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いつか羽がはえたなら

いつか羽がはえたなら

 おたまじゃくしは、なにもしなくてもカエルになれる。
 変わるということは、おたまじゃくしに羽が生えるようなことだ。
 ――しかし、なぜおたまじゃくしは変わろうと思ったのか。
「それはストレスから逃れるためだと言っていい。環境がいきものに与えるストレスというのは実に甚大だ。それこそ、水のいきものを空へと飛びたたせるほどにね。天王寺くん、いきものが別の姿に変わる理由などというのは、つまりそういうことだよ」
「ええ、芋虫が蝶に変わることを変態といいますよね。社長もそれです」
「おいこらちょっとまて」
 社長椅子に座った紳士は片手を前にだす。
 そしてどっかりと背もたれに身体をあずけた。
「天王寺くん。君ね、社長にたいして芋虫だの変態だのと言うのはちょっとどうなのかな。だいたい……こら、そうやって虫を見るような目をするんじゃない」
「毎晩少女の服を着てるなんて幻滅です」
「だからだね、どうして君はそう誤解を招くような言いかたをするんだ。それじゃあまるで、私が毎晩少女の服を着て楽しんでいる変態みたいじゃないか。ちゃんと断っておくが、私にそんな趣味はないし、もちろん変態でもない」
「変態じゃないですか。猫としゃべる、ひらひらの服は着る……それにとどまらず、その姿で街を徘徊しているだなんて。私は社長のダンディなところが好きだったのに最低です」
「猫としゃべるというより、猫がしゃべるんだからしかたがない。夜にしか行動しないのも、君もよく知っているように、昼間はこうやって仕事に追われているからだよ」
 秘書はため息をつく。
 巷で繰り広げられているという、魔法少女の戦い。
 参加者がお互いの変身道具を賭けてしのぎを削るこの戦いに、この社長も参加している……という話だった。
 社長はニヒルに笑う。
「しかし驚いたよ。まさかこんな老齢の私のところに、魔法少女になってくれなんていう話がおとずれるなんてね」
「まあ、社長は偉丈夫ですし、お年のわりにお若くもありますよ。それに、驚いたのはこちらです。まさか社長に少女趣味があったなんて」
 それではまた意味が違ってくるだろう。
 社長の宗徳《むねのり》はそう思ったが、口には出さなかった。
「ところで、私の話をきいて君はただいやみを言うだけか?」
 宗徳がたずねる。
 秘書の天王寺は首を横に振った。
「事情はわかりました。それでといってはなんですが、社長には、即刻その戦いへの参加をおやめいただきたいと思います」
「それはなぜだね?」
「社長が負けてしまうとわが社に損害がでるかもしれないからです」
「さっきもいったように、この戦いでは参加者は怪我などしないよ」
「そうではなくて、負けたときに正体があらわになるのが問題なんです。変なところで正体がばれて、妙な噂が立ったらどうするんですか。会社のブランドイメージに関わります」
「ふむ。そう言うがね……私もたいがい疲れているんだよ」
「でしたら、私をもっとお頼りになられてください」
 秘書はうったえる。
 天王寺は有能な秘書だ。
 宗徳も彼女を信用していた。
 宗徳は煙草を取りだす。
 煙を一つ吸い込んで、秘書に向き合う。
「天王寺くん。私にとって、社長稼業に勤しむ自分以外でいられるあの戦いは、自己救済の場でもあるんだ。唯一ストレスを感じない場所だといってもいい。それに妖精との約束もある。参加した以上、負けるまで私はやめる気はないよ」
「はあ……しかし、魔法少女大戦ですか。そんなものが人知れずこの街で流行っていたんですね。世のなかはわからないものです」
 秘書の天王寺は呆れかえったようにいう。
 宗徳は豊かな白髪頭をかきあげると、
「ところで私は思うんだが、魔法少女合戦の敗北条件をみるに、あれには必勝法があるね」
「必勝法ですか?」
「ああ、しかも、だれでもいつでも使えるし、まず負けないだろう」
「だれでもいつでも使えるって……勇気とか、ですか?」
「う○こ爆弾だ」
「はい?」
「う○こ爆弾だ」
「いや、繰り返さなくていいです。ちゃんと聞こえてます。ただじぶんの耳と社長の正気を疑っただけです。私の耳は正常ですが、残念ながら社長は正気ではないです」
「なにを言うんだ。むしろ、まともな頭で考えたらそうなるだろう」
「残念です」
「こら、むやみに私を残念がるんじゃない」
 宗徳は、まだ長い煙草を灰皿に押しつけた。
「そもそもだね、魔法少女が負ける条件というのは、けっきょくのところ武装解除のいかんにかかっている。う○こを投げつければいいだろう。相手の戦意も削がれるし、かといって人体に危険もない。ぶつけるのに苦労するというのはあるかもしれないが、効果は絶大だ。そうだな、たいていはその場で奇襲すれば、」
「社長」
「なんだ」
「人体に危険はないと言いますが、投げるほうの精神が危険すぎます」
「だからだね、何度もいうように、戦いに肥えを使うのはまともなのだよ。煮えた油をかけるよりはましじゃないか。昔からの常套戦術だ」
「あの……やめてくださいね、女の子の姿でそんなことするの」
「そうだな、こうやって君をいじめるのもここらへんでよしておこう」
 宗徳は口角を少し上げる。
 秘書の天王寺は目を細めたが、またため息をつく。
 宗徳は社長机に手をおいた。
「とりあえず、万が一なにかが起こったときのための君へのバックアップは済んだ。私の立場上、事情を知っている者が一人でもいるのはありがたいことだからね。ましてや君をおいてをや」
 天王寺は深々と頭を下げる。
 スーツ姿の美人だった。
 胸やお尻は張りがあり、身長もモデルのようだ。
 艶やかな黒髪は肩甲骨にかかり、今日はそのまま下ろしている。
「お話のことは承知しました。にわかには信じられませんが……私にできることでしたらお助けいたします。では……用が終わったのでしたらば、私はこれで」
 一礼し、天王寺は踵を返して去っていく。
「……しかし、強大な武器だとは思わないかね?」
「う○ちがですか? 私はなんであろうと、人間をやめてまで勝とうなんて考えません。魔法少女は負けない限り正体がばれないからといって、社長も絶対にそれだけはやめてくださいね」
「そうではなく、匂いというものの威力がだよ」
「匂い……ですか」
 天王寺は、うなじにかかる髪をなで上げ、振り返って宗徳をみる。
 宗徳は椅子のひじかけをつかって頬杖をついた。
「もし魔法少女の武器がスカトールだとしたら、私はこれに太刀打ちできるとは思わんね。もっとも、ジャスミンの香りも元はスカトールだというが」
「鼻をふさげばいいじゃないですか」
「魔法少女の戦いではね、とてもはげしい運動をするんだ。鼻をふさいでなどいたら何分ともたんよ」
「はあ……私には関係のないことです」
 天王寺は部屋を出て行った。
「ふむ……」
 宗徳はもう一本煙草を取りだし、火をつけた。



「宗徳、ボクの知る限り、そんな下品な魔法少女はいないよ」
 猫が宗徳にいった。
 宗徳は自宅に帰っていた。
 七階建ての高級マンション、1LDKという間取りだが、その広さといったら桁違いである。清潔さも保たれていて、水と光のインテリアが部屋全体に落ち着きのある空間をただよわせていた。
「いや、今日秘書とバカ話をしているうちに気になったものだからね。実際は魔法道具によらずとも、普通の人間だったらだれでも武器にできるものではある」
「魔法少女はトイレに行く必要がないんだけど、もしかしたらそれが理由なのかも」
「そうなのか、それはしらなかった」
 猫はガラスのテーブルに飛び乗る。
「うん。ボクはてっきり戦いに集中できるようにそうなってるんだと思ってたけど、昔は最終手段として使ってたのかもね」
「いやな大惨事だな」
「魔法少女そのものに執着する人間って多いからね」
「なるほど。とすればそうだな……。話は変わるが、昔のアイドルはみんな魔法少女だったのかもしれんな」
「宗徳、じじくさい」
「そうか……気をつけよう」
 宗徳にともなう妖精は猫。
 一見して、どこにでもいる茶白の三毛猫だ。
 宗徳は、今夜も戦いに出向くつもりだった。
 私服への着替えも済んだ。
 紺色の薄手のニットにジーンズ。季節は冬にさしかかっていた。
 宗徳は、猫とともにマンションを出る。
 近所の者は、これをたんなる猫との散歩だと思っていた。
 一人暮らしの紳士の習慣としては、とても微笑ましいものである。
 駅までは徒歩で十分。
 しかし、あまり人目にはつきたくない。
 宗徳は、猫とともに近所の公園へとやってきた。
「今日はここらへんでいいだろう」
 適当なところで魔法少女に変身し、それから戦いの相手を探す。
 これが宗徳のやりかただった。
 今夜はトイレの裏で変身を済ませた。
 宗徳は、ふわふわの魔法少女になっていた。
 銀色に輝く巻き髪と、目に眩しい陶器のような肌。
 藍色の大きな帽子とチュニックワンピースは、いかにも魔法使いといった装いだ。
 ひらひらの服から伸びる白い手足は、田舎の少女の素朴さを感じさせる。
「そういえばさ、偽者の魔法少女が出てるって噂をきいたよ」
「ほう? それは普通の魔法少女とどう違うんだ?」
 宗徳は移動するために猫を肩にのせる。
 宗徳の口調は変わらないが、声は溌剌《はつらつ》とした少女のものだ。
 猫は宗徳の頬に顔をつけた。
「えっとね、基本的なことはボクらと変わらないんだけど、ボクらとは違う世界の妖精がまぎれこんでるんだって。これはボクらの試験だから、他の妖精が参加したって意味ないのにね」
「欲しいのは魔法道具の力なんだろう。そういう相手には負けたくはないな」
 宗徳は、変身とともにあらわれた革のトランクをそばに置く。
 入っているのは、今までに勝ち得た変身道具だ。
 宗徳の変身道具は猫耳のカチューシャだが、それは帽子で隠している。
 猫耳の色は銀色で、髪と同じだ。
「近くに魔法少女の気配はある?」
 宗徳は帽子をずらして、猫耳をだす。
 この耳は意のままに動かせた。
 耳をくるくる動かして、遠くの音を探る。
 ピン、と猫の耳が立った。
「宗徳! うしろだ!」
 首元の猫が後ろを向いて叫び、宗徳は横に飛びのく。
 魔法少女からの急襲だった。
「あら、結構すばやいのね」
 尨犬《むくいぬ》を連れた少女が笑う。
 変身後の宗徳よりもさらに小柄な少女だった。紫紺の髪は腰まで届いている。特に結んでなどはいなかった。
 彼女と尨犬は、首におそろいの革のチョーカーを着けていた。
 チョーカーには、くるみ大のガラス球が一つぶら下がっている。
 おそらく、これが彼女の変身道具なのだろう。
 というのも、敵は、それ以外には赤いビキニしか身に着けていなかったからだ。
「宗徳、あの子……実は水着のほうが変身アイテムだったりすると思う?」
「どうだろう。しかし、あれを剥ぎ取るような戦いをするというのは気がひけるな……。ダメージを与えて武装解除をねらう方向でいこう」
 だが、一つ問題があった。
 いつもは敵の特性にあわせて自分のアイテムを強化していた宗徳だったが、それをするための戦利品の入ったトランクは、尨犬に奪われていた。
「私があの子の相手をしているあいだ、君があの犬を追っ払ってくれるか?」
「無理っぽい。それにあの犬、たぶんボクらとは違う世界の妖精だ」
「となると、あの少女は噂のまがいもの魔法少女になるのか」
「気合入れてね、宗徳」
 宗徳はうなづく。
「人が集まる前にちゃっちゃと済ませたいのだけど」
 敵の魔法少女は髪を指でいじりながらいう。
 宗徳は猫を肩から下ろす。
「ずいぶん破廉恥な格好をしているな。寒くはないのか?」
「この格好だと、こっちがステゴロを望んでるっていうのがわかるでしょ?」
 敵の少女はチョーカーに手をおく。
 白い指でつままれたガラス球が、街灯の光を反射してキラリと光った。
「わたしの魔法道具はこれ。奪うことを考えるよりも、わたしを倒したほうがはやいわ。それともこの首を落としてみる?」
 ――魔法少女には、道具さえあれば老若男女だれでも変身できる。
 そして、彼女の近接戦に対する自信である。
 もしかしたら相手の正体は、筋骨粒々の格闘家かもしれない。
 宗徳は、トイレの壁に立てかけてあった竹箒を取った。
 穂先を折って、構える。
 宗徳にもわずかばかり剣道の心得があった。
 しかし、魔法少女の戦いで使えるほどのものではない。
「剣道? そんなものを使えるなんて意外ね」
 敵の魔法少女は、左手足を前に出して腰を落とした。
 空気が一気に張り詰める。
 宗徳は箒の柄を捨てた。
「あら、ハッタリの構えだとは思わなかったけれど」
 敵も構えを解き、気を取り直すように、首にかかる髪を手で払う。
「……学生の頃に少しかじった程度だよ。しかし君が空手を使うというのはわかったが、その実戦慣れした様子はおそらく魔法少女の戦いだけによるものじゃないだろう。実戦形式の空手は気迫が違う」
「わかったのなら道具を渡して頂戴」
「そうはいかない。私も正体はばらしたくないからね」
「じゃあ、トイレに入って道具だけ渡してくれればいいわ。個室の上から投げてくれればそれで終わりにしてあげるから」
 思わぬ申し出だった。
 好戦的な相手だと思っていたが、どうやら目的は道具にあるようだ。
 となるとこの魔法少女、別口の妖精とグルだということも考えられる。
「君たちの目的はなんだ?」
「目的? いきなり奇異なことを聞くのね」
 敵の少女は腰に手をあてて応じる。
「妖精は変身道具を集めるといいことがあるし、わたしは派手な戦いを楽しむことができる。それがこの魔法少女大戦なんでしょ?」
「だが、君の相棒は普通の妖精ではないんだろう?」
「妖精が?」
 相手は当を得ない様子だった。
「知らないのか。君のその犬は、妖精の試験にまぎれこんでいる正体不明の妖精だという話なんだが」
「知らないわね。それ、本当?」
 敵は首をかしげる。
 トランクの上で丸くなっていた犬はあくびを一つした。
 そして、なにもなかったように眠る。
 敵はため息をついた。
「とりあえず道具を渡して頂戴。話はどうだっていいから」
「でも、そこの犬は胡散臭いよ。やっぱりボクらとは違う」
 猫がいう。
 敵の少女は、猫と宗徳を交互にみやった。
「……そんなの、あなただっておんなじよね。アンノウンがいるとして、あなたが正当かどうかはわからないでしょ?」 
 確かにそうだ。
 犬と同じくこの猫の素性も明らかではない。猫の言うことをそのまま信用していいのだろうか。
「まあ……話はうちの猫のほうが筋が通っている」
 宗徳は困ったように頬をかく。
 敵は軽く構えをとった。
「とにかく、人間と妖精はそれぞれの都合で動く。さしあたって、今この場ではそれで充分だわ」
 敵は跳躍する。
 今までの魔法少女よりも桁違いにすばやい。
 あやうく猫耳のカチューシャを奪われるところだった。
「あら、猫耳ごと取ったつもりだったのだけれど」
 敵は宗徳の帽子を指先でまわす。
 虚を突かれた宗徳は息を乱している。とっさにかわせたのは僥倖だった。
 これはまともにやったら負ける。
 宗徳は、力の差を肌で感じていた。
 せめて、勝ち取った戦利品を身に着けて、猫耳の能力を変化させられたら楽だ。
 宗徳はケースの方をみる。
 犬の首輪についたガラス球が、キラキラと煌いた。
 敵は容赦なく攻め込んでくる。
 宗徳は気圧されて倒れこみながら、受身を捨てて、敵のチョーカーに手を伸ばした。
 気づいた敵は身を退ける。
 宗徳の手は逃げるガラス球を掴む。
 指に力を込め、パキンと砕いた。
 敵は遠くに離れ、宗徳は背中から倒れ込む。
「……残念。このガラス玉はたんなる飾り。わたしのアイテムはチョーカーそのものなの」
 敵はチョーカーを触る。
 宗徳は片膝を着いて起き上がった。
 その上半身に、飛び込んできた敵の打撃がヒットする。
 宗徳は吹き飛ばされ、背後の木に激突する。
「宗徳っ!」
 猫が心配そうな声をあげて駆け寄る。
 宗徳はおおきくえずく。
「くぷ……強烈だな。あと一発でも貰ったらもちそうにない」
 猫は宗徳の顔をのぞきこんだ。
「――本当に怪我するようなことはないと思うけど、大丈夫?」
「いつも通り一定以上のダメージはカットされているみたいだが、衝撃がすごいよ。だが……わかったことがある」
「え、なにが?」
「彼女……いい匂いがする」
「呑気なこと言ってる場合じゃないよっ。宗徳、真面目にやってよ!」
「大丈夫だ。多分、勝てるだろう」
 宗徳は起き上がって服を払う。
「待たせたね、しかし、君は強いな」
「道具を渡せばそれで終わりにしてあげるわ」
「ま。やるだけはやってみたいのでね」
 宗徳は敵に向き合う。
 そして広場に走り出した。
 追ってくる敵のほうが早いため、移動中になんども攻撃を躱した。
 広場の隅にくると、宗徳は相手の攻撃を受け止めようと身構える。
 両手でガードしたところへ、見事なミドルキックが飛び込んできた。
 宗徳はまた吹き飛ばされ、水飲み場の、蛇口付きの円柱にぶつかった。
 宗徳は尻餅をつく。
 敵は悠然と宗徳を見下ろした。
「どれだけガードしようが、次の一発であなたの負けよ。降参するか、痛い思いをするか。どっちにする? わたしはどちらでもかまわないわ」
「……君の負けも、私の一発にかかっているがね」
 息も絶え絶えに宗徳がいう。
 敵はいぶかしい顔をした。
 宗徳は腕を支点に身体をまわし、水飲み場の円柱を蹴りくだいた。
 返す足で、敵の足を払う。
「――く!」
 敵は地面に倒れる。
 破壊された水飲み場から水が噴出する。
 その水は日よけの屋根にぶつかり、宗徳と敵に降り注いだ。
「――君のアイテムはチョーカーじゃない。おそらくは、あの犬の首についているガラスの玉がそうなんだろう。マリリン・モンローのパジャマと同じ匂い……君のアイテムはシャネルの五番。つまり、香水だ」
 濡れ鼠になりながら宗徳は続ける。
「あの犬のガラス玉は、君のものとは違って光をキラキラと乱反射させていた。中に液体が入っていると考えるのがまともだろう。君は香水の匂いだけを身につけて、本体は犬が持っていたというわけか」
「く……」
「そして、君は私の剣道を意外だといったね。私が箒を構えたとき、攻撃が届く位置でもないのに、君は反射的に身構えてしまった。相当に予想外だったのだろう。それに加えて、君が私を襲ったときにはこちらの変身道具にはなんの変化もなかった。となれば、君はすでに変身してここにいたか、変身した姿で私の後をつけていたということになる。だが……仮に私の正体を君が知っていると考えたら、剣道に対する動揺と、尾行の予想とが一本に繋がる」
「だからって……」
「三つめは、君の言動の矛盾だ。君は戦いが好きだというが、私の道具を奪うことに終始執着していた。そして先ほども、私に降参の機会を与えたね。あれはそのまま追撃するところだったと思うし、私としても、君にそのまま円柱を破壊してもらう位置取りをしていたんだが」
「……そんなの、後から都合がいいように解釈してるだけじゃないですか」
「偶然は三つ続けば必然だと考えていい。それに最後の四つめ――私の知り合いには、私の正体を知っていて、かつ、私が魔法少女の戦いをやめるのを望み……そして、ひどく動揺したときには、そうやって首にかかる髪を色っぽく払う人間がいるのでね。私が箒を捨てたときも、君はその癖をみせていたよ」
 ずぶ濡れになった天王寺は、首にまとわりつく髪を右手で払いのけようとしていた。
「油断していました。さすがは社長ですね」
「そちらの変身道具が香水かもしれないと考えたのは、私が今日君に魔法少女の話をしたとき、匂いという言葉になぜか天王寺くんが動揺をみせたからだよ。そこから諸々の気付きが一つに繋がったわけだ」
「……うかつでした」
「君が空手を習っていたのは、私も知らなかったがね」 
「高校までですよ。大した成績は残せませんでしたが、魔法少女の身体能力を借りればそれなりには」
「それなりね……」
 宗徳は青色吐息である。
 正体をあらわした天王寺は、いつもの調子で飄然としている。
 白いシャツが濡れて、身体に張りついていた。
 少女がビキニ姿であるよりも、よほどセクシーである。
「……あら?」
 天王寺は横をむいてなにかに気づく。
 犬の姿が消えていた。
 宗徳のアタッシュケースも、ない。
「うわ、まんまとやられちゃったね」
 近づいてきた猫がいう。
「……やられたな。魔法少女が負けたときは、犬はそのままトンズラしてしまえばいいというわけか」
「社長。言葉が古くさいです」
「宗徳、じじくさい」
 天王寺と猫がそろっていう。
「君たち……」
 宗徳は反論する気力もなくしてしまった。
 やれやれと思い、猫耳を取る。
 変身がとけたおかげで、身体の痛みも霧消した。
「だが、これで理由もできたね」
「理由ですか?」
「ああ。あの犬のことが気になる。魔法少女は続けさせてもらうよ。しばらくは、戦いよりもあの犬のことを探っていくことにする」
「ボクは構わないよ。とりあえず宗徳が魔法少女でいてくれるんだったら」
「私もお力添えしますよ。こうなった以上、われ存ぜぬではいられませんし」
 この秘書と猫、どこか似たもの同士である。
 宗徳はそう思いながら、煙草に火をつけた。
「しかし、水に濡れた天王寺くんの姿はいつにもまして色っぽいね。それに変身した少女の姿より、普段のほうが美しいよ」
 宗徳は天王寺に話しかける。
「社長も、そちらの姿のほうがカッコイイですよ」
 天王寺はにこりと笑った。
「まあ。とりあえずは……この公園を直してあげなければね」
 宗徳は壊れた水飲み場をみる。
「なんなら公園ごと買ってしまいましょうか?」
「もちろん、君の給料でね」
「う……」
 天王寺はたじろいで、シュンとした。
「冗談だよ。ここの水飲み場くらいなら、私の財産でなんとかなる」
「そうだね。宗徳って、お金の使い道に迷って超高級マンションに住んでいるくらいだもんね」
 足元で猫がいう。
 確かにそうだったので、数日で水飲み場は元通りになったのだった。
 


 時は変わって、宗徳の社長室。
 宗徳は社長机に向かい、天王寺はソファーに座って猫を膝にのせていた。
「ところで、この猫さんの名前はなんていうんですか?」
 天王寺は、ごきげんに猫を撫でながらいう。
「名前……?」
 宗徳は書類の処理をやめてつぶやく。
「そういえば、まだきいていなかったな。本人にきいてみるといい」
 この社長にはたまにこういったところがある。
 小事だと思うことには、頭がまわらないタイプなのだ。
「あなたの名前はなんですか?」
 天王寺は笑顔でたずねる。
 にゃあ、と猫はないた。
「だそうです、社長」
「ニアちゃんか。まあ、いいんじゃないか」
 どこか緊張感に欠けた三人である。
 天王寺は、たのしそうに猫のあごをかいていた。

 かくして――
 魔法少女大戦は、今日も続いていくのであった。

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