第五話 微笑む者は闇の中

 頭から受けた次の任務は、ある若い商人の護衛だった。彼はどうやら頭の知人らしく、道中が不安だからとお願いされ、仕方なく引き受けたとのことだった。時雨組しぐれぐみとして働くことにも慣れてきた早太はやたにとって、それは軽い仕事のように思えた。
 時雨組は対術師じゅつし専門の警護団で、藍の羽織を特徴とする術師の集まりだ。早太はただの町人だったのだが、千鳥ちどりの補佐を目的として半ば強制的に相棒にされてしまった。それでも爆薬という武器を与えられた彼は、そつなく仕事をこなすことができるようになっていた。
 元々体を動かすことは好きだったせいもあるだろう。また同じ組員であることが、修行と称して毎日鍛えてくれたおかげもあるのかもしれない。何にせよ、彼は日々時雨組の一員としての仕事を全うしていた。そんなところ舞い込んできた任務がこれだ。本来ならそれは、軽いものであるはずだったのだが――。
「おいおい、これっぽっちの荷物も持てねぇのかぁー? 兄さん、軟弱だねえ」
 隣を歩く若者――富吉とみきちの言葉に、早太は顔を引きつらせた。頭の知人という富吉は、予想していたよりも遙かに性格に問題のある男だった。商人である彼の今回の仕事は、隣町まで荷物を運ぶという単純なものだ。しかし山道へと入ってから、何度この任務を放り出そうとしたか早太には数えられなかった。
 まず、富吉は自分で荷物を持とうとしない。それどころか大荷物を抱えてのろのろと歩く早太を、何度も罵倒し続けている。またその口から吐き出される言葉一つ一つに、棘が含まれていた。つまりひたすら性格が悪いのだ。
 年の頃はおそらく早太よりも少し上というくらいだろう。それなのにやたらと偉そうな態度を取り、早太たちを見下している雰囲気があった。
 千鳥の悪口を言わないのは、おそらく彼女がまだ幼いからだろう。その眼差しから考えるに、ただくっついてきた子どもとしか思っていない可能性もあった。頭が適当に護衛を選んだと思い、密かに憤慨しているのかもしれないが。
「ほらほら、早く歩いてくれないと日が暮れるんだけどさぁ。ねぇ、兄さん? 俺は野宿はごめんだぜぇ。ここらは盗賊が出るからって、護衛を頼んだのに」
 荷物がなければ、依頼人でなければ張り倒したい。そう切実に早太は思っていた。ちらりと視線を右へと向ければ、千鳥は困惑顔でおろおろとしている。彼女は戦闘では頼りになる存在だが、こういったやりとりには不慣れらしい。早太は苦笑して、風呂敷に包まれた荷物を背負い直した。
「そのために俺たちがいるんですから、大丈夫です。大体、この中には何が入ってるんですか? 見た目よりもかなり重いんですけど」
「おいおい兄さん、それを商人に聞いちゃあ駄目だぜぇ。秘密に決まってるじゃあないか」
 日除けのためなのか布を被った富吉は、片目を瞑ると意地悪く口の端を上げた。一見人のよさそうに見える顔なだけに、そんな表情をされると腹立たしくて仕方がない。藍の羽織を脱ぎ捨てたい衝動を堪えて、早太はひたすら足を進めた。
 隣町へと行くには、この小さな山を越えていかなければならない。高さ自体は大したことない山だが、足場の悪い曲がりくねった道が商人にとっては難所だった。またこの山には、最近盗賊の被害が続出しているという話もあった。それ故に、ここを通る人はずいぶんと減ってしまっているようだ。
「あーそうですね、そうですよね。すいませんでした」
「もちろん、どうしてこの道を通るのかって質問もなしだぜぇ? わかってるよな、賢い兄さん」
「はいはい」
 陽気な声で付け加えられて、早太は気のない返事をした。とにかく疲れる男だった。さすが頭の知人だと、内心で彼は毒づく。頭の知り合いにはろくな人がいない。
「ねえ早太」
 するとそれまで黙っていた千鳥が、突然声をかけてきた。のろのろとした動きで早太が振り返れば、顔を強ばらせた彼女はいつの間にか立ち止まっている。
 まさか何かあるのだろうか? 彼女が左右へ視線を走らせるたびに、結わえられた銀の髪が馬の尾のように揺れていた。早太は息を呑むと、腰にある袋の存在をもう一度確認する。
 そんな二人の様子に、さすがの富吉も危機感を覚えたようだった。軽口を叩くことなく、ただ顔を強ばらせている。これで勝手に逃げ出すようなことがなければ、早太たちも仕事がやりやすかった。守られる立場としては頭の良い依頼人ということになるだろう。
「来るよ、たぶん盗賊」
 千鳥が札を手にしたのを横目に、早太は荷物をその場に下ろした。このままではろくに動けず、足手まといになる。すると慌てた富吉が駆け寄ってきて、その荷物を抱え上げた。身軽な動作で持ち上げるその様を見ると、最初から持てと文句を言いたくなる。無論、今はそんなことしている場合ではないが。
 刹那、わずかに葉のこすれ合う音がした。千鳥の瞳が鋭く光り、その逆側へもくまなく視線が行き渡る。
「右!」
 千鳥の細い足が地を蹴ると、その足下で火花が散った。地面を転がることで余波を避けた早太は、慌てて富吉の居場所を確認する。彼は移動した千鳥の、そのちょうど後ろにいた。偶然なのか何なのかはわからないが、悪くない位置取りだ。
「早太、今の術だよ!」
 警告する千鳥の声が、静かな山間に響き渡った。目を見開いた早太は、茂みの向こうへと意識を集中させる。商人を狙う盗賊と聞いていたから、単なる悪党だと思っていたのだが。どうやら術師だったようだ。となるとさらに警戒しなければならなかった。額に汗がにじむのを自覚しながら、早太は腰の袋から小さな筒を取り出す。
 ただの悪党ならば今の早太には怖い敵ではない。しかし術師となれば話は別だった。相手がどんな術を使ってくるかわからないというのは危険だ。また、こちらに術師が千鳥しかいないのも不安材料だった。小さな術師一人で依頼人を守るというのは、なかなか困難な仕事なのだ。
「富吉さん、そこ動かないで」
 早口にそう忠告すると、早太は懐から発火装置を取り出した。これがなかった頃は爆薬があってもほとんど役立たずだった。だがそれを見かねたたつという仲間が、こんな物を作ってくれたのだ。仕組みはよくわからないが、これで筒の先に点火すれば余計な手間が省ける。
「おう、それぐらいわかるって兄さん」
「ならいい!」
 早太は筒の先に火をつけると、それを茂みの奥へと投げ込んだ。直撃しなければほぼ攻撃力がないに等しい物だが、一ついい点がある。それは煙だ。視界を悪くする白煙は臭いも酷く、慣れていなければまず耐えられるものではなかった。つまりあぶり出しにはもってこいなのだ。
 案の定、盗賊はすぐに姿を現した。札を手にした男たちが三人、苦い顔で茂みの中から転がるよう飛び出してくる。皆一応に黒い羽織を着た、強面の術師だった。大柄なのと小柄なの、あとは痩せ形の男だ。早太は顔をしかめ、ちらりと千鳥へ視線を送る。
「盗賊じゃない……?」
 千鳥も違和感を覚えたようだった。厳つい顔つきなのはともかく、立派な羽織を着ている盗賊など見たことがない。しかもそれが三人揃ってとなると、単なる盗賊ではなさそうだった。早太は嫌な予感を覚える。
「な、何やってるんだよ、兄さんたち。早くあいつらを何とかしてくれ!」
 怯えた富吉の叫びに、早太は現実へと意識を戻した。今はそれよりも目の前の男たちを倒すのが先だ。札を使われる前に片をつけるべきだろう。
 先に動いたのは千鳥だった。痩せた男の懐に飛び込むと、体を回転させる勢いを利用して肘鉄砲を喰らわせる。体は小さいけれど、千鳥の攻撃はいつも的確だ。鳩尾に衝撃を受けたその男は、汚い悲鳴を上げると膝をついた。
 だが敵は彼だけではない。千鳥の背後を狙う小柄な男へと、早太はすぐに足払いをかけようとした。残念ながらそれ自体は成功しなかったが、男は一旦彼女から離れてくれた。千鳥に背を向ける恰好になり、早太は爆薬を構える。
「ぐぇっ」
 その間に、どうやら千鳥は先ほどの男にとどめを刺したらしい。くぐもった悲鳴が漏れて、地面に倒れ伏す音が早太の耳に届いた。そのことに安堵しながら、早太は富吉を一瞥する。風呂敷を抱えた富吉は、震えながら先ほどと同じ場所に立ちすくんでいた。ちょうど早太からすると、盗賊たちとは逆方向にあたる。
「調子に乗るなっ」
 次の瞬間、大柄な男の札が光った。嫌な予感を覚えた早太は、千鳥を抱え上げるとその場を飛び退く。と同時に足下で火花が散った。どうやら先ほどの攻撃もこの男のもののようだ。火の術が得意なのだろう。
 しかし早太たちもやられる一方ではない。抱えられた千鳥の札が、今度は光を帯びた。見慣れぬ文字が浮き上がり、彼女の口角がかすかに上がる。
「花火、お返しするね!」
 楽しげな千鳥の声が辺りに響いた。彼女が札を男たちに向かって投げつけると、それは矢のように飛び男の目前で爆発した。鼓膜を震わせる音に、早太は瞳を細める。富吉の前に辿り着いて千鳥を下ろせば、薄い煙の向こうで男が目を白黒させているのが見えた。
 術師の割には弱い。反応が鈍い。本来は商人だけを狙っているのだとすれば、もしかしたら対術師の戦闘には慣れていないのかもしれない。しかし早太は、先ほどから何か嫌な感覚を覚えていた。何がどうとは説明できないのだが、妙な感じがするのだ。
「札の使い方、下手だね」
 同様のことを千鳥も感じ取っていたらしい。次の札を準備しつつ、怪訝そうな顔をしていた。後ろを見れば、富吉は荷物を持ったまま震えている。おそらくまともには動けないだろう。そうなれば先に富吉を狙うのが普通だと思ったのだが、盗賊たちにはそんなそぶりもなかった。
「ちっ、話が違うじゃねえか! あいつら裏切りやがったな」
 すると大柄な男の前に出て、小柄な男が盛大に舌打ちをした。爆風の名残で揺れるその黒い羽織が、ばさばさと派手に音を立てている。煙がひどくてうかつには近づけないが、それは相手も同様なのか迫ってくる気配はなかった。
 千鳥が一瞬だけ富吉の方を振り返る。何より富吉の安全が優先だから、当然のことだ。すると前方から盗賊たちの動揺の声が、またかすかに聞こえてきた。
「応援だって来ねぇしよ」
「あいつら? 応援?」
 じりじりと後退する男を見て、早太は眉根を寄せた。それは裏があるのだと、あからさまに告げるような言葉だった。大柄な男の腹を叩いて、小柄な男がさらに後ろへと下がる。
「撤退するぞ」
「お? お、おうっ!」
 男たちの判断は、早かった。煙を盾にして走り出した彼らは、振り返ることなく山道を駆け下りていった。はっとした早太も、慌てて二人を追って駆け出す。だが富吉を置いていけないため、千鳥が動く気配はなかった。足が自慢の早太は、逃がすまいと懸命に追いかける。
 しかしその追いかけっこも、長くは続かなかった。大柄な男が投げつけてきた札が、またもや火花を散らして煙を上げた。慌てて横へと飛んだ早太は、地面を転がると道の先を見る。案の定、男たちの姿はかなり小さくなっていた。今から追いかけても捕まえるのは無理だろう。爆薬を投げつけるにしても距離がありすぎる。
「何だよ、あいつら」
 ゆっくりと立ち上がった早太は、肩を回しながらそうこぼした。けれども全く情報がないわけでもない。千鳥が最初に倒した男が一人、道の後ろでまだ転がったままだった。裏で何があったのか聞き出すのは彼からでいいだろう。
「早太っ」
「お、終わったなぁ兄さん」
 そこへ危険がなくなったと判断したのか、千鳥と富吉が近づいてきた。振り返った早太は、苦笑を浮かべながら首を縦に振る。終わったことは確かだ。何が起こっていたのか結局よくわからなかったが。
「ああ、逃げられちゃったな。まあ一人残ってるからいいけれど」
 起き上がる様子のない痩せ形の男を、早太は視界の端に入れた。釈然としない気持ちのまま、彼は腰に下げた紐を手に取った。



 無事に富吉を隣町へと送り届け、早太と千鳥は頭のいる長屋にやってきていた。町はずれにあるそこは、見た目はぼろぼろだが一応時雨組の本拠地なのだ。そこにはいつも頭がいて、のんびりと茶をすすっていることが多い。
 それは今日も同じで、縛り上げた盗賊を連れていっても頭は涼しい顔をしていた。額に白いはちまき、焼けた肌に藍色の羽織と、見た目だけは人のよさそうな男だ。が、この頭が実は問題のある人間で、早太は度々苦労させられている。何故だか千鳥は懐いているみたいだが、彼にとっては天敵のような存在だった。
「おう、早太に千鳥、ご苦労だったな」
「依頼人は無事、送り届けて来ましたよ。あと盗賊は……二人には逃げられましたが、一人捕らえました」
 板敷きの上で円卓に向かっている頭へ、早太は簡単に報告をし始めた。その隣では千鳥が満面の笑みを浮かべている。何を言われるのかと密かに戦々恐々している早太とは、全く正反対な反応だった。早太は嘆息したいのを堪えて、ぐったりとした盗賊を見やる。
「おう、ってことは来たのは三人だけだったのか」
「ええ、そうですが」
「あーじゃあ作戦は失敗かあ。上手くいくと思ったんだがなあ」
「……はあ?」
 頭の予想外な反応に、早太は繕うことなく顔をしかめた。今日ずっと感じていた嫌な感覚が、またどんどん強くなるのがわかる。この予感がはずれてくれればいいと、心底早太は願った。
「お頭のおじさん、作戦って?」
 早太がその先を聞き出せないでいると、不思議そうな顔で千鳥が小首を傾げた。すると頭は気のよさそうに相槌を打ち、あぐらを掻くと腕組みをする。厚い唇の端を得意げに持ち上げて、頭はにやりと笑った。
「おう、最近術師を集めて悪さ企んでる奴らがいるって話を聞いてよ。それで、ならあぶり出そうと思ってちょっと噂を流してやったんだよ。ちょうどあの富吉の奴がごねてた時だったからなあ。いい薬にもなるだろうと思って」
 頭の言葉に、早太は頭痛を覚えた。当たって欲しくなった予感が的中し、うなだれるしかなかった。つまり、盗賊も早太たちも頭の作戦に翻弄されただけということだ。盗賊の応援が来なかったところをみると、頭の狙いは見抜かれたのだろう。だがあの富吉でさえ、利用されていただけだったのだ。
「じゃあお頭のおじさん、術師が来るってわかってたの? それならどうして教えてくれなかったの?」
「おいおい、千鳥。そんなこと言えば妙に勘のいい富吉が気づくだろう? あの臆病者が。それだと仕事がやりづらいじゃあないか」
「あーそっか」
 千鳥はそう説明されて納得したようだが、早太はますます脱力するだけだった。それもつまりは全て、謎の集団をあぶり出すためなのだ。そのためなら組員に正確な情報が渡らなくても、全く意に介していないらしい。もし盗賊たちの応援が来たらどうするつもりだったのかは、怖くて聞く気にもならなかった。
「ま、今回は仕方ないなぁ。また次、もっと考えるさ。ご苦労だったな、千鳥、早太」
「ううん、全然大変じゃあなかったよ!」
 陽気に答える千鳥に、早太は胸中で苦笑した。このままこの頭の下で働いていていいのかと、ずっと抱いていた疑念はますます強くなるばかりだった。

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