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コロンナ33遅き午餐

コロンナ33遅き午餐

 よく晴れた昼下がり、単騎、丘をのぼってゆく影は、若い乙女であった。馬上、黄金の髪は風になびき、衣服から出た手足は透けるように白い。細身の体は、まだ少女の姿をとどめているが、額に輝くティアラと、腰に佩いた宝剣、そして身にまとう張りつめた空気は、ただの娘のものではなかった。
 たどり着いた丘の頂上からは、はるかに四方が見渡せた。集落を囲む濃緑の大海原。一族の来たりし南からは、ひとすじの開削のあとが続いているが、北へ目を転じれば、そこはまるまるが未踏の地平である。
 その北へ向かって、フードを頭から被った老人が、三脚に据えた測距儀の照門を覗いていた。
 身近で蹄の音が止まるのを聞いても、しばらく未練げに腰を屈めていたが、やがて、
「姫さん、来る頃と思うていただよ」
 フードを取って振り返ったその顔は、見る者を後ずさりさせる異形のものだった。さらに注意深く全身を眺めれば、右脚が義足であることにも気付かされる。

 書簡のやり取りはあっても、向き合うのは二年ぶりだった。即位の礼を経たフェリスタの身は、もはや姫ではない。それを示す宝冠と剣が、目に入らぬはずもない。
 それでも老人が呼称を改めないのは、その一党とともに式典に参列しなかった立場を受けてのことだろうが、それだけでもないと思える。その隻眼にやどる光は、過ぎた日々を懐かしむかのように柔らかかった。
「あの悪ガキが、ようもまあ立派に。亡き母御に、生き写しだで」
「痛み入ります。先生は、お変わりなく」
 普通の挨拶だったが、ここで老人は唇を歪めた。
「皮肉だかね。姫さん」
 フェリスタは落ち着いて答える。
「いいえ先生。それは意味のないことです」
 老人は自嘲して、
「それは違いねえ。しかし現実、儂(わし)は変わっただよ。これまでお上がくださるものは、位も褒美も突っぱねただ。ツルハシ屋の勲章は、開通した道そのものと、信じてここまできただ。それを今になって、身内の若えもんのおだての言葉にはホイホイ乗せられただ。実際、あんなに心地のいいもんはねえ。そのうち、手もなく、高えハシゴの上へと担ぎ上げられただね」
「ご本意ではないのですか」
「いんや、本意だ。錐の先ほどの紛れもねえだ」
 そこでふと声を落して、
「これから他所もお周りになるだか」
「いえ、こちらだけで済ませるつもりです」
 キッパリ答えると、老人は一転、嬉しげに何度もうなずいて、
「有難えだ。いやいや、それなら急ぐこともねえ。ゆっくりしていきなさるだよ」
 芝生の上に敷物をひろげると、いそいそと パン、干し肉、オレンジ、果実酒の壜を、袋から出してきて並べる。
「これも若いもんがくれただ。儂には過ぎた上等だで、きっと姫さんのお口にも合うだ」
 こんな無邪気な師を、フェリスタははじめて見たと思った。
 
 伝承によるところ、かつて世界は、温暖な気候と豊沃な土壌に抱かれ、安寧と自足のうちにまどろんでいたという。人々は自らを、文化・国土までも含めた有機的一体として「エラス」と呼び、それはまた多くの場合、全世界と同義であった。
 揺籃はある日、地の怒りによって突き上げ覆され、その残骸さえ降灰によって深く埋められる。
 数少ない生き残りは、活路を求めて「周縁」の原生林へ分け入った。誰も実情を知らず、知ろうともしなかった森は、はたして地形峻険、植生が人を拒む瘴癘の魔境だった。これを開削しながら歩を進めることが、そのときからエラスの使命の全てになった。
 定住は片時しか許されなかった。たえず新たに地を割って迸り出る溶岩流に加え、切開された森は、倍する力で再び異物を押し包もうとする作用を持っていたからである。
 追われるエラスは、その存亡を賭して一匹の蟲と化し、濃緑の絨毯を、遮二無二食い進んだ。そうして百年四代。人口をさらに三分の二にまで減らし、後に捨ててきた停泊地は三十二を数え、なお広大無辺の樹海はその出口さえ見せなかった。

 コロンナ28の地で、フェリスタ王女が十をむかえたとき、早くもその英邁の資質は、世襲王権に批判的な者の目にさえ隠れなく、王族としての修身に加えて、次代の指導者として必要なあらゆる知識の注入が計画された。
 農学、天文地学、博物学一般。それぞれの分野の第一人者が事にあたり、わけても最重要の土木分野の進講を任ぜられたのが、「片目のグルヌー」であった。
 これは一代の奇人である。その顔と手に見える疱瘡の跡がどこまで及んでいるのかは誰も知らない。とにかく偏屈で人交わりを嫌い、住処まで村はずれに構える難物だったが、測量と構木に関しては、当代無双の知見を認められていた。
「姫さんもヘチマも、勘の鈍い子には何を教えても無駄だで、そのときは弟子か師匠かを取り換えるよりほかに手がねえだ」
 特有の泥臭い語法が、最初はクスクス笑えて授業にならなかったものだ。その不行儀をグルヌーは叱らなかった。笑われるのに慣れきった者の達観で、黙って辛抱強く、相手の関心が、自分の言葉の内実へと向かうのを待った。
 そのかわり、こと学業になると、態度の厳しさは最初の口上さえ上回っていた。決して褒めず、わずかな怠慢や浅慮も、辛辣な皮肉と舌打ちで報いられる。癇癪に声を荒げることも少なくない。
 もっとも生徒のほうも、さすがに見込まれただけの素材ではあった。多くの時を経ずしてフェリスタは知る。この奇怪な外見の男の中にある知への情熱、真理への意志、すでに擁している黄金の体系、美しい数理の公式の数々を。
 師事して三月目に、フェリスタは師の前に進み出た。
「先生、お詫びすることがあります」
 師は机の書き物から、ちらとだけ視線を上げた。
「七歳のとき、道で先生に木の実を投げつけました。一緒にいた子たちもそれを真似ました。皆、祭のお面をかぶっていました」
「それだけだか」
 不機嫌な表情はこの男の常である。
「この化け物、と言いました」
「他にもあるだか」
「毒が伝染る、死んじゃえ、と言いました」
 一度唇を噛んだが、いっそう背筋を伸ばし、目はそらさなかった。
「フェリスタは、卑怯な愚か者にふさわしい罰を受けます」
 しばしの後、師の表情が歪み、その手が伸びてきたとき、フェリスタは頬をつねりあげられることを覚悟した。ちょうど前日、農学の教師にされたように。だが乾いた手はそっと頭のうえに乗せられ、すぐに離れ去った。
「姫さんはええ子だの」
 初めて見るその表情が、師の笑顔であったことを理解するまでしばらくかかった。
 
 師の失われた片目は、大昔、「地獄の釜」と呼ばれた難工事で、エラスが支払った多大の犠牲の一部だったというが、その隻脚の歴史は比較的浅い。
 七年前のコロンナ31。二度の越冬を経たあとの、エラスの次なる針路が問題だった。王党が国是として掲げる北進策に対して、西進を唱える一派がにわかに台頭し、対立はエラスを二分するかに見えたが、決着は一夜にして訪れた。
 未明、王の禁衛隊が政敵を急襲し、降りそそぐ朝日のもと、政庁前の広場にその首級を並べた。特別驚くには当たらない。それはコロンナ2で13で20で、繰り返された政治の手続きにすぎなかった。
 そしてこのとき、大臣の名前すら満足に言えぬ隠遁の人グルヌーも、縁座を問われ、片脚の膝から下を奪われたのである。
 十五歳のフェリスタが師の寓居を訪れたとき、その主は寝台に横たわっていた。
「今日はこの恰好で失礼するだ。姫さんはそこの机の上の問題を解いて、口で読んで聞かせてくれればいいだ」
 フェリスタは師の寝台の足元に屈みこんだ。赤黒く染まった包帯を取り換えようとした手が、邪慳に振り払われた。
「そういうことをするために、来てなさるんでねえ。ええから、早く問題を解くだ」
 そう言われて机に向かってはみたものの、身の入るものではない。頭では、父王の武断への疑問と不満が渦巻いている。並んだ首の中には、幼いころからフェリスタを姫、姫と可愛がってくれた重臣も含まれていたのだ。王自身が少年時代から苦楽を分かってきたものたちと、なぜ円満な話し合いの道を探りつづけることができなかったのか。
 解法の筆の音が完全に止まって、どれくらい経った頃か、
「…王は、間違っていなさらねえ」
 振り返ると、グルヌーは身を横たえたまま天井をじっと見つめていた。フェリスタは耳を疑った。これまで政道の話など、一度も師の口から出たことはなかったからである。
「姫さん、聞くだよ。儂のようなツルハシ屋にも、ひとつ分かることがあるだ。橋であれ、坑道であれ、強い木の組み方というのは、突き詰めれば一通りしかねえ。それを知るものはどうせ一人か二人。頭を寄せあって大勢の意見を聞いたところで、屁の役にも立ちはしねえだ」
 フェリスタは向き直った。
「あの人たちはあの人たちで、自分の信じる道を行く自由があったのではないですか」
「何を言うだかと思えば、またタワケたことを。何度言わせるだか。現場の作業には頭数がいねえと話にならねえだ」
 エラスを割ることは双方の自滅を意味するというのである。
「父は本当に『正しい木組み』を知っているのでしょうか。父より年上で、経験に富んだ人もいたというのに」
 グルヌーは寝台の上で手を振った。
「トシなぞ、杉の木でも毎年ひとつ取るわ。逆だで、逆。父御は王の器だで。そしてまだ老けこんで頭の鈍る年ではねえだ」

 それから二年を経た十七歳のとき、フェリスタは原生林の海で遭難しかかったことがある。
 コロンナ32を発した先遣踏査で、崖から転落して本隊を見失った。そしてまる二日間、ひとり氷雨を避ける巨木の洞の中、血まみれの膝を抱いていた。
 募る絶望とともに思うのは、出発前のひとつの失敗だった。
 外出が億劫になった師が、物理理論の教材として、二年ごしで組んでいたアーチの模型があった。それは数千本の針から成り、直線と弧の玄妙精緻な組み合わせが蝋燭の火に映える様は、見る者に溜息を催す。
 その中のほんの一本を、好奇心から動かしたことで、すべてが跡形もなく崩れ去ったときの驚きと悲しみが忘れられない。
「一度見たらそれでええ。形あるものは必ず壊れるだども、形を成り立たせる仕組みは変わらねえ。それをじっくり覚えるだ」
 師が責めなかった刹那の過誤を、自分ではまだこだわっている。悔いている。この有り様で、この地の果てで、こんな木の俣に嵌り込んだ今もまだ。
 あの美しい均衡を見た者も、それが示唆・体現していた諸法則を、おぼろげにであれ、理解している者も、年嵩の師本人以外には、自分しかいないのである。誰にも伝えず死ぬことが許されようか。
 そこで後悔が方向を転じ、かえって力が呼び起こされ、顔を上げることができたのは、後から思えば奇異なことであった。
 そして帰り着いた王女フェリスタの報告をもとに、それから約一年後、まさにその巨木の地点を中心として、エラス・コロンナ33が切り開かれることとなる。

 さらに四年の月日が移り、いよいよエラスは記憶されるべき日を迎える。一本伐り残された巨木の前に、文武百官が居並び、六家十二門の旌旗が風に鳴る。またその周囲をコロンナ総出の群衆が取り巻いている。
 文字通りの、まだ昨日のことである。今日へと続く青天の下、戴冠した若き女王の、凛然と響く聖旨の声は、あまねく人波の上を渡った。
 聞くがよい。五年前、ここで、まさにこの地点で、道を見失っていた自分は、本来の国土から切り離された今のエラスの比喩である。
 人間そのものが、もし道半ばにして滅んだら、事象の背後にある黄金律の数々はどうなるか。馬や猿や鳥によって、いつか再発見される日を待つとでもいうのか。
 諸秩序は人間の観念によってしか見出されないが、当の人間よりも、個々の自然現象よりも、世界の上位を占めるものだ。
 その構造は、いまは師のごとき天才の直観によってとらえられるにすぎないが、継承と発展の過程で、ありふれた実用知識に均されることを歴史は教えている。
 そうなったとき、エラスの民は、かつて幻に描いた橋を本当に渡るだろう。たとえ長旅による淘汰の果てであれ、真理が架ける橋を渡り、いつか再び辿り着く。人間が、自然の奴隷であることから解放され、真に自らの主人たりうる、新たなるエラスの地へと。
 湧き立った歓呼の渦の中にも、師の姿はないことを、フェリスタは知っていた。

 午後の風が少し冷気をはらむ頃、師弟の遅い午餐が終わる。
 食器をとりまとめつつ、口を開いたのは師のほうだった。
「こうしていると、つくづくと思うことがあるだ。姫さん、いまの、この儂の腹が読めなさるだかね」
 師のこれほど感傷的な言葉を聞くのも初めてだったが、あらためて伝えるべきを伝えるときが来たと思った。
 フェリスタは居ずまいを正し、両手を膝の上で組み合わせる。
「先生から受けた教えは、私にとって、エラスにとって、唯一無二のものでした。この命が尽きる前に、それは下の世代に譲り渡します。お考えになってきたことが、ただ無に帰すとは、どうかお思いにならないで」
「……」
「先生のお導きで、私も気がついたのです。自然の背後にある不壊なるものと、人間だけに与えられた恩寵の…」
「そんな話では、ねえ!」
 昔日を思わせる語気に、一瞬身が竦んだが、今の師は急に恥じ入るがごとく、
「姫さんや。今そんなややこしい立派な話をしたがるような、そんな立派な男ではねえだよ、もともと儂は」
 師の役割のペルソナが、はじめてひび割れ、欠け落ちていく。その視線が、弟子の肩ごし、はるか南の地平線に向けられる。
「もう三十年も前になるだか、人生でただ一度だけ、ひとを好きになっただ」
 まだ意味が取れず、フェリスタは目をしばたたいた。
「沢水の精、エラスの残照と謳われたひとだで。同じ年頃の男は、誰も彼も恋焦がれただ。いんや、それは惚れた腫れたより、もっと大仰なもんだっただね。あのとき、エラスが崖っぷちに立った『地獄の釜』の岩盤掘削で、儂らは岩塩を舐めながら、互いにこう言うて励まし合っただよ。人間て生き物は、自分らのような薄ら汚ねえ野郎だけでねえ、たまにあのひとのような者も生み出すというのに、こんなところで擦り潰されてなくなるのは、さすがに勿体がなさすぎる」
 たちのぼる陽炎の底で、男たちがひとしく仰いだ名。それは語り伝えられた遠い楽園の揺籃の記憶に結びついていたのかも知れない。
「そのひとは、どうなったのですか」
「さて、そこが笑うところだで。どうもなりはしねえ。とうから婚約者がおりなさった。当然すべてがピカイチ、王の器をもった偉丈夫だっただよ」
 はたと双眸に射られ、隻眼が伏せられる。
「だいたい儂なんぞ、そんでのうても、身の程はよく知っているで、まあハナからそんなに多くを夢見たわけでねえ。ただあの髪に、頬に、唇に、一度この手で触れられたら、どんな心地がするだか、それだけの思いに体中の骨が曲がる気さえしただよ」
 若き日の師の姿が瞼に浮かぶ。思いを仲間にさえ打ち明けられぬ、片目で疱瘡の青年グルヌー。けれどもその彼が、脳裏に浮かぶ面影を、抱き、払い、また抱きつつ、かじりついた机からは、数式を乗せた紙が切れ目もなく流れ出る。紙のタペストリーは風になびき、ひるがえりながら、どこまでも地に着くことなく伸びていく。
 自然に笑みがこぼれた。
 フェリスタは、額のティアラに指をかけて取り去った。一度小さく頭を振り、向き直って膝を前へ進める。老人の膝がしらと隙間なく接するまでに。
「先生、試してごらんになりますか」
 声を微笑が彩り、息が相手の鼻先をくすぐる。ささえるように、うながすように、自らの指を師の腕に添えると、母の姿をうつす娘は、ゆっくり瞼を閉じて、白い喉をあらわに反らした。
 片目のグルヌーは、「ウッ」と一声呻いたなり、かなりの間、呼吸さえ忘れていた。
 ようやくにして、滑稽なほど震えながら伸べられた手は、目の前のなめらかな頬を微かに撫でたが、それは結局、そっと女弟子の頭のうえに乗せられた。
「姫さんはええ子だの」
 老人は銀の装身具を拾い上げると、震えの残る両手で、注意ぶかく、まだ瞑目している若き女王の額へと当てた。
「けんど年寄りをからかうもんではねえ」

 フェリスタが再び目を開いたとき、師はすでに敷物の端で、座ったまま背を向けていた。
「さて、早いとこ、ご用を済ますだ。そのために来なすっただね」
 再び振り返ることもせず、
「儂の勉強を引き継いで下さるというお言葉、有難かっただよ。ええ土産が出来ただ」
 見上げれば、空にかかる陽は、いまや黄味を帯びて西へと傾いでいた。祝祭と休息の二日が過ぎようとしている。明日よりまた、日々の歩み、まだ見ぬコロンナ34へ向け、備えを積み上げる営みが続いていく。
 胸の奥から込み上げてくるものを抑えながら、フェリスタは師の背にかける最後の言葉を探そうとした。

 終

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