ファラールの舞曲

番外編 彼と彼女の幻想曲-12

 魔族と護衛たちとの戦いは、ある意味悲惨なものだった。一挙に押し寄せてきた魔物に大して、一部の護衛は完全に戦意を喪失している。まともに戦える者はどれくらいいるのだろうかと、“彼”は数えたくなる心境だった。
「屋敷にも火の粉が飛ぶ可能性がありますね」
 バンと共に部屋を出た彼は、遠くの爆音に顔をしかめてつぶやいた。魔族は本気だ。この屋敷ごと焼き払うことさえ、考慮に入れているだろう。ただいつあの救世主が出てくるかと怯えているせいで、まだ思い切った行動には出ていないようだ。
「この数ですからな。侵入される可能性もあります」
「そうなってはおしまいですね、ゼジッテリカが危ない。シィラ殿がいるとはいえ、狭い場所では身動きが取りづらいですから」
「危ないのはテキア殿もですぞ?」
「私には一応、技があります」
 早歩きで隣を行くバンは、呆れた顔をした。その程度の腕でどうにかできるつもりなのかと、言いたげな様子だった。彼は苦笑を押し殺して視線を前方へと向ける。つまり、彼の正体は感づかれてもいないということだ。
「結界があれば、余波ならなんとかできますから。ですからバン殿には、できれば門の前で戦っていただきたいんですが」
「はぁ? ここに来て何を仰います、テキア殿。無謀ですぞ」
「ここへ侵入されることを考えれば、まだましですよ」
 首を捻るバンに、彼は肩をすくめてみせた。実際、屋敷へと入られることは喜ばしいことではない。ゼジッテリカは既にシィラが外へと連れ出しているが、ここが戦場となれば背後を警戒する必要も出てくるのだ。狭い場所では他の護衛たちも戦いにくいだろう。
 しかしバンは渋い顔で首を横に振った。直接護衛としての仕事を放任気味のバンも、さすがに危機感を覚えるのか。
「無謀ですぞ」
「バン殿、お願いです」
 私は出入り口の近くにいますからと付け加えて、彼は破顔した。そこであれば、何かあったとしてもバンがすぐ駆けつけられる距離だ。また護衛も多く配置されており、最初の一撃さえ逃れることができれば、一人で戦うことはまずない場所だった。加えてある程度の広さもある。
「……わかりました」
 同じことをバンも考えたのだろうか。懇願する彼に、渋々といった様子でバンはうなずいた。そうとくれば会話をしている時間も惜しいと、彼は走り出す。その後を慌ててバンがついてくる気配があった。
「テキア殿」
「外はかなり切羽詰まっていますよ」
 彼の言葉を証明するかのように、強い地響きが屋敷を揺るがした。近くに光弾でも落ちたのだろうか? あちこちから騒々しい声が聞こえてきて、護衛たちの動揺を伝えてくる。転移さえ使えたら早いのにと舌打ちしたい気持ちを抑え、彼は駆けた。幸いなことに、玄関はもうすぐそこに見えている。
「バン殿」
「はい、ちゃんと行きますぞ」
 軽く一瞥すれば、バンは苦笑混じりにうなずいた。玄関前の広間で彼が立ち止まると、その横をバンが擦り抜けていく。小さくなる後ろ姿を見送って、彼は瞳を細めた。
 ここにいる護衛は、今のところ五人。屋敷を出ていったバン以外は、皆気に疎い者たちばかりだった。魔族相手の戦闘は慣れていないのか、爆音が聞こえるたびに顔を強張らせている。彼は周囲を見回しながら精神を集中させた。
 まずは屋敷近くへ落ちそうな光弾を、小さな結界で弾き返してみる。外は魔族と護衛で溢れかえっているだろうから、気づかれることはないはずだった。問題は中にいる者たちだが、彼らも感づいた様子はなかった。むしろ落ち着きがなさ過ぎて不安になるくらいだ。
 しばらくはこの方法で乗り切るのが妥当か。彼は屋敷外へと注意を払いながら、隙を見ては結界を張ることを繰り返した。正体を隠したまま振る舞うのは、やはり面倒だ。それもこの戦いで魔族が一掃されるならば、必要のない配慮だった。
 外から響き渡る爆発音。細かく震える床に、明かりが落ちて割れる音が耳障りに響く。騒々しさが増す中、彼はひたすら結界を生み出しては消す作業を繰り返した。自ら動けないだけに、気疲れだけする戦い方だ。
 だが戦況は、そんな悠長なことを言ってられない方向へと流れ出した。わかっていたことだが、数の上でも戦力でも圧倒的に不利なのはこちら。特に空から攻撃を仕掛けてくる魔族が厄介だった。そろそろ小出しの結界では防ぎ切れそうにない。
「来るか」
 屋敷に向かって降下し始めた魔族。その気配を捉えて、彼は即座に転移の技を使った。一瞬だけ体にかかる重力が消え、次にそれを感じた時には目の前に男が見える。長い水色の髪をなびかせた、小柄な魔族だ。
 彼は無言のまま、黒い光弾を男へと放った。振り返った男が眼を見開く様が、わずかな間だけ視界に入る。しかし男が声を発することはなかった。続けて目隠しようにと叩き付けた炎球が、派手な音を立てて爆発する。
 魔族を一瞬で葬り去るには、破壊系の技に限る。しかしそれはまず人間が使えるものではなかった。少なくとも彼は、それを技使いが使用するところを見たことがない。故に、これがばれると神の存在が露呈する可能性がある。もっとも皆は救世主の仕業だと思うかもしれないが。
「救世主は、いい隠れ蓑だな」
 地上へと落ちていく男を見下ろして、彼はまた転移の技を使った。再び屋敷の中へと戻れば、案の定、護衛たちがおろおろしている姿が目に入る。外の轟音に狼狽しているのだろうか? たとえ魔族が侵入してきたとしても、戦えるとは思えない有様だった。
 その姿を横目に、彼は黒衣に汚れがないかを確認した。外はひどい煙だ。あまり出張らない方がいいかもしれないと、思い直してしまう。結界だけで乗り切れるだろうかと低く唸ると、どこからともなく叫ぶような声が聞こえた。
「救世主が来てくれれば」
 それは祈りに近いかもしれない、希望の言葉。彼は思わず苦笑して、瞳をすがめた。救世主なら既にいる。“彼女”ならば、もう外で魔族と交戦中だった。ゼジッテリカは無事なようで、その気が弱まることもない。
 屋敷の門前ではバンやギャロッドが、そこからさらに東へ進んだところではアースやシェルダ、マラーヤたちが戦っていた。今激しい戦闘が行われているのは、そこくらいだろうか。後は護衛たちが攻められる一方で、何とかしのいでいるといった様子だった。仕方なくまた西へ落ちんとする光弾を、彼は結界で弾き返す。
 刹那、今までにはない強い地響きが彼を襲った。思わずよろめいて膝をつくと、何かが燃える臭いが鼻につく。気配を探れば、その元はここから東の方にあった。おそらく炎球でも落ちたのだろう。
「屋敷に落ちましたね」
 テキアとして小さくつぶやいてから、彼はすぐさま立ち上がった。救世主が姿を現さないことに、業を煮やしたのか。それとも逆に安心して本格攻撃へと移ったのか。どちらにせよ、彼にとってはありがたくない状況だった。このままでは屋敷も火の海になる。そうなれば彼はともかくとして、普通の技使いがまともには動けなかった。
 動くべきか否か。彼は迷いながら、とりあえずまた結界を生み出した。魔族に尻尾を掴ませるわけにはいかないが、このままでは多くの犠牲者が出る。死者が増えてしまう。
 高い天井を睨みつけて、彼は低く呻いた。脳裏をよぎるのは、雨に打たれたまま亡くなったテキアの姿だ。魔族の企みに巻き込まれたばかりに、消えざるべき命が失われてしまった時のこと。
 どうしたらいいのか、どうするべきなのか。彼が強く唇を噛んだ、その時だった。再び轟音が鳴り響き、どこからか悲鳴が聞こえた。と同時に空に浮かんでいた魔族の大軍が、動き出す気配を感じる。
 狙いは中庭のゼジッテリカだ。一部の魔族は、転移で既に屋敷の中に移動していた。だが幸か不幸か、彼の方へと向かってくる様子はない。
「いや、こちらにも来ますね」
 よくよく気を探ってみれば、数人は“テキア”を目指して駆けているようだった。もうしばらくもしないうちに、ここへと辿り着くだろう。倒すだけなら造作もないが、周囲の目が問題だった。テキアが強すぎては違和感をもたれてしまう。
 とりあえず心構えだけはしながら、彼は魔族の来訪を待った。その間もゼジッテリカの様子を探ることは、疎かにしなかった。“彼女”がいるから万が一のこともないとは思うが、相手の数が数だ。油断すべきではない。
「テキア殿!」
 誰かの悲鳴じみた叫びが、広間に響き渡った。前方に見えたのは、銀の髪を振り乱した大柄な男だった。その手が赤く輝くのを見て、彼は口の端を上げる。炎系の技だ。これなら普通の結界でも防ぐことができる。
 走りながら、銀髪の男はうねる炎を放ってきた。それをあっさりと結界で弾き返し、彼は周囲を一瞥する。駆け寄ってくる護衛は二人。どちらも若い青年だった。怯えに顔を蒼くしているが、仕事は忘れてはいないらしい。忘れて逃げ出してくれれば楽なのにと、頭の隅で考えながら、彼は数歩後退した。
 門の方からバンが駆け寄ってくるのが、扉越しにも気でわかる。これではやはり、まともに反撃することは不可能だった。
「テキア殿!」
 威勢よく扉が開かれた後、バンの声が辺りを震わせた。護衛たちが安堵したのが、手に取るようにわかる。それに密かに苦笑しながら、彼はまた結界を生み出した。今度は風の矢だが、これもやり過ごすのは容易い。
「バン殿」
 答えながら、彼は別の理由で胸を撫で下ろした。バンに気を取られているうちに、“彼女”の方に動きがあった。その気が膨れあがり、周囲の魔族がとんでもない勢いでその数を減らしている。彼女が本気になったのだ。空で様子をうかがっていた魔族たちも、それに気づいたのか中庭へと集まりつつある。
 その間、バンの放った白い光弾が、銀髪の魔族を後退させていた。その後ろにはもう一人魔族が姿を見せているが、バンの登場に若干足が鈍っているようだ。今の技――精神系の光弾――を見たからだろう。バンも使えたのかと密かに感心して、彼は口角を上げた。
「大丈夫ですか、テキア殿!?」
「はい、大丈夫ですよ」
「ついに侵入されましたな」
「ええ、そうですね。ですが救世主も現れたようです」
「何ですと!?」
 さすがのバンも、この戦闘では周囲に意識を向けることはしなかったらしい。眼を見開いたまま慌てて、気を探り出し始めたようだった。もう一度目の前に結界を生み出し、彼は肩をすくめる。
「この気の強さは、救世主以外考えられないでしょう」
「……いや、しかし、この強さは異常ですぞ」
「そうですね、異常です。人間では有り得ない」
 本音を漏らして、彼は銀髪の男の方を一瞥した。“彼女”の存在に気を取られているのは、魔族らも同じだった。あからさまに狼狽した様子で、顔を蒼白にしている。それは気の毒になるくらいの変化だった。
「魔物もそちらに集まっているようですな」
「ええ」
 銀髪の男たちも、ついに踵を返した。おそらく中庭の方へと向かうのだろう。今さら行っても無駄だろうにと独りごちて、彼は瞳をすがめた。彼女の力は、彼から見ても異様だ。これは半ば伝説となっている神々に匹敵する。
 これならば無理をする必要もないだろう。そう判断して、彼は安堵の息を漏らした。彼女の決断がもう少し遅ければ、やむを得ないと動き出すところだった。利用している身とはいえ、何度も冷や冷やさせられるのは辛い。
 だがそれも今日で終わりだ。じきにこの戦闘は終わるだろう。そんな予感を覚えて、彼は黒衣についた煤を払った。本気になっていいと彼女が判断したということは、尻尾を掴まえる準備ができたということだ。偽りの終焉も近い。
「ではバン殿は、また門の前を頼みます」
「またそんなことを仰いますか。……もうここへ魔族は来ないと?」
「はい、来ないと思いますよ。救世主が動き出したんですから。ほら、皆空へと集まっているでしょう?」
 見えない空を透視するかのように、彼は天井を見上げた。肉眼では容姿を判別できない場所で、彼女はその力を振るっている。うまい方法だなと、彼は小さく唸った。あまりにも強すぎるその気だけでは、“彼女”とシィラを結びつけることはまずない。少なくとも、普通の技使いには無理だった。
「テキア殿は、仕方のない方ですな」
「すいませんね」
 苦笑するバンに、彼は頭を傾けて謝った。だが少しでも護衛の被害を減らしたいんだ。そのためには、バンには外にいてもらった方がいい。
 背を向けて走り出すバンを、彼は微苦笑しながら見送った。気づけば屋敷を揺るがすような轟音は、もうどこからも聞こえなくなっていた。

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