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アレグレットの絆

アレグレットの絆

 今から八十年前、この地域で戦争が起きた。
 戦争が終わってまもなく、一部ではこんな噂が流れていた。
 何も生まれなかった戦争にたった一つ産物があった。
 それは『死なない化け物』だと。
 ……その噂は信憑性がなく、時間の流れに埋もれていった。


 都市と呼ぶには閑散としていて、村と呼ぶには規模が大きいところ。この町、フォルテは首都と港町を繋ぐ線路のちょうど中間地点に位置している。
 人の集まる場所なので、町の大半を占めているのは商店街や住宅街。だが、それだけでなく、フォルテにはこの地域唯一の学校がある。遠くからくる学生は寮に入り、卒業するまでフォルテで過ごす。
 ドアの閉まりかけた汽車へ駆け込もうとしている少女も、フォルテから出ることなく過ごしていた生徒の一人である。
「わわわ、待ってー!」
 発車のベルが鳴り終わると同時に、少女は汽車へと飛び乗った。
 挟まれそうだったバックを引き寄せて、閉まり切ったドアに寄りかかる。
 そうしてから、盛大に安堵の息をついた。
「ふぅ……、ギリギリセーフ」
 少女の名前はマーチ。
 胸ぐらいまである黄土色の髪にファーでふちどった水色のケープと、その下に着ている制服が特徴的な少女だ。まだ幼さの残る顔立ちで、素直そうな澄んだ瞳をしている。
 マーチはショルダーバックを掛け直しながら、おもむろに車内を見回した。
「…………あれ?」
 こてんと、傾げられた首。
 車内はマーチ以外に人の気配がなかった。
 自分一人だけで心細く感じたマーチは、乗客を探すべく車内を歩き回り始めた。
 今マーチがいる車両には、誰もいない。
 本当に自分だけしかいないのかもしれないと、不安を覚えたマーチは、閑散としているこの車両から前へと移動することにした。
「あ……!」
 隣の車両に移動すると、他の乗客はすぐに発見出来た。
 すぐ近くのボックス席に、進行方向窓側の上座に一人の女性が座っていた。
 肩までかかる外ハネ気味の金髪に、白いロングマフラーを身につけている女性。窓枠に頬杖をついては、ぼんやりと窓の外を眺めている。
「ここ、座っても良いですか?」
「どうぞ」
 マーチは女性と対角の位置に座った。
 ガタンゴトンと汽車が走る音が響く。
 窓の外に広がる一面の自然。流れていく草原や街道、穏やかな流れの川。点々と建っている家は、そんな自然の雰囲気を壊さないレンガや木の造りをしている。
 ふと、マーチは向かい側に座る女性に視線を向ける。マーチより少しだけ年上に見える女性は、纏っている雰囲気のせいかとても大人びて見えた。
「……何?」
 突然、女性は怪訝そうに声をかけた。
 彼女は頬杖をついたまま、マーチに視線だけを返している。
「え……?」
「何か、用でもあるのか?」
「えっと……」
 見ていただけとは言えず、マーチは言い訳を探そうと言葉を濁す。
 そうして、いろいろと考えてみたけれど、結局何も思いつかない。
 仕方なく、ごまかすように別の言葉を続けた。
「あ、私。学生なんですよ! フォルテにある学校の」
「だから?」
 返事は間髪容れずに返ってきた。しかも、不機嫌さを露わにした声で。
 学生だからなんだ、とでも言いたげな女性の冷たい目線。それに、いたたまれなくなったマーチは、とっさに、思いついた言葉を口にしていた。
「私、マーチって言います。貴方の名前を教えてください!」
 ピタリと固まる空気。
 突然すぎる言葉に、女性の反応はワンテンポ遅れた。
「は?」
 返ってきたのは、たった一言。
 心底驚いているような、呆れているような、バカにしているようなその口調と目線。
 それらを一蹴したマーチは、そのまま身を乗り出して女性に詰め寄った。
「こうやって会ったのも何かの縁ですし、仲良くしましょうよ!」
「…………」
「名前、教えて下さいよ!」
「…………」
 ぐいぐいと距離をつめるマーチに、女性は顔をひきつらせる。
 返事を待ちながらも勢い良くまくし立てるマーチ。それでも無言でいる女性に、だんだんとその勢いは失われていった。
 もしかしたら、面倒なやつに絡まれたと思われているかもしれない。
 そう思ったマーチは、しょんぼりと自分が座っていた場所に戻った。
 そうしてから、最後の駄目もとだと言わんばかりに女性を見る。
「…………だめ、ですか?」
 どこか泣きそうな声で、首を傾げて問いかけたマーチ。
 女性は顔をひきつらせたまま、マーチからそっと目線を逸らす。
「……………………ロンド」
 そして、たっぷりと間をあけてから、しぶしぶと言った感じで告げた名前。
 直後、マーチは今まで落ち込んでいたのが嘘のように、表情を明るくした。
 そして、ロンドと名乗った女性に満面の笑みを向ける。
「ロンドさんですね、よろしくお願いします!」
 ずいとマーチは右手を突き出す。
 その手を眺めて、ロンドはあからさまに怪訝そうな表情になる。
「何?」
「自己紹介した後の握手は、マナーの基本ですよ」
「そんなマナー知るか」
 間髪容れずに一蹴するロンド。
 ため息をついて、ロンドはマーチから窓の外へと視線を逸らした。だが、それでもマーチは諦めずにずっと手を差し出している。
 しばらくこの不思議な状態が続き、汽車がトンネルへと入る。
 真っ暗になった窓に、いつまでも握手を求めているマーチの姿が反射する。
 諦めたのか、ロンドは自分の手を出して。
「呼び捨てで良い」
 言葉と共に、差し出された手を払う。
 ぱしんと乾いた音がした。
 驚いているマーチの目の前で、ロンドは頬杖をついて窓の方を向く。
「先に言っておくけど、仲良くするつもりなんかないから」
「えーっ!?」
 抗議の声を上げるマーチだが、当然のようにロンドはそれを無視した。
 それと同時に、汽車がトンネルを抜ける。
 窓の外には、雄大な川が現れた。今までの景色を草原や野原のようだとするのなら、トンネルを抜けた先は川原や河川敷のような水辺だった。
 無視されたことにめげず、マーチは改めて口を開いた。
「ロンドは、王都ダカーポへ何しに行くんですか?」
「はぁっ?」
「え?」
 聞き返された言葉に、聞いてはいけなかったのかと不安になるマーチ。
 まるで、何言ってんだこいつは、とでも言いたげなその言い方は、マーチの口数を減らすのに十分すぎるほどの効果を持っていた。
 本で読んだ、汽車で相席になった人に行き先を聞く、という行為がそんなに失礼にあたることだったなんて。と、マーチは一人目に見えて落ち込む。
 そんなマーチの心情がヒシヒシと雰囲気で伝わったらしく、ロンドはため息混じりに自身の髪を掻いた。
「あのな、この汽車は王都ダカーポじゃなくて、港町リタルダンドに行くんだけど」
「え……?」
 ロンドの言葉にマーチは、彼女へと目線を向けたまま固まる。
 そして。
「えぇぇっっ!?」
 思わずマーチは立ち上がっていた。
「うるさい」
「あ……。ご、ごめんなさいっ」
 一喝されたマーチは顔を赤くして静かに座った。
 ロンドは何も言わず、頬杖をついて窓の外を見ているまま。
 マーチが慌てて飛び乗った汽車が目的地とは逆方面だった。
 その、まさか過ぎる展開に、ショックよりも驚きの方が大きかった。
 マーチ自身、この列車が王都ダカーポ行きであると信じていて、港町リタルダンドに行くとは微塵も思っていなかったのだ。
 そして、驚きの後にヒシヒシと感じるのは、とてつもないショック感だった。確認すればわかることだったはずなのに、それに気付かなかったどころか、相席した人に指摘されて気付く始末。
 どうしようもない間違いをしたことにショックを受けたマーチ。
 その脳裏に過るのは卒業の二文字。


 マーチはフォルテにある学校の普通科に通う学生。ただし、本来なら去年卒業しているはずの留年一年生。彼女が通う普通科の場合、卒業する為にはレポートを提出しなければいけないのだけど、マーチは何を書けば良いのかわからず去年は卒業できなかったのだ。
 レポートを提出できなかった留年一年生はマーチだけではない。
 それが、マーチの友達のカノンである。
 ただし、卒業できないのは単位が足りないからという単純な理由。
「マーチってば去年の卒業レポートを白紙で出したんだってねー」
 そう言って笑ったカノンは、今年も卒業レポートを書けないかもしれない瀬戸際に立たされている。
「そんなに迷ってるならさ、卒業生に会ってきなよ!」
「え?」
「レポートの事を聞きに行くの。去年も何人かやってたみたいだし」
「そうなの?」
「そうそう。卒業生のほとんどはダカーポにいるみたいだし、会いに行ってくれば?」
 カノンの助け船に、マーチは迷いなく乗った。
「ありがとう、カノン! 私、ダカーポに行ってくるよ!」


 カノンに後押しされて、マーチは卒業生に会うことにしたのだ。
 だが、そのやる気も虚しく、逆方面の汽車に乗ってしまう始末。
「私、今年も卒業できないのかな……」
 悲しさしか含んでいない口調で、マーチはぽつりと呟いた。
 すでに一年ダブっているのだ。これ以上留年を重ねるのは、気分的にも状況的にも良くないのだと、マーチは十分理解している。
 深くため息をついたマーチは、ネガティブな気分を変えようと再度ロンドに話しかける。
「聞いて下さいよ! 私の通う学校、レポートを提出しないと卒業出来ないんですよ。テーマは自由に決めて良いとか、困りますよね」
「そうだね」
 ロンドはマーチと目を合わせることなく頷いた。機械的な棒読みだったけど、マーチは気付かずに続ける。
「友だちが、先生は助けてくれないから卒業生に助けてもらうと良いよ、って教えてくれたんですよ。それで、卒業生がたくさんいるダカーポに向かおうと思ったんですけど、気付いたらこの汽車に乗ってました……」
 あははと乾いた笑いを浮かべるマーチ。
 ロンドからのリアクションはなかったが、やはりマーチはそのことには全然気付かないまま、さらに言葉を続ける。
「卒業するためにレポートを書けとか言うくせに、先生は手伝ってくれないし。白紙で出したら、ちゃんとやれとか言って卒業させてくれないんですよ! 友だちは、レポートを書かせてもらえないかもしれない状況でも助けてくれたっていうのに……」
「てか、ダカーポに行かなくても良いんじゃないか?」
 ため息混じりに、ロンドはすばっと指摘する。
 だが、彼女の言葉の意味がわからず、マーチは首を傾げるだけだった。
 理解していない、と判断したロンドは面倒そうに、それでも言葉を続ける。
「フォルテにある学校って、レガートのことだろ。レガートにはいろんな所から人が集まるから、わざわざダカーポに行かなくても――」
「あーっ!?」
 彼女の言葉を遮って大声を出したマーチ。
 うるさい、とでも言いたげにロンドはマーチを睨むが、睨まれた本人は気付いていない。
 それどころか、とても嬉しそうにロンドの手を握る始末。
「ロンドも卒業生なんですね!」
「んなわけあるか」
 はっきりと、即座に言い切ったロンド。
 その返事にマーチは不思議そうな表情になる。
「じゃあ、なんで学校の名前を知ってるんですか? だってその名前は、学校にいた人じゃないと知らないのに……」
 この地域にたったひとつだけある学校。そこはマーチの言葉通り、その存在こそは有名だったとしても、学校の名前を知っているのは在学していた人だけ。
 学校がひとつしかないので、名前で区別する必要がないため、他者は知らないのだ。
「レガートを卒業した知り合いから聞いた」
「え?」
 あっさりと返ってきた答えに、マーチは逆に驚きで言葉を失った。
 その言葉の意味をマーチがしっかりと理解するまでのしばらくの間、ボックス席には変な沈黙が流れていた。
 時間にしておよそ一分。
 ようやく再稼動し始めたマーチは、おそるおそると問いかける。
「……そ、それじゃあ、卒業生じゃないんですか?」
「勝手に話を広げるな」
 はっきり言い切ったロンド。その答えは、卒業生ではない。
 自身の勝手な勘違いに、マーチはガクリと肩を落として落ち込んだ。
 再び沈黙が流れ、ボックス席が微妙な雰囲気に包まれた。
 謝るタイミングを逃してしまったマーチは、居心地悪そうに視線をいたるところに泳がせては、何か言葉を、雑談の話題を探している。
 そんなマーチに目もくれず、さらには我関せずと窓の外に視線を向けるロンド。
 その雰囲気を壊すように汽車は駅に着いた。
 そして、汽車が止まると同時にロンドは無言で立ち上がって、汽車を降りた。
「あ、待って……!」
 マーチは慌てて立ち上がり、ロンドを追いかけて汽車を降りた。
 さっさと歩くロンドの後ろを、少し距離を開けてついて行くマーチ。
 先程のことを謝ろうと思っているマーチは、この微妙な距離感と気まずさから、なかなか話しかけられずにいた。
 そんな彼女に気付いたロンドが、立ち止って振り返る。
「何?」
「あ、あのね! えっと、その……」
 ショルダーバックを握りしめて、マーチは謝ろうとするがなかなか言葉が出てこない。
 ロンドの視界の隅で、先程まで乗っていた汽車が去っていく。
 そしてそれと入れ替えに、反対側へ向かう汽車がやってきた。
「あの、その、えっとね……」
 言葉をつまらせながら、必死に伝えようとするマーチ。
 早く言ってくれないかと、ロンドはしらけた視線を送りながらも、律儀にマーチからの言葉を待っている。
 そうして、マーチは勢い良く頭を下げた。
「さっきはごめんなさい! 卒業生だと勘違いして迷惑かけて……」
「別に気にしてない」
 まだその話をしてるのか、と内心思うロンド。
 そして、視界の隅に映っている汽車を一瞥して、再びマーチへと視線と戻す。
「……ダカーポに行くつもりなんだろ? 汽車、もういないけど大丈夫なのか?」
 不思議そうに顔を上げたマーチ。
 きょとんとしているマーチに、ロンドは反対車線を示す。その先へと視線を向けたマーチが見たのは、ダカーポへ向かう汽車が去っていく姿。
「そんな……」
 がくりと肩を落として落ち込むマーチ。
 そんな姿にいたたまれなくなり、ロンドは励まそうとして。
「ま、まぁ、…………ごめん」
 結局そんなことしか言えなかった。
 困ったように視線を泳がせて、ロンドはすぐ近くにある時刻表を見た。次にダカーポ行の汽車がくるまで一時間以上ある。
 落ち込んだままのマーチを放っておけず、ロンドは困ったようにため息をついた。
「知り合いの卒業生で良ければ紹介する」
 ロンドなりのお詫びだった。
 彼女からの提案に、マーチは勢い良く顔を上げた。
「え……、いいの?」
 真っ直ぐロンドの目を見上げるマーチ。
 迷惑をかけてしまったというのに、その上、ロンドは自身のミスをフォローしてくれるとまで言うのだ。
「それで良いなら」
「全然大丈夫だよ。ありがとう!」
 そんな優しいロンドに対して、マーチはすごく好感を抱いていた。

        ♪

 フラットは、規模で言うなら村ぐらいの場所だ。
 豊かな自然に囲まれていて崖下の海に臨むこの村は、人で溢れる町や都市とは違い、穏やかな空気に包まれていた。レンガ街と花畑の風景が広がっているフラットには、遠くから吹いてくる風が自然の匂いを運んでくる。
 マーチとロンドが降りた場所は、そういうところだ。
 吹き抜けた風に懐かしそうに目を細めて、ロンドは商店街へと歩き出す。
 目の前に広がるたくさんの自然に目を輝かせながら、マーチはその背中を追いかけた。
 フラットの商店街は、都会のにぎやかさとは違う開放的な感じがあった。立ち並ぶ建物などに自然が混ざっているだけで雰囲気はがらりと変わる。
「わぁ……、すっごーい!」
 自然ばかりのフラットの商店街に圧倒されたマーチが、感嘆の声をもらした。
 商店街はそんなに広くなく、二人はすぐに開けた場所に出た。
 そこは商店街の中央にある広場。
 まばらにしか人がおらず、商店街の喧騒もどこか遠くに聞こえるところ。中心にある噴水を囲むようにベンチが四つ置いてあり、そこは商店街に訪れた人たちが休憩するような、憩いの場になっている。
 今は、噴水を挟んだ反対側のベンチに、赤銅色の髪を一つに結えた女性が座っているだけだった。他にも、ちらほらと、通行人の姿が見える。
 広場に足を踏み入れたと同時、突然、ピタリとロンドの足が止まった。
「紹介する卒業生の話だけど」
「……? うん」
 唐突な話題に、マーチは首を傾げながらも頷く。
 困った表情ままロンドは一度だけ広場を見回し、再びマーチへと視線を戻した。
「この先にあるカフェにいる」
 言いながらロンドが示したのは、噴水の向こうに見えるカフェ。
 ロンドが言葉を続けようとした、その直後。
 いくつかの叫び声が広場に響いた。
「え?」
 不思議そうにマーチは声のした方を振り返る。
 その視界の端で、何かが反射して光った。
「……!?」
 マーチがそれを刃物だと認識するその直前。
「っ」
 ロンドがマーチの腕を引いて、自身の背中に庇うように下がらせた。
 同時に、もう片手が太ももへと伸びる。
 二人の目の前に立っていたのは、刀を持ち、冷たい目線を向ける女性だった。赤銅色の髪に黒いコート。先程ベンチに座っていた女性だ。
 広場にいた人たちはとっくに逃げていて、商店街から遠巻きに眺めている。
「またあんたか……」
 忌々しそうに呟くロンド。
 面倒さと不機嫌さを露に、あからさまに表情を歪ませている。
 ロンドの背中からのぞき見て、マーチは首を傾げる。
「誰……?」
「アニマートのメヌエット。しつこい年増だよ」
 ロンドに年増と呼ばれた女性、メヌエットは表情を曇らせる。
「貴様に年増と言われたくはない。……まあ、良い」
 冷静な、それでいてどこまでも冷酷な目線が、ロンドを射抜く。
「いつも逃げてばかりだったが、今回はそうはいかなかったようだな。……連れがいるからか?」
「うるさい」
「ふん、どちらにしろ、好都合だ」
 言いながら、メヌエットは刀の切っ先をロンドに向けて。
「貴様には、ここで死んでもらおう!」
 高らかな宣言と同時に、ロンドとの距離を縮める。
「げ……」
 声と共にロンドは表情をひきつらせた。
 それでも、それと同時に斜めに振り下ろされるメヌエットの刀を、ロンドは素早く取り出した銃身で受け止めた。
 そして、その状態のまま、もう片手を銃口近くに添え、銃を安定させる。
「マーチ」
 刀を受け止める銃に力を込めながら、ロンドは自身の背中に声をかける。
「巻き添え喰らう前に逃げろ」
「でも……っ」
 こんな状況でも、マーチはロンドを置いて一人で逃げるなんて出来なかった。
 足手まといだったとしても、誰かを囮になど、出来るわけがない。
「ろ、ロンドも一緒に……!」
「状況を見て言え」
 必死になって言ったマーチの言葉を、一掃する。
 ロンド自身、こんな面倒事になる前に逃げたかったのだ。
 先ほどのメヌエットの言葉通り、マーチを連れているから下手に行動出来なかった。
 ロンドが告げた言葉に、メヌエットが笑う。
「余裕だな」
 刀に力を込めたまま、メヌエットはロンドを思い切り蹴り飛ばした。
 軽々と蹴飛ばされたロンドは、少し離れた地面に叩きつけられる。
「ロンドっ!?」
 青ざめたマーチが悲鳴に近い声を上げた。
 倒れたままロンドは、動く気配がない。
 攻撃が打撃だったからなのか、さいわい血が流れた様子はない。だが、怪我をしてないとは言い切れない。蹴られたこともそうだし、地面に叩きつけられたことだって、血が流れなくとも内側が傷を負っていない保障はない。
「呆気ないような気がするが……、……まあ良い」
 言いながらメヌエットは、倒れているロンドに近付いた。
 その直後、澄んだ声が広場に響く。
「止めてっっ!!」
 声を上げたのはマーチだった。彼女はロンドの前に立つと、両腕を広げる。
 どこか泣きそうな表情で、マーチはロンドを庇っていた。
「殺されたいのか?」
 冷たく問いかけるメヌエット。
 その声は、目はどこまでも冷酷で、おそらく部外者である一般人を殺すことに良心の呵責など感じたりはしない。
 その気になれば、マーチのことなど簡単に殺すだろう。
「ろ、ロンドを殺さないで……っ」
 震える声で、マーチはそれでもはっきりと言い返す。
 声だけじゃなく手も足も体も震えていたけれど、それでも、マーチはロンドを守ろうとしていた。
 自身が殺される可能性があったとしても、それでも、マーチはロンドを見捨てることなど出来なかった。
「ならば小娘。お前を先に殺すだけだ」
「……!?」
 振り上げられた刀に、マーチはぎゅっと目を閉じる。
 その一瞬、マーチは自身の死を覚悟した。
「――」
 空気を切って振り下ろされる刃。
 痛々しく肉が切れる音がした。鈍くて重い音がして、液体が飛び散る。
 音と共に襲うはずの苦痛はいつまで経ってもこない。恐怖が永遠に続くような感覚に、マーチはおそるおそる目を開けた。
 目を開けたマーチの視界に映ったのは、目の前に立っているロンドの背中。
 そして、一部が赤く汚れた白いロングマフラー。
「ロンド!?」
 自分の後ろで倒れていたはずのロンドが目の前にいるのか。
 状況を把握しきれないまま、マーチは血相を変えてロンドの腕に触れようとして。
「えっ? …………っ!?」
 ぬめっとした感覚に、思わずその手を引っ込めた。
 そして、自分の手を見て息をのむ。
 ついていたのは真っ赤な血。慌てて視線を向けたマーチは、ロンドの腕を流れる血を見た。視線を上げると、そこにあるのはざっくりと斬られた深い傷。
 ロンドが、マーチのために片腕を犠牲にしたのだった。
「逃げろって言っただろ」
 痛々しい傷口に、マーチは抗議も文句も何も言えなくなる。
 どんな状況であれ、ロンドが身を挺して庇ってくれたことに変わりはないのだ。
「ごめんなさ……、……え?」
 マーチの言葉の直後。斬られた袖からちらりと見える、腕につけられた金属のバンドが微かに光を放つ。
 少し傷付いたバンドが光ったと同時に、その下にあった深い切り傷が治っていた。
「……!」
 目の前で起きた現象にマーチは息をのんだ。
 驚いたのはマーチだけではない。
 遠巻きに見ている人たちも驚き、ざわざわとし始める。
「やはり、こうでなくては殺しがいがない!」
 ざわめきを掻き消すように声を上げて、メヌエットが斬りかかる。
 振り上げられた刀には、まだ真新しい血がついていた。
「ちっ」
「きゃっ」
 ロンドに突き飛ばされ、マーチは尻もちをつく。
 同時にロンドは振り降ろされる刀を、半歩下がって避けた。
 空振った刀は、勢いを殺すことなくそのまま真一文字の軌跡を描く。
「っの」
 大きく後退したロンドが銃を構えたのを確認し、メヌエットは懐から取り出した数本の小刀を一斉に放つ。無差別に投げられた小刀に、群衆から悲鳴が上がった。
「ちっ……」
 ロンドはメヌエットに向けていた銃口の標的を、小刀へと変える。
 その直後、放たれた小刀と同じ数だけの銃声が、広場に響いた。
 群衆に、マーチに、そしてロンドに向かって飛んでいた数本のナイフは、全て音を立てて地面に落ちる。
 広場に響く乾いた音を掻き消して、メヌエットはロンドとの距離をつめていた。
 斜めに振り上げられる刃を受け止めるように、銃身を刀に叩きつけて。
「くっそ」
 お返しだと言わんばかりに、ロンドは力を込めてメヌエットを蹴り飛ばした。
 相当の力で蹴り飛ばされ、軽々と吹っ飛ぶメヌエットの体。
 だが、メヌエットは受け身をとって素早く態勢を立て直した。そして、刀の持ち手を引き寄せながら、再びロンドに向かって飛び出す。
「なっ!?」
 一切のダメージを感じていないメヌエットに驚くロンド。だが、突くように飛び出してきた刀を反射的に避けると、そのまま距離をとるように駆けた。
 まるで逃げるように距離をあけて、それでも目線はずっとメヌエットを捉えたまま。
 ロンドはマーチの前に立つと、持っていた銃をメヌエットに向ける。
「……ここまでだ」
 誰に言うでもなく、はっきり言い切ったロンド。
 そして、小さく口を動かす。
「じゃあね、マーチ」
 紡がれた言葉に驚くマーチに視線を向けて、ロンドは微笑んだ。
 そして、メヌエットの上空に向けて放り投げられる銃。
 メヌエットの視線はロンドに向けられたままだったが、マーチも含めて見ていた人たちの目線はそれに向けられる。
 ほとんどの人の視線が銃へ向けられる中、その隙を見て、今度はロンドがメヌエットとの距離をつめた。
 一瞬でつめられた間合いに、メヌエットは驚きながら、反射的にロンドの、バンドをつけているその腕めがけて刀を振り上げようとした。
 下から襲い掛かってくる凶器に、ロンドは足が斬れるのを気にせず、そのまま刀を勢いよく踏みつけた。踏みつけられた刀が血で汚れる。
 痛みを無視したロンドが、放物線を描いて上から降ってきた銃を掴むと、銃口をメヌエットの額に当てた。
 広場から音が消えた。全員の注目がロンドとメヌエットに向けられる。
「甘かったな」
 言葉と共に小さく笑ったロンドは、銃身でメヌエットの頭を思い切り殴る。そして、よろめいたメヌエットの横を通り抜けて、そのまま商店街を駆けて行った。
「くそっ、逃げるな!」
 メヌエットは舌打ちしながらロンドを追いかける。
 突然のことに騒がしくなり混乱する人たち。
 そして、騒ぎを聞きつけてようやくやってきた自警団が、その鎮静に追われていた。
 マーチはただ、人混みにまぎれて見えなくなった金髪の後姿を、見つめていた。

         ♪

 呆然としているマーチの元へ、一人の女性が近付いてきた。
「大丈夫ですか?」
 穏やかな雰囲気のその女性は、身をかがめて優しい声でマーチに問いかけた。
 くり色の髪に、少し小柄な女性。落ち着いた色のエプロンをつけている。
 マーチが視線を向けると女性は優しく微笑んだ。
「……あ、あの……?」
 呆然としているまま、上手く言葉が出てこないマーチ。
 そんな様子のマーチに、このままここにいるよりも場所を移動させて落ち着かせた方が良いかもしれない。
 そう思った女性は、広場の向こうを示した。
「もしよかったら、私のお店にきますか? すぐそこなんです」
 女性が示したのは、噴水の向こうに見えるカフェ。
 そこは、メヌエットに襲われる前、ロンドに教えてもらったカフェ。
 マーチはふと思い出した言葉を口にする。
「あの……、もしかして、レガートの卒業生です……よね?」
「え、えぇ。そうですけど……。どうしてそれを?」
 マーチの言葉に、女性は不思議そうに首を傾げた。
「私、ロンドに教えてもらって、その……」
 言葉をつまらせたマーチ。
 その服がレガートの制服なのに気付き、女性は柔らかく微笑んだ。
「レガートの生徒なんですね。……はじめまして。私はポルカと言います」
「わ、私はマーチです」
 差し出したマーチの掌は、少しだけ擦りむけて血が滲んでいた。
 ポルカは慣れた手つきでエプロンのポケットからバンソコウを取り出すと、マーチの掌にある傷口に貼った。
 そうしてから、再びエプロンのポケットから取り出したタオルで、汚れているマーチの掌や指を拭いていく。
「ここで何があったのですか?」
 その言葉に、マーチの脳裏に先程のことが鮮明に過る。
 襲い掛かってきたメヌエット、マーチを庇って怪我をしたロンド。
 あの時触れた血の感触は、今でもはっきりと残っている。
 血相を変えて、マーチは立ち上がった。
「ロンドがっ!?」
「ロンドが……?」
 マーチの言葉にポルカは驚き、そっくりそのまま聞き返していた。
 だが、ポルカは、その一言で何があったのかなんとなく理解した。
 またロンドが、アニマートの人間に襲われたのだろう。
「このままじゃロンドが! 私、ロンドを追いかけないと……!」
 慌てて駆けだそうとするマーチを、ポルカがその腕を掴んで引き止めた。
 そして、ゆっくりと立ち上がる。
「彼女なら大丈夫ですよ」
「で、でも……!」
「大丈夫だと信じられないですか?」
 柔らかくも強い想いが込められた声。マーチは反論出来なかった。
「そんなこと……ないです」
 マーチは首を横に振った。
 ポルカのように、絶対的に信じられるわけではない。けれど、あの時メヌエットを相手に互角かそれ以上の立ち振る舞いを見せていたのだ。
 きっと、大丈夫であると、信じられる。
 まるで戦闘のプロであるかのような存在であったメヌエットのことを記憶から引っ張り出していたマーチ。ふと、ロンドがその名前と共に告げていた、アニマートという単語を思い出した。
「あの、アニマートって何ですか?」
「アニマートは、ダカーポで活動する武装集団のことですよ」
「なんでそんな人たちがロンドを……」
 ポルカは黙った。
 その少しだけ悲しそうな表情に、マーチは言葉が出なかった。
 でも、ここで目を逸らして、逃げてはいけない。何も知らないのなら、知らなくてはいけない。そんな使命感に駆られて、マーチはぎゅっとショルダーバックを握ると、再びポルカに問いかける。
「何で、そんな危険な人たちがロンドを襲うんですか?」
「……マーチさんには、関係ないことですよ」
「関係ないなんてことはないです。だって、私はロンドと友だちなんですから!」
「……!」
 マーチの言葉にポルカは驚いて目を見開き、そしてゆっくりと閉じた。
 しばらく間をあけてから、ポルカはマーチを見つめる。
「本当に、友だちなのですか?」
「はい。友だちです」
 ポルカは真っ直ぐマーチを見た。
 彼女のどこまでも真っ直ぐな瞳に、ポルカは困った表情になる。
 マーチの言葉が一方的なのだということを、ポルカは重々知っていた。ロンドは、一人で旅をするようになってから、誰とも関わりを持とうとはしないのだ。
 何もかもを拒絶するかのように、冷たい行動と言葉。
 それを受けて、それでもなおマーチは友だちだと言い切っている。
「……ロンドのことを友だちだと、そう思ってくれるのなら……」
 小さく呟いたポルカの意味深な言葉は、マーチには聞こえなかった。
 マーチは、ポルカならロンドのことを何か知っているかもしれないと確信に近い予想をしていた。ロンドが彼女のことを紹介するほどなのだから、それなりに交流もあるはず。
 ポルカなら……、そう思ったマーチは、迷わずに頭を下げる。
「お願いします、ポルカさん! 私、ロンドのことが知りたいんです!」
「…………わかりました」
 いろいろと考えたのだろう。
 たっぷりと間を空けてから、ポルカははっきりと頷く。
 そして、マーチの耳元で囁くように、周りには聞こえない程度の声で答える。
「アニマートがロンドを狙うのは、彼女がテヌートだからですよ」
「テヌート……?」
 聞いたことのない言葉にマーチは首を傾げる。
 アニマートといいテヌートといい、学校では教えてもらえない単語ばかりだ。
「フェルマータ戦争の時に活躍した人たちのことです」
「え……? そんな人たちの話、授業では聞いたことないですよ?」
「今は、テヌートがいた事実がなかったことになっているんですよ。……昔は名前だけなら記録にも残っていたのですけれどね」
 困ったような微笑みを浮かべるポルカ。
 なかったことになっている、など、それはあんまりではないだろうか。
 けれど、それが事実なのだ。
 もしかしたら、マーチは知らないままの方が幸せなのかもしれない。
 複雑な心境のまま、ポルカは話を戻すため、マーチよりも先に口を開く。
「フェルマータ戦争は知ってますよね?」
「はい。王都と港町の間全部を巻き込んだ戦争ですよね。確か、八十年前に起きて五年間も続いたって……」
「えぇ。もっと長引くかと思われたのですが、テヌートがその戦争を終わらせたのです」
 ポルカの説明に、マーチは言葉が出なかった。
 もっと長引くはずだった、など、冗談でも聞きたくない言葉だ。 
 ほんの少し、マーチは表情を曇らせた。
 それに気付いていながら、それでもポルカは言葉を続ける。
「……でも、テヌートは異端として、歴史から消されてしまいました」
 テヌートが戦争を終わらせたのなら、なんで歴史から消さなくてはいけなかったのか。
 事実の末端を知ったとしても、マーチにはわからないことが多すぎる。
「どうして? 何で異端って――」
 言いかけてマーチは止まった。
 マーチの脳裏にロンドの怪我が一瞬で治ったことが過る。
 異端と呼ばれる理由など、それしか考えつかない。
「怪我がすぐに治ったから……?」
「はい。その超回復力が、テヌートが異端と呼ばれる理由と言われています」
「で、でもロンドは……」
 マーチが言いかけた言葉は、途中で切れた。
 その続きを言い切れる自信が、マーチにはなかった。
 即座に怪我が治るなど、普通ではありえないことなのだ。それでも、普通だなんて、マーチには言い切れなかった。
 けれど。
「……人間です」
 ポルカは、あっさりと言葉を続けた。
「テヌートが身につけているアレグレットが、彼らを死なないようにしているだけです」
 だから、ロンドたちは普通なのだと、ポルカはそう言い切る。
 その言葉にマーチは、金属のバンドのことを思い出す。ロンドが着ていたジャケットの袖の、切れた部分からのぞいて見えたそれが光った瞬間、怪我が一瞬で治ったのだから間違いはないと思った。
「……マーチさんの質問の答えですが」
 続けられた言葉にマーチは、はっとしてポルカを見る。
「アニマートがテヌートを狙っているのは殺すためです。……アレグレットがなくなればテヌートは死にますから」
 告げられた答えに、マーチは驚いて目を見開いた。
 ロンドがマーチを庇った時に、少しだけ傷付いてしまったのを思い出した。もしかしたら壊れてしまうかもしれない。そう考えると不安が止まらなくて、マーチの胸が痛んだ。
 もしかしたら、マーチのせいでロンドが死んでしまうかもしれないのだ。
「私、ロンドに会ってきます!」
 マーチの脳裏に過るのは、ロンドが告げた別れの言葉。
 そのどこか寂しげな言葉と微笑みを、マーチは忘れられなかった。
 何か、どんな些細なことでもいいから、力になりたかった。
「ロンドに会ったら、また危険な目に遭うかもしれません。それをわかっていて、会いに行くのですか?」
「はい。それでも、会いに行きます」
 言い切ったマーチの言葉に、ポルカは不思議そうに首を傾げた。
「どうしてですか?」
 その問いかけにマーチは思い出す。
 ロンドが殺されると思ったら、その瞬間、自然と体が飛び出していた。死なないでほしいと強く思った。
 今だってマーチは、ロンドを一人にしてはいけないと、心のどこかでそう思っている。
「ロンドを守りたいから……」
 マーチの真っ直ぐな言葉に、ポルカは少しだけ切なそうな表情になる。
「マーチさん。ロンドはリタルダンドにいます。……町外れにある大きな木の所で待っていれば必ず会えますよ」
 ポルカは真っ直ぐマーチを見て、柔らかく微笑む。
「……ロンドに会ったら、思い切り言葉と気持ちをぶつけて下さい」
「はい! ポルカさん、ありがとうございます!」
 マーチは真っ直ぐ駅へと駆けて行った。

         ♪

 高低の差が激しくどこからでも海が見える港町リタルダンド。町中にある水路や噴水。そしてウォーターブルーの壁と、町全体が透明な水の様な雰囲気。常に吹いてくる海風は冷たく、町にいる人たちもあまり肌を出していなかった。
 マーチはロンドを探しに、このリタルダンドを訪れた。
 高波がきても問題ないように高台にある教会から、賑やかな港へと向かう道の脇。そこにひっそりと存在する、町外れへと続く今は使われていない旧街道。
 マーチは、ポルカの言った町外れの大きな木を探して、その道を進んだ。
 木漏れ日が眩しい旧街道は、緩やかな上り坂。
「あ……」
 滝の音が聞こえ、少し開けた場所に出た。
 奥にはリタルダンドへと流れる滝が見え、そしてその手前には大きな木がある。
 その手前に、大きな木を見上げる人がいた。金色の髪に白いロングマフラー。
「ロンド!」
 マーチが声を上げると、ロンドは振り返った。
 だけど、その目は決して友好的ではなかった。
「……っ。……わ、私!」
 ロンドの雰囲気に押し負けそうになりながらも、マーチは続ける。
「ポルカさんに話を聞いたよ! それで――」
「帰れ」
 マーチの言葉を遮って、ロンドははっきりと言い放つ。
 その言葉も態度も、拒絶の色しかない。
「何を聞いたか知らないけど、あんたには関係ない」
「か、関係ないって……!」
 ロンドの言葉に思わず声を上げて、マーチは一歩前に出た。
「関係なくないよ! だって、私とロンドは友だちだから――」
「バカじゃないの」
 マーチの言葉を最後まで聞かず、ロンドは一蹴した。
 とりつく島もない、そんなロンドの態度に、マーチの勢いが少し弱くなる。
 それが顕著に表れたのか、発せられた彼女の言葉はどこか弱々しいもの。
「……ロンドは、そう思わなかったの?」
「普通は思わないだろ、そんなこと」
 ロンドははっきりと否定した。
 それが当たり前のような、マーチの考えはおかしいとでも言うような、そんな言い方。
 マーチは表情を曇らせる。
「私は友だちだと思ってたけど、ロンドがそう思ってないなら……」
 思っていないならどうするのか、どうしたいのか。
 そんなのは決まっている。
 例えロンドにとりつく島がなかったとしても、この気持ちは変わらない。
 何しろ、先輩であるポルカが後押ししてくれたのだから、曲げる理由はない。
 はっきりと、マーチはその言葉を紡ぐ。
「私はロンドと友だちになりたい!」
 それに対するロンドの返事はたった一言。
「迷惑だ」
 わかりやすい拒絶だった。
 真っ直ぐ見つめるマーチから目を逸らして、ロンドは小さく呟く。
「わたしは、……一人で良いんだ」
 切なそうに紡がれた、その哀しい言葉。
 それを聞いたマーチは、考えるよりも先に動いていた。
 思わず、ロンドに掴みかかったのだ。
「そんなこと言わないでよ!」
「っ、うるさい!」
 ロンドはマーチを振り払うと、その勢いのまま突き飛ばす。
「あんたに何がわかるのさ!」
「わからないよ! ロンドが話してくれなきゃ、何もわからないよ!」
 ロンドの言葉に、反射的にマーチは言い返していた。
 まるで、子供のケンカだった。
 むすっとしながらも、目を逸らすことなくロンドを見つめるマーチ。
 その真っ直ぐな瞳を睨み返し、ロンドは小さく息を吐く。
 彼女は、一瞬でクールダウンしていた。
「……一人になった奴の気持ちが、あんたにわかるのかよ?」
 ロンドは、淡々とそれでも冷たくマーチに問いかけた。
「どんなに大切な人だって、自分を置いていなくなるんだよ。とても近くにいるのに心を近くに感じるのに」
 ロンドは一瞬だけ寂しそうな表情を見せた。
「一人でいることはとても寂しくて、置いていかれることは何よりも辛い」
 それは、マーチに言った言葉だが、彼女に向けられたものではない。
 もっと他の誰か、ここにいない人物に向けられている。
 おそらくその人物が、ロンドを置いていなくなった張本人なのだろう。
 置いていかれて辛かったから、だから一人でいたいのだと、それがロンドの気持ち。
「…………ロンドは怖がりなんだね」
 ぽつりとマーチは呟く。
 ロンドがその気持ちをぶつけてくれたのなら、次はマーチがぶつける番。
「置いていかれるのは寂しくて辛いから、誰とも仲良くしない。失いたくないから友だちを作らない、残されたくないから一人でいる」
「だから――」
「だから、ロンドはいつまで経っても一人で怖がっているんだよ」
 ロンドの言葉を遮って、マーチははっきりと言う。
「傷付くのが怖いからって失うのが嫌だからって、前に進まなかったらいつまでも苦しいに決まってる。それを乗り越えなきゃ!」
 自分の言葉が押しつけだということをマーチは知っていたし、理解している。
 それでも、誰かとの繋がりを拒絶するロンドが実は誰よりも寂しいのだ。
 さっき見た寂しそうな表情が、マーチの頭から離れない。
 傷付いていると思ったから、マーチはロンドを助けたかったのだ。
「確かに、どんなに大切でもいつかはなくなっちゃうよ。でも、だからって全部を拒絶する必要はないよ!」
 一瞬、マーチを睨んでいたロンドの目が、揺れた気がした。
 気持ちが伝わっていると、マーチは確かな手応えを感じる。
「失いたくない気持ちはわかるよ。でも、永遠じゃないんだから、なくなったら新しく見つければ良いんだよ。……そうやって前に進まないと、置いてかれちゃうんだよ!」
「……っ」
「心が生きているなら時間は止まっていない。ロンド自身が立ち止まってるだけ」
「うるさいっ!」
 一言、声を荒げたロンド。
 いつのまにかに手に持っていた銃が、マーチに向けられていた。
 向けられた真っ黒な銃口は、何よりも恐怖を煽る。
「…………っ」
 恐怖で揺れる目を向けるマーチに、ロンドは吠えるように叫ぶ。
「わたしの時間はあの時から止まってるんだよ!」
 言葉が終わったと同時に、銃声が響く。
 その大きな音に、木に止まっていた鳥が一斉に飛んで行った。
 続けて、マーチの悲鳴に近い声が響く。
「ロンド!?」
 その銃は、彼女の肩に押し当てられていた。
 痛みで表情を歪めたまま、ロンドは銃口を肩から離した。
 銃弾は見事にロンドの肩を貫通していた。とめどなく血が流れ、地面には血だまりが出来ていた。
「あ……」
 切れたままの袖からちらりと見える装飾品、アレグレットが微かに光を放った。
 その瞬間、ロンドの肩が再生を始めた。
 内側から溢れた血が切れた血管を繋げ、同時に神経や肉が穴を塞ぐかの勢いでくっついていく。そして最後に、蓋を閉めるように皮フが現れた。
 改めて目の当たりにした、怪我が治る瞬間。
 それはまるで一週間かかるものを数秒に早送りしたかのような光景だった。
「あんたは何もわかってない。立ち止まってるんじゃない。前に進めないんだよ」
 ロンドの肩は、何事もなかったかのように完治した。
 ふっと自嘲気味に笑うロンド。その表情は、少しだけ憂いを帯びていた。
 その怪我は、早送りなどされていない。
 今、マーチの目の前で、怪我をした直後に、ほんの数秒で治ったのだ。
「……っ!?」
 マーチはぎゅっと自分の手を握り締めた。
 ロンドの肩が治った事実に、異端の意味が今更になってマーチにのしかかる。
 ポルカは人間だと言い切ったけど、マーチにはそう思えなかった。
 恐怖だけがマーチの頭の中を支配していた。
「テヌートは怪我をしてもすぐに再生する。死なないんじゃなくて、死ねないんだ」
「え……」
「……何だったら、腕を落そうか? すぐに生えてくる」
 ロンドはそう言いながら、銃を自分の腕に突きつける。
「そそそ、そんなっ!? いいよ、そんなことしなくて!」
「本当に落とすわけないだろ。再生はするけど、痛いことには変わりないんだから」
 銃を下ろしながらロンドが言った言葉。
 治ったとしても怪我をすれば痛い。
 それは、人間として当たり前の感覚だった。
「痛くても辛くても死ぬことを許されない。……アレグレットが、いつまでも体を生かし続けるんだ」
 切なそうに哀しそうに、ほんの少しだけロンドの表情が歪んだ。
「……!」
 マーチは頭を殴られたような気がして、奥歯を噛みしめた。
 傷付いている友だちを助けたいと思ったのに、その友だちを怖いと思ったのだ。それでは、助けるどころか逆に傷付ける形になってしまう。
 最低なことを思った自分に嫌悪を抱きながら、それでもマーチは声を上げる。
「だ、だけど私は! それでもロンドと友だちになりたい」
 マーチの言葉に、ロンドは微かに表情を曇らせる。
 その目には、疑いの気持ちしかなかった。
「でも、怖いと思っただろ?」
「……っ」
 ロンドの言葉は図星で。
 だけど、マーチはすぐに次の言葉をロンドに向ける。
 確かに怖いと思ったけれど、それ以上にマーチはロンドと友だちになりたいのだ。
「ロンドは自分がテヌートだってことを言い訳にしてるだけだよ。だって――」
「迷惑だって言ってるだろ」
 告げられていた言葉を遮る。
 マーチを睨みながらロンドは、嘆きの声で叩きつけるように叫ぶ。
 それは、ずっと心の奥底に閉じ込めていた彼女の痛み。
「ずっと一緒にいるって言ってたのに勝手にいなくなって! 残されるぐらいなら、最初からそんなのいらないんだよっ!」
 涙は流れてなんかいないのに、マーチはロンドが泣いているような気がした。
 言葉はマーチに向けられていたけれど、その想いはマーチではない別の誰かに向けられていて。……胸が、痛くなった。
「寂しいから仲良くなるとか、どんな人とでも仲良くなれるとか、そんな綺麗事は聞き飽きたんだよ!」
 ロンドはぎゅっと銃を握りしめる。
「口先だけの言葉なんて今までたくさん聞いてきた。長い間ずっとそれを見てたんだ。……どんなに想ってても、時間がその気持ちを薄れさせるんだよ」
「っ、どうして!?」
 マーチは声を上げた。
 何度聞かされても、どれだけ説明されても、一人でいたがるロンドの気持ちが、マーチには理解できなかった。
 誰だって一人ぼっちは寂しいものなのだ。
 ロンド自身だって、一人は寂しいと言っていた。
 長い間見ていたとは言っても、寂しいことに変わりはないはずなのに。
「どうしてそんなことばかり言うの? ロンドにだって、大切な人がいたんでしょ?」
「…………」
「大切だった人を想うのは悪いことじゃないけど、いつまでもそこで止まってたらダメだよ。……その人はもういないけど、ロンドは今ここにいるんだから」
 マーチの言葉にロンドは、そっと目を閉じる。
 そうして記憶を辿れば、まだ、彼が名前を呼んでいるような気がするのだ。
 彼の言葉を、思い出す。
 そして、大切な人を想いながらロンドは口を開く。
「……いる」
「え?」
「あいつはまだいる」
 はっきりとロンドは言い切った。
 その表情は哀しそうだけど、目はどこか安心感を宿していた。
「あいつ……?」
「わたしの大切な人」
「え、それじゃあ……?」
 意味がわからないと首を傾げるマーチに、ロンドは黙って木の陰を示す。
 示された先には誰かがいるような気がした。
 その感覚がなんなのか確認しようと、マーチは木の後ろへと回る。
「あ……」
 そこには銀髪の青年、ワルツが目を閉じて座っていた。
 激しく戦った後なのか服は所々切れていた。特に大きく切られている袖からは、二の腕に付けられている金属のバンドがはっきりと見えた。青く透明な色がバンド自体を巡っていて、中心には色褪せて砕けた宝石が埋め込まれていた。
 服や装飾品はボロボロなのに、肌には傷一つなかった。
 その表情はまるで眠っているように、穏やか。
「生きてるの……?」
「死んでる」
「じゃ、じゃあ埋めてあげなきゃ――」
「生き埋めにする気か?」
 マーチには、ロンドの言葉の意味がわからなかった。
 死んでいるのに生き埋めなど、矛盾している。
 その意味が知りたくて、マーチは視線をワルツからロンドへと向ける。
「なんで? だって死んでるなら……」
 マーチの言葉を遮るように、ロンドは自分の腕を示す。
 ワルツのそれと同じように袖の切れている部分からは、お揃いのバンドをつけている腕が見えた。
「これがある限り死なないんだ」
 これと言われ、マーチは宝石が埋め込まれているそのバンドこそが、アレグレットと呼ばれるものだと理解した。ワルツのアレグレットと違い、ロンドのアレグレットはバンドも宝石も青く透明だった。
 その青く透明な装飾品こそが、アレグレットと呼ばれる物。
「体は朽ちることも老いることもなく生き続ける。……心がそこにないから死んでるのと同じようなものだけど」
 淡々と言うロンドだが、その表情はどこか哀しそうだった。
 それにつられるように、マーチは、寂しそうな悲しそうな表情になる。
「アニマートに殺されちゃったんだ……」
「違う。……わたしが見殺しにしたんだ」
 マーチが呟いた言葉を、ロンドはきっぱり否定した。
「自分が生きるために大切な人を犠牲にした。……最低な奴だよ」
「そっ、そんなことない。私を助けてくれたじゃない。ロンドは優しい人だよ!」
「優しくなんてない。誰かを守った分たくさんの人を殺した」
「……それでも」
 小さく、震える声でマーチが呟く。
「それでも、ロンドは守っていたんでしょ?」
「え?」
「さっき言ってた。守った分殺したって。……なら、たくさん殺した分たくさん守ったってことでしょ」
「……!」
 マーチの言葉に驚くロンド。
 見開かれていた瞳がゆっくりと閉じられる。
 目を閉じれば、まだ、彼が名前を呼ぶ声が聞こえる――気がした。


 ロンドは戦う為に育てられ、戦争が始まると兵士として生きていた。
 それは、年頃の女の子が生き抜くには辛くて過酷だった。けれど。
「大丈夫だって。命を狙ってくるやつからも寂しさや辛さからも、俺がロンドを守ってやる。……約束するよ。俺がずっとロンドを守るって!」
 ロンドは一人じゃなかった。いつも彼女の隣には幼馴染みのワルツがいた。
 それは、二人が物心ついたころからそうで、兵士として育てられ戦いながら生きていた間、ずっと変わらなかった。
 それだけが、変わらなかった。
 もちろん、その関係は、二人がテヌートになったとしても同じ。
「自分は死ねないなんてバカみたい。生きるためにたくさん殺しておいて」
「なぁロンド。俺、ふと思ったんだけどさ、今まで殺した分たくさんの人を守ればプラマイゼロなんじゃね? 気分的にだけど」
 ワルツはいつものように。得意げな笑みを浮かべる。
 キラキラしているワルツの笑顔は、いつもロンドの心を照らしていた。まるで太陽みたいなその存在は、ロンドには眩しかった。
「罪滅ぼしついでに、たくさんの人を助けようぜ!」
「そんなに出来るかよ」
「出来るって。何せ俺達の時間は無限だからな」
「ばーか」
 ワルツの明るく前向きな言葉に、いつもロンドは救われていた。憧れの感情も感謝の気持ちも、一度も言葉にしなかったけど。
 そして今から五年前。
 アニマートが戦争の後始末として、自分たちが生み出した化け物の殲滅を始めた。
 ――それはテヌート狩りと呼ばれた。
「良いか、ロンド。よく聞けよ」
 その時、二人はアニマートから逃げるために、リタルダントに向かって森を走っていた。
「このままじゃ、俺もおまえも殺される。……でも、ロンドは絶対に殺させない」
 続けられた言葉に、ロンドは何も言えなかった。
 ただ、立ち止ったワルツを置いて、ロンドはリタルダンドへ逃げて行ったのだ。
「大丈夫。俺、約束は守るから」


 ロンドは小さく首を横に振った。
 そして、おもむろに言葉を漏らす。
「わたしは、守れなかった」
 後悔と自責を含んだ声で、ロンドは小さく呟く。
「だから、あいつが死んだのはわたしのせい。……きっと、あいつはわたしを恨んでる」
 その言葉に、悲しそうな表情に、マーチはちらりとワルツに視線を向ける。
 穏やかな表情のワルツがロンドを恨んでいるようには思えなかった。むしろ、その表情は満足しているような気さえする。
 マーチのその考えが、正解かどうかはわからない。けれど、なんとなく、マーチはワルツが考えていること、思っていたことがわかるような、……そんな気がした。
「そんなことないよ。……ロンドを守れたんだもん」
 だからマーチは、はっきりと否定できた。
 その迷いのない言い方に、ロンドはきょとんと首を傾げる。
「ロンドが想ってるのと同じ分、この人もロンドのことを想ってくれてるよ。一緒にいなくても、想いは繋がってる」
 にこりと笑ったマーチ。
 その笑顔は、ロンドの瞼の裏に焼き付いて消えないワルツの笑顔ととても似ていた。
 ロンドの脳裏にワルツの言葉が過る。
『命を狙ってくるやつからも寂しさや辛さからも、俺がロンドを守ってやる』
「……っ」
 突然、ロンドが膝から崩れ落ちた。
 ガシャンと銃が地面に叩きつけられる。
「ロンド!?」
 マーチは驚いてロンドに駆け寄り、その顔をのぞき込む。
 呆然としたロンドの頬を一筋の涙が伝った。
 その表情は徐々に悲しそうに歪んでいく。
「約束を守れなかったのは、わたしだったんだ……っ」
 ぎゅっと拳を握りしめ、その蒼い目からは止まることなく涙が溢れている。ロンドは涙を拭おうともせず、小さく嗚咽を零した。
 マーチはロンドの目線に合わせてしゃがむ。
 そして、柔らかい眼差しを向けて、ロンドの頭に優しく手を置いた。
 ポンポンと、優しく撫でるように動かされる手。
「自分を責めないで」
 諭すような優しい声でマーチが言った。
「ロンドは優しいから全部守ろうと思ったんだよね。守ろうとし過ぎて、本当に大切なものがわからなくなっちゃったんだよね」
「……!」
「わからなくて見失ったなら、探せば良いんだよ。……見つけたら、今度はなくさないように守ろうよ」
 ふわりと微笑むマーチ。その笑顔は心を明るく照らす太陽のようだった。
 涙を拭ったロンドは照れ隠しのように、浮かんだ疑問を口にする。
「何で、そこまで構うんだよ」
 問いかけられた言葉にマーチは不思議そうな表情をする。
 何で当たり前のことを聞くんだろうと、そんな表情のまま、マーチは口を開く。
「だって、友だちでしょ?」
「友だちになった覚えはない」
「じゃあ、友だちになろうよ!」
 言いながら立ち上がったマーチは、笑顔で手を差し出す。
 驚いた表情をしたロンドは、ふいとマーチから目線を逸らした。
「何でそうなるんだよ……」
 不満と文句が込められたような声でロンドは呟く。
 それでも、差し出されたマーチの手を、少しだけ躊躇いながらも握り返した。
 握り返したロンドのその手は、異様に冷たい。
 だけど、そのことにマーチが驚くよりも先に、ロンドは手を離して立ち上がる。
「友だちにはならないけど、……友だち候補ぐらいなら考えておく」
 言いながら得意げな笑みを浮かべるロンド。その笑顔は、太陽の光を受けて輝く月のように綺麗だった。
 初めて見たロンドの笑顔にマーチは嬉しくなって表情を緩ませた。
 そんなマーチに気付かず、ロンドは銃を拾いながら問いかける。
「そういえば。ポルカの話は役に立ったか?」
 その言葉に、マーチはすっかり忘れていたレポートのことを思い出した。
「あっ……!」
 冷や汗を流し、みるみる青ざめるマーチ。
 それを見て、呆れたようにロンドは小さくため息をついた。
「あんなの、適当にそれっぽいことを書けば良いだろ」
「え……?」
 アドバイスをくれるのなら、最初から言ってくれればいいのにとマーチは脱力した。
 そして、恨みがましくロンドを睨む。
「変に小難しいこと書くよりも、思ったことを書いた方が楽だろ。……あいつがポルカに言ってたことだけど」
 ロンドは、三十年くらい前、マーチと同じことを同じように悩んでいたポルカを思い出していた。ロンドの言葉はその時ワルツが得意げに教えた言葉だ。
 そのアドバイスに、マーチはごちゃごちゃしていた考えを一端全て流す。
 流して何もなくなった頭の中で、たったひとつだけ残った思い。
 学校生活の中で学んだもので、最も伝えたいと思ったのはそれだけだった。
「ありがとう、ロンドっ! おかげで今年こそ卒業出来るよーっ」
 責めることを忘れて、満面の笑みを浮かべるマーチ。
 そんなマーチに、ロンドはどこか疲れ切った苦笑いを返す。
「よし、それじゃあ学校に帰って、さっそく書こうっと!」
 声を弾ませて、ご機嫌を露に手を叩く。
 そして、ウキウキと歩き出したマーチは、リタルダンドと逆の方向へと進んで行く。
「…………フォルテまで送る」

         ♪

 フォルテに向かう汽車の中。
 がらんとしている車内は静寂に包まれていた。
 ボックス席で斜め向かい合うように座っている二人も、何も喋らない。
 汽車がフラットを過ぎた頃、マーチが口を開いた。
「あのさ……、ポルカさんってロンドの母親なの?」
「は?」
 反射的に聞き返して、それからロンドは、マーチが何を聞きたいのかを理解した。
 年老いていくポルカと、老いることのないロンド。
 現在の容姿は確かに、ロンドよりもポルカの方が年上に見える。
 これが、アレグレットの効果なのだ。テヌートは、老いることもない。
 内心、ロンドは自嘲気味な笑みを浮かべる。
「いや、母親じゃない。わたしもポルカも孤児だけど、血は繋がってない」
「そっか……」
 あっさりと告げられた孤児という言葉。
 その言葉は、二人とも戦争の被害者であるという証拠である。
 これ以上聞いてはいけないような気がして、マーチは頷くだけだった。
「…………」
 窓の外を見ながら、ロンドは思い出していた。
 初めて出会った時のポルカはまだ幼い子供で、ほとんど成り行きで彼女が学生になるまで面倒を見るはめになったことを。
 まるでカルガモの子どもように、ポルカはロンドの後をついてきていた。
 苦笑い気味に、ロンドは呟く。
「どちらかと言えば、わたしが母親みたいなもんだな……」
「え、何?」
 その呟きが良く聞こえず、マーチは不思議そうに聞き返した。
 期待を込めて返事を待っているマーチに、ロンドは小さくため息をつく。
「何でもない」
 ほんの少しだけ強い口調で、マーチの期待を一掃する。
 むぅ、とマーチは頬を膨らませた。
「えー、何それ。すごく気になるー」
「……それより、レポートは何を書くことにしたんだ?」
 ロンドは話を逸らすため、別の話題を引っ張ってくる。
 その言葉に、マーチはピタリと固まる。
「え、レポート? それならね、繋がりについて書こうと思ってるよ」
 どこか自信満々な口調で返ってきた答え。
 素直な返事にロンドは、可哀相なものを見る目をマーチに向ける。
 そんな視線に気付くことなく、マーチはにこにこと微笑みを浮べていた。
 小さく、それでもあからさまにため息をつくロンド。
「そんな現実味のないもので卒業出来ると思えないけど……、大丈夫なのか?」
 バカにしたような言葉。
「……っ!」
 どこか泣きそうな表情で、マーチは盛大に立ち上がった。
 そして、そのままの勢いで声を上げる。
「ロンドが何でも良いって言ったんだよ!?」
「ポルカはもっと現実的なことを書いてた」
「何を書いたの?」
「景気と繁盛の話」
「……………………え?」
 予想外の、あまりにも現実的すぎるポルカのテーマ。
 ガクリと脱力したマーチは、そのままゆっくりと座り込んだ。
 その一連の動きを見届けてから、ロンドは視線を窓の外に戻す。
「……まぁ、現実味のない方があんたらしくて良いと思うけど」
 直後に響く汽笛の音。
 あまりにも小さかったその言葉は、マーチの耳に届く前に汽笛にまぎれて消えた。
 ――それからしばらくして。
 窓の外に広がる風景が、徐々に変わっていく。
 辺り一面の緑に点々と増える建造物、そして灰色の町になった。
 それと同時に汽車の動きは、ホームが見えてくると徐々に遅くなり、フォルテの駅に入り切ったタイミングで完全に止まった。
 蒸気を吐き出すような音を立てて、汽車のドアが開く。
「ほら、着いたよ」
 ロンドが静かにそう言った。
 そして、マーチが立ち上がったと同時に、次の言葉を告げる。
「じゃあね」
「……うん」
 こくりと、マーチは頷く。
 他にも言いたいことはたくさんあるはずなのに、何ひとつ言葉にならない。
 何か伝えたいと、マーチは言葉を探す。
 考えに考えた結果、伝えたい思いはひとつだけだった。
「いろいろありがとう、ロンド。それじゃあね!」
 それは、マーチの心からの感謝の気持ち。
 笑顔で手を振って、マーチはそのまま振り返ることなくホームに降りた。
 離れていたのは少しだけのはずなのに、とても久しぶりに帰ってきたような気がする。
 それほど、マーチがロンドと過ごした時間は濃密だったのだ。
「…………」
 発車するまでの、ほんの少しの時間。
 どうしようかと迷ったのはちょっとだけ。マーチは窓から見えるロンドへと近付く。
 そして、その窓をコンコンと叩く。
 心底鬱陶しそうな表情で、ロンドは窓の外――マーチへと視線を向けた。
「ロンド!」
 マーチが弾んだ声をかければ、ロンドはかなり面倒そうにふいと目線を逸らした。それでも……数秒してから、彼女はちゃんと窓を開けたのだった。
 マーチはにこりと笑顔を向ける。
「ねぇあのさ、ロンド」
「……何?」
「また、……会えるよね?」
「知らない」
 考える暇も、ほんの少しの間すらなく返ってきた、はっきりとした答え。
 間髪を容れない返事を寂しく思い、マーチは少しだけ表情を曇らせた。けれど、ぽつりと浮かんだ言葉にその表情は明るくなる。
 そして、マーチは笑顔で、思った言葉を素直に口にする。
「じゃあ、約束をしよう」
「は?」
「またいつか会おう、って。……ね?」
「バカだよね、あんたって」
 心底呆れたロンドの言葉に続くように、発車を告げるベルの音が響く。
 汽車のドアが、ゆっくりと閉まった。
 そして、発車しようとする汽車に合わせて、窓を閉めようとするロンド。
 窓が閉まる直前、ロンドはちらりとマーチの瞳を見つめた。
 そして、言葉を続ける。
「でも……良いよ、約束しても」
 マーチの目の前で窓が閉まった。
 徐々に動き始める汽車は、ゆっくりと、それでも確かにホームから離れて行く。
 マーチは、遠ざかっていくロンドに聞こえるようにと声を張り上げる。
「約束だからね!」


         ♪♪


 それから数ヶ月が経った。
 無事に卒業できたマーチは、その先の進路は迷わなかった。
 それは、困っている人を助けるためのボランティア、だ。
 ある程度数もこなし、その生活にも慣れてきた頃。
 次の活動場所へと行くために、マーチは汽車に乗った。
 リタルダンドへと向かって。


 どこか懐かしさを感じる、人の気配がない車内。
 誰かいないかと見回していたマーチは、ボックス席に人影を見つける。
 躊躇いはほんの少しで、すぐにその向かい側に座ろうと決めた。
 そちらへと近付いて、マーチは声をかける。
「ここ、座っても良いですか?」
 そこにいたのは金髪の女性。
 窓枠に肘をついて、頬杖をつきながらぼんやりと窓の外を眺めている。
 その姿は大切な友だちの姿にとても似ていて、マーチは驚きで固まった。
「……どうぞ」
 怪訝そうな表情を向けたのは、勘違いなんかではなく、やはり、彼女だった。
「ロンド!? 嬉しいっ、また会えた!!」
 嬉しそうに弾む声。
 マーチはいそいそとロンドの前に座った。
「久しぶりだねっ」
 ご機嫌なマーチと対照的に、ロンドは何のリアクションも返さない。
 ただ、それでも彼女の瞳は真っ直ぐマーチを見据えていた。
「……約束」
 ぽつりと、ロンドが言葉を紡いだ。
「マーチとの約束、果たせて良かった」
 言葉と共に小さく微笑むロンド。
 約束。
 その言葉がくすぐったくて、マーチはにへらと笑みを返した。
「あの時、もう会えないんじゃないかなって気がしてたんだ」
 そう言って、マーチは自分の言葉が失言だったのではないかと気付く。
 また何かキツイ言葉が飛んでくるかも、とマーチはぎゅっと身構えてロンドからの言葉を待ち構える。
 ガタンガタンと音が聞こえる中、マーチはロンドの言葉を待つ。
「…………ロンド?」
 一向に黙ったままのロンドに、マーチは不安そうな目を向けた。
 今の彼女は例えるなら、とても眠たそうにしている、のだ。
 薄い反応と、気力のない雰囲気が、その様子を強調させている。
 彼女の表情は見えない。
「ねぇ、ロンド……?」
 再び問いかけるマーチ。
 けれど、ロンドからは何のリアクションも返事もない。
 どうしたのかとロンドの顔をのぞき込めば、彼女のその青い瞳は閉じられている。
 良く見れば、ボロボロの格好で、肌にもかすり傷が目立って見えていた。
「ずっと頑張ってたんだね、ロンド。無理しないで、もう休んで良いよ。もうロンドは一人じゃないから……」
 マーチは柔らかく微笑む。
 目を閉じているロンドの表情は、とても穏やかだった。
「おやすみなさい」

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