ファラールの舞曲

番外編 彼と彼女の幻想曲-1

 彼が異変を察知したのは、ある意味では偶然のことだった。それでいて必然だった。
 転生神てんせいしんリシヤにより五腹心ごふくしんが封印されてから、魔族の動きは表面上は沈静化している。よって常に水面下の動きに気を配りながら、彼は密かに活動を続けていた。
 魔族に襲われかけた技使いを、そうとは知られないように助け、かつ情報収集をする日々。それはひどく単調な生活だった。経験のない者なら気を抜いてしまう程、退屈な日々だった。
 そんな折に出会ったのが、テキアという男だった。当時はサキロイカがファミィール家の当主となる前で、まだ家全体に勢いのある時代だ。それでも悪人というのは消えないもので、そういった人間たちにテキアは絡まれていた。テキア同様、相手も技使いだ。それも複数となれば、テキアに勝ち目はない。
 人間同士のいざこざならば、普段の彼は介入はしない。だがそこに魔族から出回った武器があるとなれば、話は別だった。結果的に、彼はテキアを助けていた。危険な武器を人間から取り上げるのが目的だったが、しかし結局はそうなっていた。それがテキアとの出会いだ。いや、まともに顔を合わせたのはその一回きりとも言えよう。
「シリウス様、ファミィール家の様子が不安定ですがどうしますか?」
 その後ファラールにある小さな神界しんかいへと立ち寄れば、そこにいる数少ない神の一人がそう彼へと問いかけてきた。幼い顔立ちの少年とも思える男だが、無論人間とは違うのでそれなりに生きている。
 童顔な男が懸念するのは、ファミィール家の動向だった。この星やここら一帯の星は、今やファミィール家によって成り立っているといっても過言ではない。それは実は、危ういことでもあった。少なくとも彼らから見れば危険な状況だった。
「だがこちらから働きかけられることは限られるだろう? 見守るしかない」
 しかし彼はそう答え、ため息をつくしかなかった。
 人間の世界に深入りするのは、彼ら神々にとっては避けるべき事態。魔族との戦いで戦力を疲弊している彼らにとっては、できる限り穏便に事を運ぶのが理想だった。そしていつしか彼らの希望――転生神が現れるのを待てばよいという、ひどく気の長い構想を抱えていた。滑稽だと彼自身も思っている。
「そう、ですよね」
 男の沈んだ声に、彼も瞼を伏せた。その不安がわかるからこそ、無下にはできなかった。危機感は彼の中にもあるのだ。人間たちの世の移り変わりは激しい。再び混乱の渦中へと放り出されれば、無力な人々は負の気配をこれでもかと放つことだろう。それが魔族の餌になるとも知らずに。
「大丈夫だ、何かあれば私が動く。私が見張っていれば心配ないだろう?」
 だから気づいた時には、彼はそう答えていた。すぐに男の瞳が、驚きと喜びに輝く。骨が折れる仕事であることはわかっていたが、言ってしまった以上引き下がることはできなかった。
 仕方なく彼は今まで以上に、水面下の動きに注意するようになった。もちろんファミィール家の動向にも、さらに気を配り続けた。それは次の当主であるサキロイカの行動はもちろん、その周りにいる者たちも含めてだ。
 人間に気づかれずにその行動を把握するのは、少なくとも彼にとっては難しいことではない。容易いことでもないが、転移が可能な彼にとっては不可能ではなかった。気さえ隠していればいいのだ。そうすれば怪しまれずにすむ。もっとも人間たちの行動に驚かされることはあったが、それでもおおむね上手くはいっていた。
 けれどもある日、彼は気づくことになる。サキロイカの叔父が、実は魔族によって殺されていたという事実に。魔族が人間へと流した武器によって、暗殺されたという事実に。
 それはよく調べてみれば計画的な犯行だった。テキアが殺されかけた件と、行われていることは同じ。あれもおそらく、偶然ではなかったのだろう。全ては同じ目的のために仕組まれた事だったのだと、そう彼は確信した。
 魔族はファミィール家を狙っている。
 それはもう、動かしがたい現実だった。そしてそれは、彼と魔族との見えない戦いの幕開けでもあった。



「護衛を雇おうと思います」
 その発言には、集っていた者たち全員を揺るがすだけの力を持っていた。会議室そのものがざわついたように、揺れたようにすら思える動揺ぶり。誰もが互いに顔を見合わせ、困ったように顔をしかめていた。
 サキロイカの体調が思わしくない中で、“テキア”がこんなことを言い出したのだ。皆正気を疑っているのだろう。ついに気が狂ったのかと、思っている者もいるかもしれなかった。わかりやすい反応だ。取り繕う余裕もないらしい。しかもその自覚さえ薄いらしく、放たれる負の気に彼は辟易とした。
 サキロイカが病床に伏し、テキアが当主代理となってからしばらくがたった。それまで護衛を雇った方がいいと助言する者もいたが、その度に部外者を屋敷の中に入れたくはないとサキロイカはつっぱねていた。
 その中によからぬことを企む者や、魔物が紛れることを恐れたのだろう。その気持ちは彼にもわからないわけではない。元々金の集まるところには悪人も集まるのだ。
「ですがテキア様」
 経営を手伝っている男の一人――キルギアが遠慮がちに口を開いた。その顔を見れば、言わんとすることはわかる。サキロイカのことだ。彼は小さくうなずくと、切れ長の瞳を細めてわずかに微笑んだ。威圧感を与えやすい容姿なだけに、こういう時には気を遣う。その点でも元の姿の方がまだ楽だった。
「心配しないでください。兄のことならば、私が説得しますので」
 彼の言葉に、周囲はどっと安堵の息を吐き出した。それが懸念だったのだろう。最大の問題さえ解決すれば、皆も護衛を雇うことには賛成なのだ。やはり技使いがいない状況では、屋敷も心許ない。塀の外にいる男たちは皆屈強だが、それでも魔族には歯が立たなかった。それを誰もがよく理解している。
 もちろん、護衛を募集すればそこには魔族も顔を出してくるはず。その危険性は高かった。最も危惧すべきところだろう。だが魔族の潜入を、彼が見抜けないわけがなかった。彼は神だ。神が魔族の気を見逃すなど考えられない。つまりこれは、彼だからこそ可能となる提案だった。
「それでテキア様、護衛は何人雇うのですか?」
「やはり十人以上は必要だと思います、テキア殿。相手は魔物なのですから」
 彼がサキロイカを説得するとわかるやいなや、皆が次々に意見を述べていく。現金なものだった。ただ彼らの認識が甘いことも、彼は知っていた。十などという数字が出てくる時点で、完全に魔族の実力を見誤っている。
「最低でも六十人は必要でしょう」
 彼はそう言い切ると、周囲の反応を待った。予想通り、皆は絶句していた。そこまでとは思っていなかったのだ。正直にいえば六十でも足りないくらいなのだが、さすがにこの場では言わない方が懸命だろう。故に彼はしばらく黙する。
 全ては集まる技使いの質による、といっても過言ではなかった。弱い者をいくら集めても、魔族の相手にはならないのだ。むしろ邪魔になるだけで。
「しかしそんな、テキア様。それだけの数を集めるとなると――」
「魔物相手ですよ? しかも強い技使いでなければ務まりません」
「そ、そうですが……」
「できれば、あの光靱のバンくらいの方に来ていただきたいですね」
 バンの名前を出せば、さらに室内に沈黙が満ちた。バンを護衛として雇えるなど不可能だと思っているのだろう。皆はファミィール家の財力を侮っているか、もしくはファミィール家の知名度や重要性を認識していないに違いない。そうとしか考えられない反応だった。彼は嘆息する。
「金額についても、全て私に一任してもらいます。責任も負います。それならば問題ないでしょう? 狙われているのは兄にゼジッテリカ、そして私なんですから」
 そう告げれば、さすがに誰も反論してこなかった。実際には本物のテキアはもう殺されているのだから、さらに切羽詰まった状況なのだ。これでサキロイカが亡くなればどうなるのか、考えたくもない。他の星で魔族の不穏な動きさえ起きなければ、もっと早くに動き出したかったくらいだった。
「テキア様」
「キルギア殿、何か?」
「護衛を選ぶのは、テキア様なのですか?」
「あなたたちも加わりますか? 私は結構ですよ。私は技使いの一人として、護衛の適正を判断するつもりです。しかし実力者を集いたいですからね。試験でもしようかと思っているのですが」
 試験と聞いて、周囲の者たちはさらに眉をひそめた。おそらく一体どういった規模の募集を行うのか、全くわかっていないに違いない。彼はうっすらと口の端を上げ、その場にいる者の顔を見回した。
「護衛の募集には、多くの技使いが殺到するでしょう。おそらく千人は超えるかと」
 彼の一言に、今度こそ皆は硬直した。もう声を発することはできないとまで、思われる様子だった。もっとも、流れの技使いを雇うのさえ普通は難しいことを考えれば、仕方のない反応だ。技使いとはそれくらいに少ない。しかしいるところにはいるということも、彼は知っていた。
 果たしてこの募集にどれだけの魔族が、技使いが引っかかってくるのか。彼はその日のことを思い、切れ長の瞳を細めた。

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