ファラールの舞曲

番外編 彼と彼女の幻想曲-3

 神がいると確信できたのは、実力試験の会場に足を踏み入れてからだった。その気はあまりにも弱く、技使いと判断するのさえ苦労する程で。だから日頃あらゆる気の動きに注意している彼女でも、それまでは違和感に首を傾げることしかできなかった。
「まさか神がいるだなんて」
 流れの技使い“シィラ”としてつぶやいた彼女は、屋敷を見上げてため息をついた。これからここで護衛をすることになるのだが、やや気が重くなっている。ここに神がいるという事実は、この件に深く魔族が関わっているという直感を裏付けるものだった。しかも密かに潜り込んでいるとなれば、かなり大がかりな計画が動いているのだろう。
「魔族殺し、がまた板に付いちゃいますね」
 口元には自然と微苦笑が浮かんでいた。魔族の企みを潰していくうちに、いつの間にかついたありがたくない二つ名だ。本来なら魔族の数も減らしたくない彼女にとっては、嬉しくない通り名だった。だが事実でもあるのでことさら否定する気も起きず、それは徐々に広まりつつある。
 瞬殺のレーナ、神魔の落とし子、未成生物物体、腐れ魔族の申し子。一体幾つの呼び名があるのだろうか? そのうち幾つかは仲間たちをも含むものなのだが、今となっては彼女の異名のごとき扱いとなっている。彼女があまりに目立ちすぎたためだ。心当たりはありすぎるために、どの事件が原因とも断定できない。
「困りましたねえ」
 のほほんとした口調でぼやきながら、彼女は屋敷へと続く道を歩いた。普段とはほんの少ししか容姿を変えていないのは、いざという時に力を使うためだ。
 容姿が力を制限する彼女たちにとって、それは重大な問題だった。正体を悟られないようにするためには気を隠したい。そのためには容姿を偽るのが手っ取り早い。しかし偽り過ぎると力を発揮できない。どうにもやっかいな難問なのだ。
 そして“彼”は、前者を選び取ったようだった。いや、テキアの代わりを果たすことの方が大事だと判断したのだろうか。神が人間の振りをするというのは、想像するだけでも骨が折れることだ。
 第一、魔族に気づかれないように振る舞うなど普通は不可能なのだ。神が魔族の気に聡いように、魔族も神の気に聡い。魔族の目をごまかすというのは、ごく普通の神には無理な話だった。
「つまり彼は普通の神じゃあないということですね」
 大きな扉を見上げて、彼女は瞳を細めた。彼は上位の神。おそらくは地球出身の実力者だろう。自然と表情が強ばるのを意識しながら、彼女は扉が開くのを待った。この向こうに彼はいる。おそらく彼は、彼女のことを疑っているはずだ。それはあの実力試験の日に見た眼差しから容易に推察できた。
 どれだけ気を遣ったとしても、偽れないものがある。それは『気』だ。彼女の場合はそれもある程度偽れるのだが、限界はあった。上位の神をごまかせるものではない。
 すると不意に、扉がひとりでに開き始めた。重々しい音を立てながら、それは屋敷の奥へと引かれていった。彼女は口の端にいつもの笑みを浮かべると、そこに立っている男性を見据える。
 黒い上着に黒い髪、切れ長の瞳を持つ三十代半ばほどの男だ。彼――“テキア”は、無論一人ではなかった。その周囲には二人の男性がいて、どちらも興味津々な様子で彼女を見ている。元々屋敷に住んでいる者たちなのだろう。それでも物怖じなどせず、彼女は軽く会釈をした。
「すみません、遅くなりまして。十番のシィラです」
「いえ、時間通りですよ。少々皆さん早くいらしたようでして。まあ、男性は支度に時間がかかりませんからね」
 彼は微笑しながら首を横に振った。その仕草はどことなく優雅だ。頭をもたげた彼女は、安堵に頬を緩めた振りをした。滑稽なやりとりだなと内心では思う。彼女が屋敷に辿り着くのが遅れることは、彼もわかっていたはずなのだ。
 実力試験で下位となった者が起こした騒ぎ。そこれに便乗して、おそらく彼は彼女を試したのだろう。そういった問題に彼女がどう対処するのか確かめたのだ。そうでなければ普通は誰かがすぐに駆けつけてくるはずだ。こういった騒ぎは、魔族を寄せ付ける隙を与えてしまうのだから。
 もっともそんな風に試されなくとも、彼女としては被害にあった女性を助けるつもりではあった。たとえ集合時間に遅れる可能性があったとしても、怪我人を放っておくのは性に合わない。
「それを聞いて安心しました。でもテキア様がお出迎えだなんて、何かあったのでしょうか?」
 しかしそんな内心は表に出さず、彼女は彼へと近づいて小首を傾げた。いつもとは違い後ろで緩く結わえただけの髪が、腰の辺りでゆらゆらと揺れる。すると彼は小さく首を横に振って微苦笑を浮かべた。威圧感を与えやすい容貌ではあるが、こういった表情には人間味がある。
「いえ、特に問題は起こっていませんよ。ただゼジッテリカの直接護衛候補がどんな方なのか、一度会っておこうと思いまして」
 そんな顔でさらりと放たれたのは、驚くべき言葉だった。本心からそう思い瞠目して、彼女はまじまじと彼を見る。
 彼女が人間でないことは、彼はきっと感づいている。何者かは知らなくともそれは確信しているはずだ。それなのにそんな怪しい者を、しかも最も守らなければならないゼジッテリカの傍に置こうとするなんて。一体どういうつもりだろうか?
 人間に危害を加えるつもりはなさそうだと踏んでいるのか、それともよほど自分に自信があるのか。何にせよ信じがたい話だった。その意図が読めない。
「私が……ですか?」
「そんなに驚くことですか? まだ幼いとはいえ、やはり男性をというのは気が引けますし。あなたは女性の中では一番の成績でしたからね」
 説明する彼の瞳が、柔らかく細められた。何を考えているのか、やはり容易には悟らせない物腰だ。要注意人物だなと確信しながら、彼女は曖昧な笑みを浮かべた。それは選ばれたことに困っているような、それでいて喜んでいるような、複雑な微笑だった。
 この場としては違和感のないものだろう。光栄ではあるが畏れ多いというのが、おそらく普通の技使いの感覚だろうから。もちろん彼女にとっては、別の意味で複雑なのだが。
「とりあえず、あなたの見目は合格ですね」
「え? み、見目?」
「ああ、そういう意味ではありません。ゼジッテリカはいまだに人見知りしやすくて、威圧感のある方には怯えてしまうんです。でもあなたならばそういうことはないでしょう。安心しました」
 彼の口の端が悪戯っぽく持ち上げられた。からかっているのか、それとも試しているのか。何にせよ反応に困る台詞ではある。彼女は軽く頭を傾けると、周りにいる男たちの反応を見た。彼らが困惑していところからすると、この彼の対応は珍しいものなのだろう。
 “テキア”がどういう人物だったのか、彼女は噂でしか知らなかった。気難しい人だとか、謎のある男だとか言われていたのは覚えていたが、それ以上はわからないのだ。他にも幾つか噂はあったが、どれも信憑性に欠けるものだった。
「それではシィラ殿、こちらへ。詳しいことはこれから話します」
 すると彼は彼女に背を向け、ゆっくりと廊下を歩き始めた。二人の男は慌ててその後を追い、動かない彼女へちらりと視線を向けてくる。その二対の瞳は好奇心に溢れていた。彼に珍しい反応をさせた人物として、興味を示しているのだろう。この輝きはよく知っている。
 やりづらい状況になったなと思いながら、彼女は首を縦に振った。そして歩き出した。これが彼の狙いだとすれば、かなりの策士ということになる。厄介な相手だ。
 どちらが先に尻尾を出すのか。それともそれより早く魔族が痺れを切らすのか。そんなことを考えながら、彼女は彼らの後を追った。広い廊下に、乾いた靴音が響いた。



 ゼジッテリカのもとへ“シィラ”を連れていったのは、夕方のことだった。前もってゼジッテリカには伝えてあるが、おそらく相当渋い顔をしているだろう。見知らぬ人が部屋を訪れることを、ゼジッテリカは好まなかった。おそらくこの後も冷たい反応が返ってくるはずだ。
 その時シィラはどう反応するだろうかと、彼は密かに楽しみにしていた。おっとりした物腰に、護衛とは思えない柔らかな表情。本当に護衛なのかと訝しがられている彼女は、ゼジッテリカの前でどんな顔をするのだろうか?
 ゼジッテリカの傍に誰かをつかせたいというのは、彼の希望だった。いくら彼が転移で瞬く間に移動できるとはいえ、“テキア”という皮をかぶっている今は、咄嗟の身動きが取りづらい。だからできるだけ実力者を、その横に置いておきたかった。もちろんシィラが何者であるかわかっていない今では、ある種危険な賭だ。
 彼女がゼジッテリカにどう対応するのか、どんな感情を抱くのか。それが彼にとっての判断材料の一つだった。どんなに偽ろうとも、感情まで偽れる者はまずいない。表面上ではそれを隠せても、気には表れてしまうのだ。
 だからこれは、彼女の正体を暴く絶好の機会でもあった。その後の対処は、その時に考えればいいだろう。
「ゼジッテリカ様にはもう話を?」
「はい、もうしてあります。夕方に連れていくと伝えてありますので」
「そうですか」
 やや斜め後ろを歩く彼女を、彼は一瞥した。世にいる流れの技使いと比べても、ずいぶん華奢な体格だ。つまり一般から外れてでも維持したいものということになる。となれば彼女の本来の姿に近いのだろう。神や魔族が普通人間の平均よりも背が高いことを考えれば、人間寄りというわけだ。
「どうかしましたか?」
 すると見られていたことに今気づいたように、彼女は彼を見上げた。不思議そうに瞬く瞳は、人間の男が好みそうなものだ。これで護衛だと言っても、すぐには信じてもらえないわけだ。もっとも気に慣れ親しんだものならば、その気が異質であることはわかるはずなのだが。
「いえ、ゼジッテリカがあなたのことを気に入ってくれれば、と思いまして」
「ゼジッテリカ様が?」
 ごまかすように彼がそう告げると、彼女はさらに訝しそうに首を傾げた。ゼジッテリカの人見知り具合を彼女は知らないのだ。使用人でさえ長く勤めた者でなければ、部屋には入れない程徹底しているというのに。
「ええ、他人と打ち解けるのが苦手な子でして。警戒してくれるのは、狙われている時にはよいことなんですけどね」
 彼は言葉を濁しながら瞳を細めた。ゼジッテリカがどんな反応をするか、彼女がどんな受け答えをするのか、様々な想像が脳裏に浮かんでは消えていく。
 つい漏れそうになる微苦笑を堪えて前を向くと、後ろからくすりと笑い声が聞こえてきた。それはどう考えても彼女のものだ。怪訝に思って振り返ると、楽しげな黒い瞳が彼を見ていた。彼は理由を言うよう促すために、軽く眉根を寄せる。
「ご心配なく。私そういうのは得意ですから」
「は、はあ」
「任せてください、テキア様」
 どことなく悪戯っぽい表情に、自信に溢れた言葉だった。それには答えようがなく、彼は曖昧な返事をするに止める。沈黙を避けるために自然と歩が速まり、ゼジッテリカの部屋はすぐそこへと迫っていた。あとは階段を上ればいいくらいだ。
 ここまで余裕ある態度に出られるとは、思いもしなかった。何か秘策でもあるのだろうか? 彼は内心で首を捻りながら、見慣れた扉の前に着くとそこで立ち止まった。子どもの部屋としては、一見すると重そうな扉だ。それでもゼジッテリカの力で開けられるようにと、工夫されている。
 部屋の中には、ゼジッテリカの気だけがあった。いつも通り一人遊びでもしているのだろう。部屋に閉じ込められた少女のできることなど、かなり限られていた。窮屈な思いをしていることは、嫌でも容易に想像できる。
 ゼジッテリカのためにも、早くこの企みを潰さなければならない。そう決意を新たにして、彼は扉を叩いた。

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