながらも、青葉は首の後ろを掻いて辺りを見回す。
「だって、そろそろだろう?」
「アサキたちは?」
「まだ支度中。すぐに出てくるさ」
 だからもう仕事は終わりにしろと暗に告げて、青葉は瞳をすがめた。他の人間であれば気持ちを落ち着かせるための行為かと勘違いするところだが、きっと梅花は単に手持ちぶさただっただけだ。彼女はいつも早起きだった。そして時間をもてあましているからと、異常な気を探ったり帳簿をつけたりしている。人より仕事をすることに対しては、躊躇いも違和感もないらしい。
「そう」
 椅子の背に手を乗せて、梅花は視線を逸らす。理由は青葉にもすぐにわかった。かすかに、遠くから靴音が響いたような気がした。気は感じられない。しかし神技隊なら隠しているだろうから、そうであってもおかしくはない。待ち合わせには少し早いが、念のためにと早く来る隊もあるだろう。
「早くも来たみたいね」
 青葉は頷くと、梅花の手から半ば無理やり椅子を奪い取った。そして抗議の声を聞く前に、それを特別車の方へと運ぶ。車の中には、居住区とは別に物置となっている亜空間があった。ただ適当に置いてしまうと後で探すのが大変なので、既に片付けられていたテーブルと一緒に紐で縛っておく。
 そんな作業している間に、徐々に足音は大きくなった。複数人の靴が奏でる旋律が、朝焼け前の空に響く。
「おはようございます」
 青葉が振り返ると同時に、穏やかな声が鼓膜を揺らした。梅花の前に立っているのは五人の若者だった。その先頭にいるのは金髪の青年だ。明かりに照らされた瑠璃色の瞳がちらりと青葉へも向けられる。彼がリーダーだろうか? ストロングやスピリットではないことは明らかなので、フライングかピークスかだろう。
「おはよう。ピークスのよつきね、初めまして。梅花です」
 青年たちが自己紹介する前に、梅花が彼らの正体を教えてくれた。ほんの少し眼を見開いた後、青年――よつきは微苦笑を浮かべる。
「初めましてなのによく知ってますね。はい、第十九隊ピークスのリーダー、よつきです」
 よつきの言葉はもっともだ。梅花はピークスの選抜には関わっていないはずだが、何故知っているのだろう? 青葉が首を捻っていると、梅花はわずかに頭を傾ける。
「私が多世界戦局専門長官の補佐をしていたことは聞いているんでしょう? 候補に何度も上がった人は覚えているわ」
 何てことないと言いたげな梅花に対し、よつきは感嘆の声を漏らした。さすがの記憶力だ。神技隊候補として各長が提供してくる技使い一覧には、かなりの数の人間が載っているらしい。そのうち最終候補まで行くのは一部だとしても、それなりの人数はいるはずだ。技の系統ごとに絞られた分でも、十数人にはなると以前青葉は聞いた。覚えているだけでも驚きだが、咄嗟にすぐ口に出せるところがますます人間離れしている。
「さすがですね。では紹介の必要はないかと思いますが――」
 よつきは苦笑しながら後方を振り返った。彼の後ろでは、四人の若者が思い思いの顔をしてたたずんでいた。
「右からコブシ、たく、ジュリ、コスミです。今日はよろしくお願いします」
 紹介された順に、各々は簡単に挨拶をしていった。青葉は彼らの方へと近づいて、軽く一礼をする。女性が二人の場合もあるのだなと、そんなどうでもいいところに意識が向いた。青葉たちシークレットもそうだが、先輩であるスピリットやストロングも女性は一人だった。最低一人は入れなければいけないと、以前梅花は話していたような気がする。
 だが今そんなことを口にするわけにもいかない。青葉は笑顔を作ると、ピークスの面々を順繰り見た。
「オレはシークレットの青葉だ。よろしく頼む」
「はい、お顔と名前は存じてます」
 よつきから微妙な返答をされ、青葉は一瞬だけ息を止めた。何を言っているのかわからず眉根が寄りそうになったが、すぐにその意味を理解する。おそらく、青葉そっくりのあの『偽物』と遭遇したことがあるに違いない。
「……ああ、あのアースとかいうのに会ったのか」
「ええ、先日。シン先輩やラフト先輩と一緒の時でした。滝先輩たちが駆けつけてくれたので助かりました」
「そりゃまた豪華な顔ぶれだったんだなあ」
 深々と相槌を打ったよつきへと、青葉は率直な感想を漏らす。ラフトというのがどの隊の一員かは知らないが、シンと滝が揃ったというだけでも十分な戦力だ。しかし今の言い様からは、かろうじて難を逃れたといった様子がうかがえる。それだけアースは強いのか? 青葉は以前交戦したレーナの実力を思い出した。あんな強者が複数いるなどたまらない。
「シン先輩にラフト先輩、それに滝先輩も。それじゃあ私たちシークレット以外は一度集まっていたのね」
 そこで梅花が口を開いた。つまり、ラフトはフライングの一人だったのか。するとよつきは彼女の方へと視線を向け、静かに頷いた。その口元には苦い笑みが浮かんでいる。
「いえ、まともな話し合いができる状況ではなかったので、本当に顔を合わせたといった程度ですよ。きっと、今日が初めましての方が大半でしょう。人違いとかありそうで不安ですよね。二十五人ですから」
 そう述べるよつきに、青葉は胸中で同意した。こうしている間にも、遠くからまた足音が近づいてきているのがわかる。今度はどの隊だろう? 段々人数が増えていくと、誰がどこに所属しているのかも把握できなくなる。名前を覚えるのはさらに困難だ。
「名札でも用意しておけばよかったかしら」
 珍しく微苦笑した梅花が、「無世界の人間も大好きよね」と呟く。皮肉など珍しいと青葉は目を見張った。何か思い出すような出来事でもあったのか? だがそこに言及する前に、特別車の扉が開く音がした。アサキたちの支度が終わったのだろう。
「あれぇ? 知らない人たちがいまぁーすねぇ。もう来てたんでぇーすか」
「まだ暗いねー」
「眠い。おはよう。眠い」
 アサキ、よう、サイゾウが口々に言う。後輩が来ているというのに気の抜けた口調だ。表情も眠たげだった。青葉は後ろへと一瞥をくれてから、小さく嘆息する。
「そう、第十九隊ピークスがもう来てるぞ」
 ついでに言えば、そろそろもう一隊が到着する。またもや複数の靴音が、よつきたちのさらに後方から聞こえていた。石畳に響く軽やかな音が、明けつつある朝に染み入る。
「あ、シンにい」
 近づいてくるうちの一人によく見知った姿を見かけ、青葉は口を開いた。談笑しながら近づいてくるシンの隣には、先日顔を合わせたリンもいる。その後ろにいる三人は見かけたことがないが、おそらくスピリットの残り三人だろう。青葉の視線に気づいたらしく、よつきたちもゆっくりと振り返る。
「おはよう! シークレットとピークスは勢揃いなのね」
 先に声を掛けてきたのはリンだった。陽気な笑顔で片手を挙げる。どうやらスピリットの主導権は彼女にあるようだと、青葉は推測した。きっとこの物怖じしない性格のためだ。
「おはようございます、リン先輩。今日もお元気そうで」
 よつきのかすかな笑い声が、青葉の耳にも届いた。スピリットとピークスは既に顔を合わせていたのだろうか。するとピークスの前で立ち止まったリンが、大きく首を縦に振る。
「もちろん。この日のために体調は整えてるからね。あ、初めましての方は初めまして。私はスピリットのリン。隣にいるのがリーダーのシンで、後ろにいるのが北斗ほくととサツバ、ローラインよ」
 尋ねられるより早く、リンは仲間たちを次々と紹介していった。四人がそれぞれ複雑そうな顔をしたのを、青葉は見逃さない。いや、正確に言うと四人ではなく三人だ。最後に名前を呼ばれたローラインだけは深い緑の瞳を輝かせている――と思ったのも束の間、踊るような動きで前方へと飛び出してきた。誰もが呆気にとられている中、ローラインは軽やかな歩調で梅花の前へと進み出る。
「美しい! 神童の梅花さんですね? わたくし、ローラインと申します。あなたの話はよくよく聞いてました。一度お会いしたいと思っていたので嬉しいです」
 立ち尽くしている梅花の手を取って、ローラインは微笑んだ。「神童」という単語に、青葉の体が強ばる。やはりそうだったのか。もう子どもという年齢でもないと思うが、その呼び名はいまだについて回っているらしい。梅花は一瞬その場で固まったようだったが、すぐにゆるゆると首を横に振った。
「ローライン先輩、それは大袈裟です。先輩のことは私もよく聞いてましたよ。あの庭はとても立派ですから。今日はよろしくお願いします」
 それ以上話を膨らませるなと言わんばかりに、梅花は当たり障りのない返事をした。どうやらローラインは梅花と同じジナルの出身であるようだ。青葉は彼の足下から頭の先まで見回した。背はさほど高いわけではなく体格も普通だが、さらさらとした金髪が印象的だ。
 気になるのは庭という単語だ。そんなものが宮殿にあっただろうかと、青葉は記憶を掘り起こした。ひたすら続く白い廊下に殺風景な部屋ばかりが印象的で、そのようなものを見た覚えがない。
 しかしローラインはいつまで手を握っているつもりなのか。梅花が困惑気味にちらりと手に視線を向けたのを、青葉は見逃さなかった。無理に振り切らないのは相手が先輩だからだろう。不必要な接触をあまり好まないのは知っている。どうやって助け船を出そうと青葉が思案していると、視界の隅でリンが眉根を寄せるのが見えた。
「ちょっとローライン、いつまでそうしてるのよ。梅花の手を離しなさい。困ってるでしょう?」
「ああ、そうですね。美しくない。すみません」
 リンにたしなめられてローラインが手を離した、その瞬間だった。青葉の後方、アサキたちのさらに向こうから、急に呼び声が聞こえた。
「神技隊」
 靴音も何もしなかった。だが、この落ち着いた声は先日聞いたばかりだ。振り返った青葉はその名を呟く。
「ラウジングさん」
 上の一人――ラウジングだ。この時間ならば人がいないだろうと踏んでいるのか、フード姿ではなかった。肩ほどある深緑の髪が朝の風に揺れている。もう少し日が昇れば、いっそう目映く見えることだろう。髪色以外は、やはり他の人間とそう変わりない。一見したところでは好青年だ。
「上の方です」
 不思議そうにしている他の面々に向かって、小声で梅花が説明する。仲間たちの間に衝撃が走るのが、青葉にもわかった。その衝撃の理由については、各々違うだろう。「上」に対して抱いていた印象は、神技隊になってから変化していくものだ。
「まだ全員揃っていないようだな」
 青葉たちの方へと近づいてきたラウジングは、周囲を見回しながらそう言った。まだ朝日は姿を見せていない。だがそろそろその一端が顔を出す頃だ。うっすら輝き始めた雲が、間もなく太陽が昇ることを告げている。
「おはようございます。まだですが、でももうすぐだと思います」
「そうか。もう説明はしてあるんだな?」
「簡単なものですが」
 上の者の登場に皆が口をつぐんでしまった中、梅花が淡々と答える。先ほどまでの和気あいあいとした空気はなりを潜め、緊張感が辺りを覆い始めた。これが「上」という存在なのだと、改めて青葉は感じる。礼節こそ保たれているが、厳然たる差がその意識には染みついている。
「ところで、その亜空間はここからでも行けるんですか?」
「ああ、それは心配いらない。ついでに怪しいところがないか調べてくれると助かる」
「ついでですか……」
 梅花が顔を曇らせたのがわかった。いつあのアースたちに襲われるかわからないのに、調査までしろと言うのか? 無茶な要求は珍しくないという彼女のぼやきが思い出された。宮殿ではこれが日常茶飯事なのか。そうだとしたらひどい。
「何か仕事を任されている振りをした方が、おびき出されてくれるかもしれないだろう」
 こともなげにラウジングはそう続けた。青葉たちに拒否する権利はなさそうだった。調査をする振りでもかまわないだろうかと、彼は考える。それくらいは許されてもいいだろう。準備もろくにせずにそんな仕事まで任されたのではたまらない。
「わかりました、できる範囲で調べます」
「よろしく頼む。と言っているうちに集まりそうだな」
 相槌を打ったラウジングは肩越しに振り返った。ちょうどラウジングが来たのと同じ方角だ。談笑と共に近づいてくる人数は、五人ではすまない。ということはフライングとストロングが合流していたのか? 青葉が目を細めると、薄闇の中でも見知った姿があるのがわかる。人数は、やはり十人だ。
「これで揃いましたね」
 梅花の静かな声が空気を震わせる。これで現在活動している神技隊は全員集合だ。改めて青葉は気合いを入れ直した。おびき出すのが目的なのだから、今度こそ本格的な戦闘は免れない。アースたちも亜空間が不安定になるのを気にすることがない分、本気を出してくるに違いなかった。
「総力戦か」
 ぼそりと、ぼやくような声が漏れる。すぐさま微風に飲み込まれた弱々しい響きには、苦笑を禁じ得なかった。青葉は耳の後ろを掻くと、ラウジングの神妙な横顔を盗み見た。先行きには不安ばかりしかなかった。



 簡単な自己紹介の後に説明を聞いてから、神技隊らはすぐに亜空間へと送り込まれた。人目を避けるために長居を避けたいのはわかるが、それにしても急ぎすぎではあった。ラウジングは冷静な顔をしていたが、実はそうではなかったのか?
 亜空間への移動は一瞬のことだった。視界が光に塗りつぶされた途端、急降下するような感覚に陥る。しばらくしてそれが落ち着くと、頬を涼やかな風が撫でていった。もう着いたのかと何度か瞬きを繰り返していると、徐々に周りが見えるようになってくる。青葉は細く息を吐き出した。
 亜空間と聞いてまず想像したのは、先日引き込まれたただひたすら白い世界だった。しかし青葉たちの周りに広がっていたのは、穏やかな緑に包まれた世界だ。彼らが立っているのは広い草原だが、その周囲には木々が生い茂っている。神魔世界に戻ってきたのではないかと錯覚しそうだったが、神技隊の他に気は感じられない。間違いなく別の空間だった。
「到着したみたいですね」
 隣にいた梅花が、辺りを見回しながらそう囁く。そして顔をしかめた。珍しくわかりやすい反応に青葉は首を捻ったが、理由はすぐにわかった。ラウジングがいない。先ほどまですぐ傍にいたはずなのに、どこにも見あたらなかった。草原の中には神技隊の姿しかない。
「ラウジングさんが消えましたね」
 元の無表情に戻った梅花が、端的に現状を説明する。嫌悪感も驚きも感じられない声音だったが、神技隊の中に動揺が広がった。おびき寄せ作戦を提唱した張本人が姿を消すとはどういうことなのだろう? 何か問題が生じたのか?
「まあ、予想はしてましたけど」
「どういうことだ?」
 ため息混じりにそう言った梅花へと、青葉の後ろにいた滝が問いかける。この集団の中で声を発することを躊躇わないのは、さすが元ヤマトの若長だ。青葉はちらりと滝へ一瞥をくれた。怪訝な顔をしているが狼狽えてはいない。茶褐色の落ち着いた瞳が、神妙に梅花を見つめている。
「きっと別の仕事も並行してるんですよ。この空間のどこかにはいます。……残念ですが、上の方にはよくあることです」
「つまり、オレたちはオレたちでやるべきことをやればいいと?」
「そうですね。呼んでもきっとラウジングさんは出てきてくれませんから、こちらはこちらで動きましょう。この亜空間を調べる振りでもしながら、彼らが引っかかるのを待つしかありません」
 冷静に梅花は頷いた。神技隊の中に広まりつつあったざわつきが、少しだけ落ち着いていく。やはり上が手放しで助けてくれるなんてことはないのだろう。悪意がなさそうに見えるだけに厄介だと、青葉はラウジングの横顔を思い出す。上を頼りにしてはいけない。
「しかし、具体的には何をどう調べたらいいんだ?」
 腕組みをした滝が唸った。梅花だけでなく、滝も既に現実的な思考を巡らせ始めている。切り替えの速さには脱帽だ。若長というのはそんなところまで鍛えていたのかと、青葉は感嘆の吐息を漏らした。元々の性格がそうだったような気もするが、若長になる前の姿は朧気にしか覚えていない。その後の印象が強すぎる。
「何をどう……そうですね。妙な気があるところを探ればいいんだと思います。何もなければそれはそれで幸いということで。ただ先ほどの話だと、空間がねじれているところもあるようですから注意が必要ですね」
 そう答えながら梅花は空を見上げた。のどかな青空には、うっすら白い雲がかかっている。何ら変哲のない光景だ。強くもない風が草や葉をさやさやと揺らし、心地よい旋律を奏でている。
 この世界の一体どこにねじれた空間があるというのだろう? それはラウジングが思い出したように付け加えた注意事項だった。亜空間の中で空間がねじれているなどと聞いても理解できない。それは気でわかるものなのか? もし本当だとしたら、もう少し詳しく説明して欲しかった。上の不親切もここに極まれりである。

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